06


期末テストは3日間行われる。水曜日から金曜日まで部活の朝練も放課後練習も休みで、学生らしく机に向かってペンを握れという期間。おまけに午前中で学校が終わってしまうから、昼休みに白石さんと会うことも出来ない。なんとも苦痛なテスト期間だ。

2日目のテストが終わった直後、教室内はがやがやとテストの出来を報告しあう声で賑わっていた。
俺は中学の時やこの間の中間テストに比べると問題の内容を理解出来た気がして、こっそりと胸をなで下ろす。怖くて自己採点なんかできないけど。体育館が使えないとしても身体を動かすのだけはやめられないので、夕方にでも走りに出ようかと考えながら鞄を持って席を立つ。
明日のテストの心配をしながら教室を出ようとした時、突然誰かの姿が現れた。


「影山!テストどうだった!」


小さな影だったので正直白石さんかと思ってしまったのが悔しい。その眩しい頭の色ですぐに日向だと分かった。


「お前はどうだった」
「俺?めちゃくちゃよく出来た!と思う!」
「チッ」
「ふふん。影山は?」


日向自身の評価では今日のテストは「よく出来た」らしいが本当だろうか。俺もいつもより出来たほうだと思う。が、それを一番に日向に報告するのは気が引けた。単純に日向をライバル視しているせいもあるけど、別の理由で。


「無視ですか影山くん」
「うっせえ。帰る」
「おーい!」
「影山くん」
「うるせえな帰るっつってんダロ!」


日向の声と、こいつのテストが良い出来だったということに少しだけ苛ついた俺は勢いのままに振り返ると背筋が凍った。目を丸くした日向の隣に、同じく目をまん丸に見開いた白石さんが立っていたのだ。


「か、影山くんごめん」
「いや、ごめん…日向かと思って」
「それもどうかと思うぞ」
「ウルセーボゲ」
「影山くん、帰るとこだった…よね?」


恐る恐る聞いてくる白石さんを見て心底後悔した。もともと俺は愛想の悪い顔をしているせいで嫌われるのを恐れていたのに日向の野郎、余計な時に来やがって。ひと睨みすると日向は「眉、吊り上げすぎ」と俺にしか聞こえないように囁きながら去っていった。ちくしょうめ。

俺は極力眉間のしわを伸ばすように努力しながら白石さんへと向き直った。


「悪い。なんだっけ」
「あ、テスト…この前教えたとこ出てたから、うまく出来たかなって」


耳にかけていたらしき髪の毛がさらりと落ちてきたのを、もう一度耳にかけながら白石さんが言った。俺のテストが気になって聞きに来てくれたというのか?


「俺も思った。教えてくれたとこ、覚えてたから出来たと思う」
「ほんと?よかった」
「おお」


ありがとう、と一言言いたいんだがなかなか口から出てこない。俺が問題なくクリア出来た(たぶん)のを喜ぶ顔を見たら、お礼の言葉すら引っ込むほどに緊張してしまったのだ。

それからあわよくば、あわよくばまた最寄りのバス停まで一緒に帰りたいなと思ったのだが、白石さんは友だちと昼ごはんを食べてから勉強する約束をしているらしい。


「明日のテスト大丈夫そう?」
「頑張る」
「はは、そうだね。頑張ろうね」


そう言ってもう一度笑うと、白石さんは5組へ戻っていった。俺の心臓が弾むのは彼女の去る足音のせいか、単に俺の熱が高まっているせいなのか。

その日は帰宅してから机に向かう俺を見て、母親は不思議そうに首をかしげていた。赤点を取ったら次の合宿に行けなくなるのだと伝えると納得したようだったが、「知恵熱出さないでよ」と言いながらリビングに戻っていった。チエネツって何だ。

コピーをさせてもらった白石さんのノートと自分のノート、教科書とにらめっこをしていると気づけば夕方になっていた。こんなに時間を忘れて勉強していたのは白鳥沢の受験依頼だ。落ちたけど。
いったん勉強道具を片付けて、固まった関節を伸ばすために立ち上がる。ああ身体を動かしたい。夕食の前に走りに行こう。





この時期、真昼間に走るのはとても辛い。だから朝の早い時間か夕方、夜に走ることが多いのだが最近は勉強疲れで早起きが出来ず、今朝も走れていない。やっと過ごしやすい気温まで下がってきたこの時間を見計らって、俺は外に出た。

夕焼けが眩しい。心なしか太陽が少し大きく見えるな、と思ったがその色が日向を思い出させたのでゲンナリした。

いつも信号があまり多くないコースを選ぶのだが、今日はふと思い立ってバス停のある大きな通りに出ることにした。バスを降りてからすぐの場所にあるコンビニエンスストア。最近は学校帰りにここには寄らず、もう一本先の角を曲がったコンビニに寄っている。理由はもちろん彼女である。

最後にシフトに入ったのは日曜日で、テストが終わるまでは休みをもらっているのだという。だから今日行ったって姿を見ることは出来ないのだが、そのコンビニの前を通過するように走ってみた。
…すると驚いたことに、自動ドアから白石さんが出てきたのだ。


「あれっ」
「!!」


走っていた俺の足はぴたりと止まった。イヤホンを耳から外し、足を止めた途端に溢れる汗を必死にぬぐい取る。が、この気温で目の前に好きな子が現れて、汗は簡単に引くわけがなかった。せめて汗が無臭であるのを祈る。


「どうしたの?」
「……走ってた」


ありのままを答えると、「見たら分かるよ」と白石さんがくすりと笑った。


「白石さんは今日バイト休みじゃ…?」
「休みだよ、帰りに寄っただけ。なんか甘いの食べたくて」


そう言う彼女の手にはコンビニの袋があり、チョコレートらしきものが入っている。そういえば友だちと勉強すると言っていたし、勉強で頭を使ったから糖分が欲しいのかもしれない。


「いつもここの前走ってる?見たことないけど」
「…今日は…たまたま」
「そっか」


そこで会話は途切れてしまった。

思えば自販機の横にいる時も勉強を教えて貰っていた時も会話の主導権は彼女が持っていて、俺は質問に答えて終わり。話していても面白くない男だろう。こういう時ばかりは日向のようなコミュニケーション能力が羨ましい。

無言の時間にも湧き出る汗にも耐えながら頭を悩ませていると、白石さんはたった今買ったものをごそごそと漁り出した。


「甘いの好き?」
「え」
「はい」


差し出された白石さんの手のひらにはチョコレート、ではなくて恐らくいちご味の飴玉があった。よく見るとチョコレート以外にもいくつかのものを買っている。


「これ美味しいよー、あげる」
「……あ…ありが…」
「明日でテスト終わりだよ!頑張ろうね」
「…おお」


やっと俺が手のひらを出すと、彼女の手から個包装された飴玉がころんと落ちてきた。濃いピンクのそれは俺の気持ちをそのまま色に表したようだ。
じゃあまたね、と歩く背中を見送りながら飴玉が落ちないようにぎゅっと握り、明日のテストが終わってから食べようとポケットに入れた。いよいよ期末テストの最終日がやって来る。





「…どうだった!!」


今日もやっぱり日向がやって来た。日向が部活に向かうためには、俺のクラスの前を通らなければいけないので仕方がない。
テストが終わって、今日からやっと部活を再開することができる。はやく体育館の空気を吸いたいが、テストの点数が出るまでは気持ちが落ち着かない。なんたって中間テストの時、俺は3教科も赤点だったのだから。


「俺、今日の数学やべえかも…」
「ふん」
「影山は?」
「多分いける」
「くっそ…あ、影山影山」


日向が小声になった。声を潜めた理由はすぐに分かった、歩いていく先に白石さんの姿があったのだ。彼女を見つけた瞬間に日向は「先行っとこーっと」と小走りに掛けていった。


「テストお疲れさま!」
「おう…」
「大丈夫そう?」


白石さんが期待半分、心配半分といった様子で言った。


「今までで一番できたと思う」
「すごーい!あ、今日からまた部活?」
「ああ」
「私も今日からバイトなんだあ。肉まん作って待ってるね」


自分の心臓がうるさいせいで耳がおかしくなりそうだ。それが白石さんに届かないように咳払いで誤魔化しながら、下校する彼女に初めて手を振り返した。

こういうのって、こんなふうに気持ちが波打つ時って、皆どうやって対処しているんだろう。
でも今はまだそれでも良いような気がした。この気持ちを伝えたところでどうなるかも分からないし、万が一そのお陰で部活に影響が出るのは嫌だから。俺がとても不器用な人間であるのは自分でも分かっている。





だからと言って白石さんに会いに行くのをやめるのかと聞かれれば答えはノーだ。久しぶりの部活を終えた帰りにバスに揺られながら、アルバイトの制服を着た白石さんに「いらっしゃいませ」「またお待ちしております」と声をかけられるのを楽しみにしていた。

渋滞でもしているのか、バスの進み方がいつもより遅くてもどかしい。やっとバス停に着いた頃には通常よりも15分ほど遅れてからだった。

浮かれて早足になるのを我慢しながらも大股で進む、が、どうしても進めない。人が多いのだ。
こんな場所に溢れるほどの人が居るなんて珍しい。それをかき分けながら進んでいくと、ある場所で俺は立ち止まった。立ち止まるしかなかった。「立ち入り禁止」と書かれているんだから。


「……なんだこれ」


その立ち入り禁止を踏み越える力もなく、今目の前に広がる光景が何なのかを理解する力も湧き出てこず、ぽろりと口から出た。だって本当になんだこれ、としか思えないのだ。


「ちょっと、もう少し下がって」


突然目の前に現れた警察官の声で我に返った。

やっと視覚からの情報が脳に届き始め、聴覚が働き始めた。白石さんがアルバイトをしているコンビニエンスストアの自動ドアが粉々に砕け散っていて、恐らくその犯人であろう大型車両のフロントガラスも割れている。

映画の撮影でもしているみたいだ。嘘みたいにぼんやりと、このような事が頭をよぎった。これは映画の撮影で、トラックが突っ込むなんて大きな事故は全て作り物で、白石さんはどこかでこれを見ているギャラリーなのではないかと。


「運ばれてた店員さん達、大丈夫かな…」


けれど誰かが不安げに呟いた声で、やっと全部を現実として理解した。

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