20170621


自販機のボタンを押した時、「げっ」と思わず口に出た。

私が欲しかったのはりんごジュースだったのに、そのすぐ横にあるバックの牛乳を押してしまったのだ。小さなころから牛乳とかヨーグルトとかが苦手なので「まあいいか」という気にもなれず、泣く泣くもう一度お金を入れてりんごジュースを手に入れた。


「…って事なんだけど誰か牛乳いる?」


教室に戻ってから友人たちに聞いてみるが、予想どおりに誰ひとり首を縦に振ることは無かった。

「いらなーい」
「同じく」


どうも私の周りには牛乳好きな人が居ないみたい。チーズが好きな女子は多いけど牛乳好きって言うのはあまり聞いたことがないもんなあ、これは持ち帰って家族にあげようか。
そう思ってパックを鞄にしまおうとした時、激しい足音とともに男の子の声がした。


「白石さん、牛乳配ってるってホント!?」


それは同じクラスの日向くんだった。牛乳を「配っている」訳じゃないけど、まあ同じようなものか。日向くんは私の持つ牛乳をじっと眺めている。もしかして欲しいのかな。


「いる?あげるよ」
「わあー!よっしゃ!ありがと」


私が牛乳パックを差し出すと、彼は目を輝かせて受け取った。今どき牛乳であんなに喜ぶ高校生が居るのか。呆気に取られる私を見た友人が、私の疑問を解決してくれた。


「身長伸ばしたいらしいよ」
「ああ…」


よくよく見れば日向くんは、確かに身長が高くはない。男の子だしまだ成長期だから、そんなに必死になって伸ばさなくても良いんじゃないかとは思うけど。それに日向くんは、その存在感のせいで背の低さなんか全く感じさせないのだ。
けれど高さが重視されるバレーボールの世界に居る限り、彼はそれを求め続けるんだろうな。

私が日向くんの存在を意識し始めたのは今月の始め。

それまでは「元気なクラスメート」としか感じていなかった彼が、突然生気を失った時期があった。クラスの誰に話しかけられても無反応、あるいは心ここに在らずで虚ろな目をしていて、授業中に先生に当てられても気づかないほど。
おかしいなと感じてよくよくクラスの人から話を聞くと、バレー部がインターハイ予選のいいところまで行って負けてしまったらしいのだ。

その時初めて日向くんがバレー部だと知り、試合に出るメンバーであると知った。
家に帰って新聞を見てみると、「烏野高校惜敗」の文字とともに青葉城西高校の面々が勝利を分かち合う写真、記事が小さく載っていた。私はバレーボールに全く関係がないのに、ちくりと胸が痛んで、その記事をすべて読み終える前に新聞を閉じたのである。

その翌日「新聞読んだよ。バレー部の事が載ってた」と声をかけた時の彼の顔と言ったらもう、「元気な日向くん」とはかけ離れたものだった。


「新聞なんか載ってたんだ…」


力なく発した日向くんの声を聞いた瞬間に、余計な声掛けなどしなければ良かったと後悔した。でも日向くんはすぐに顔を上げると、ネガティブな空気を払うかのように首をぶんぶんと横に振った。


「次は全国行ってやんぞ…絶対」


そう言った時の、雄々しく光る日向くんの瞳に胸を打たれたことは私以外の誰も知らない。

それはほんの数週間前の事だけど、日向くんはいつの間にか復活していた。
私があげた牛乳は一気に飲み干してしまったみたいで、お弁当を頬張りながら水筒のお茶をがぶ飲みしている。あんな大きな水筒をかついで山を越えて登校してくるとは大したものだ。紛れもなく男の子なんだなあと感じるし、日向くんのそういうところはとても好き。

本能のままに行動し、食事を摂り、がっつき過ぎて口元にこぼれたお茶を大胆に腕で拭うところとか、私はすごく格好いいと思うんだけど。日向くんの周りは「落ち着きねーな」と笑っているけど。
日向くんの「大きくなりたい、前を向きたい、もっと先へ行きたい」という逸る気持ちに、身体が付いてきていないのだと思う。どうか彼があまり無理をしませんようにと無責任なお願いごとをする私って、駄目かなあ。


「白石さん!」


そんな時、後ろから声がした。ふと気づけば6限目が終わり放課後になっていて、がたがたと生徒が席を立つ音が響いている。その中で日向くんが大きなリュックを背負い、こちらに近付いてきた。


「なに?」
「昼はありがとね!」
「……昼?」
「プレゼント!」


プレゼント?私の頭はハテナマークで溢れかえった。私、日向くんにプレゼントなんかあげたっけ?どう頑張っても間違えて買った牛乳をあげた記憶しか出てこない。他になにかあげたかな…いや、あげてない。


「ほらぁ、牛乳くれたじゃんか」
「牛乳?…あげたけど…」
「白石さんがおれの誕生日知ってるなんてびっくりした」
「へっ?」


初耳である。日向くんの誕生日なんて聞いたことがない。返す言葉が浮かばなくてしばらく口をぱくぱくしていると、無言の私を不思議に思った日向くんも顔をしかめた。


「…誕生日だから牛乳くれたんじゃねえの?」
「え…?」


そして、誕生日が今日なんて知るはずもない。


「ごめん、知らなかっ…」
「えーーー!!?」
「わっ」


私が言い終わらないうちに、日向くんが盛大に驚きの声をあげた。きーんと耳なりがするのを堪えつつ、真っ白になった頭の回転を戻しつつ、目の前で悶える日向くんへと焦点を合わせる。


「やッべえ…恥ずい…違ったんだ…え、じゃあ何で牛乳くれたの!?」
「え?…あ、あの牛乳間違えて買っちゃったから誰かにあげようとしてて」
「マジかよぉ!恥ずッ!」


続いて日向くんは頭をかかえた。やっと私は理解した。あの牛乳を誕生日プレゼントだと勘違いをしたらしい。


「何かごめん…」
「や、おれのほうこそ…」
「誕生日おめでとう」
「へっ、」


ぴたりと日向くんの動きが止まった。
今まで髪の毛やら顔やら鞄やらを触りまくっていた手が止まり、目が開き、そして彼の顔はだんだんと髪の毛と同じようなオレンジ色に染まる。さらにはオレンジを通り越してピンク色、もうすぐ赤くなりそうなほどに。


「あ、あり…ありっ、」
「日向ーーー!」


恐らくお礼を言おうとした日向くんの声に重なって、またまた大きな声が聞こえた。私も日向くんもびくりと肩を震わせ教室の入口を振り向くと、見たことがない坊主頭の人が立っている。クラス中の視線を浴びたその人は「あ、すんません」と頭を下げて、再び日向くんに向かって声をかけた。


「部活行くぞお」
「田中さん何でここに!」
「小野センセに宿題出してきた!」


小野先生は隣のクラスの担任だ。田中さんと呼ばれた彼は2年生らしく、英語の授業で出された宿題を直接小野先生に出しに行ったようだ。職員室まで行くのが面倒だったのかも。


「……お?行かねえのか日向」
「い、行く!行くっす…」


日向くんは返事をしたものの、ここから動くかどうか悩んでいるようだった。ちらちらと足元とか私の机の上を見ていて、最後に私と目が合って日向くんが「あ」と声をあげる。それからぎゅっと口を閉じて、かと思えば小声で耳打ちをされた。


「…誕生日は絶対、また教えてよ」


その言葉が私の耳に入り脳に届き頭が理解を終える前に、日向くんは部活へと走り去ってしまった。

偶然間違えて買った牛乳ひとつで、日向くんの誕生日を知っただけでなくあんな顔を見ることが出来るなんて。
やっぱり彼は、ただの「元気な日向くん」では無かったんだなと自分の見る目に自信を持てた。

Happy Birthday 0621