悲しいことに期末テストの本番までは、土日の部活は午前中のみである。体育館も施錠されて、中に入りたくても入れない。ここまでされなければ俺と日向は無理やり体育館に押し入って練習を続けていたのだろうけど…これまでは。

赤点をとってしまった場合は補習がある。今回のテストに限らず中間テストもそうであった。あの時も数日間ほどの補習を受けたから。
しかし今回は、期末テストの補習だけは避けなくてはならない。東京の強豪チームが居る合宿への参加可否がかかっているのだ。


「だから昼休みも勉強してたんだね」


向かいに座る女の子が言った。

俺は無言で頷くと「いったん休憩しよう」という彼女の声を合図にペンを置き、机に置いたペットボトルの蓋を開ける。緊張して何度も飲んでしまったから、もう空っぽだ。ついでに頭も空っぽである。

今がどんな状況なのかというと、まず午前中に部活を終えた俺は１年５組の教室へやって来た。勢いで「勉強を教えて欲しい」と頼んだ俺に白石さんが快くＯＫの返事をくれ、日曜日の午後ならば予定が合ったので教室で教えてくれる事になった。俺の部活が終わる時間に、わざわざ登校してくれたのだ。


「他に分からないところある？」
「…正直、ほとんど分かんねえ」
「意外だねー、成績良さそうなのに」


そう言って白石さんが笑った。今のところこの子には、あまり良いところを見せられていない。その上頭が悪いなんて致命的だ。どうして俺はきちんと授業を受けなかったんだ、ちくしょう。


「あと数日で全部出来るかなぁ」


白石さんがページをめくりながら言った。しかし、いま彼女が見ているところは昨日教わったので大丈夫だ。俺の身についているかは別として。


「そこは昨日習った」
「あ、そうなんだ」
「おお。谷地さんに」
「…谷地さんに？」
「？？ 谷地さんに。」


昨日は部活の帰り、日向とともに谷地さんの家で根を詰めて勉強していたのだ。帰りにウシワカと遭遇したせいで、習ったことが頭から飛んでしまったが。

でも家に帰って写させてもらったノートを見返すと、なんとなく内容を思い出すことが出来た。日向の言うとおり谷地さんのノートは完璧だ。もちろん白石さんのノートも、と言うか白石さんの場合はノート以外も全部好きなんだけど。


「影山くんて谷地さんと仲良いんだ」


そう言いながら、白石さんはノートに視線を落としぐるぐると落書きをした。


「いや？別に」
「でも昨日……」
「日向が谷地さんと仲良いから…あ、日向ってのはミカンみたいな奴な」
「ああ、あの人か」


日向の姿を思い出したのか、白石さんが笑った。すごく可愛いのだが、その笑顔を引き出したのが日向だというのが癪だ。


「影山くんは、谷地さんと…」
「ん？」


日向への苛々が頭の中を駆け巡っていたので、白石さんの言葉に反応が遅れた。が、白石さんはふと黒板の横にある時計が目に入ったらしく慌てて携帯を取り出し、改めて時間を確認した。


「…ごめん！私そろそろ行かなきゃだ」
「あ、そういやバイト…」
「うん、４時から」


日曜日の今日も、テスト期間だというのにコンビニのバイトが入っているらしい。まだ研修中だから、出来るだけシフトに入って仕事を覚えたいのだと言う。
忙しい中俺の勉強に時間を割いてくれた事で好感度は上昇するばかりだ。


「ごめん、ちょっとしか出来なかった」
「いや。充分」


俺の頭の中にどれほどの公式や英単語が記憶されたかは定かでないが、こうして時間を作ってくれた事だけで充分である。普段復習なんかしないのに、今日は帰ってから復習しようと思えた。いつも白石さんが授業をしてくれるなら、毎晩予習復習を欠かさないのにな。

ふたりとも荷物をまとめて立ち上がり、一緒に教室を出た。下駄箱までも一緒。校門までも一緒だ。横に並んで歩けることで頭が浮かれていると思われるかも知れないが、俺はガチガチに緊張していた。けれど、言いたい事がひとつだけあった。


「お…送ってく。」
「えっ？」


上履きを下駄箱に戻しながら、白石さんが声をあげた。びっくりして髪の毛が揺れ、それが更に俺の視覚を刺激する。
断られたらどうしようかと心配していたが白石さんは「ありがとう」と微笑んで、バイト先まで送ることを快諾してくれた。


◇


「……恥ずい。」
「いやいや！そんな事ないよ！ありがとう」
「……」


バスに乗り、家の近くのバス停に降りたところで俺は気づいた。わざわざ「送る」なんて言わなくたって、どうせ向かう方向が同じであった事に。

彼女のバイト先は俺の使用するバス停のすぐ近く。俺の家だって近いし、白石さんも「家はこのへん」だと言っていた。くそ恥ずかしい。


「…じゃ、ここで…」
「え、影山くん」


格好つけるつもりだったのに赤っ恥をさらした気分になり、バス停の前で別れを告げた。しかし白石さんに呼び止められて、顔はまだ直視できないが半身だけ振り返った。


「最後まで送ってくれないの？」
「……最後まで？」
「バイト先まで！」


驚いて身体が固まるのって、久しぶりだ。と言っても入学式の日に、体育館で日向と出会った時が最後だからそんなに昔ではないか。日向のほうが驚いていたし。
それに今は日向がどうとかどうでも良くて、白石さんがこの俺に、コンビニまで送ることをお願いしているかのように見える。


「送るって言ってくれたの、そういう事だと思ってたのに」
「あ、ああ…悪い」
「……いいけどさ。すぐそこだし」


俺が一度送ると言ったのに途中で投げたから怒っているんだろうか。少し眉間にしわが寄った顔も俺の心をくすぐってくる。

本当なら俺もこんなところで別れるのではなく彼女がコンビニの自動ドアをくぐるまで、いや控え室の入口に入るまで見届けたい。欲を言えばバイトが終わるまでずっと店内を徘徊し、家まで送って家を知りたい。
でもまさかそんな事は言えないから、コンビニまでは送らせてもらう事にした。


「送る」
「いいよそんな、近いし」
「いや、送る」
「…ごめん、私が最後まで送れって言ったから？気にしないで」


さっきまでつんと唇を尖らせていた彼女が、今は申し訳なさそうに眉を下げていた。コミュニケーションを取るのは難しい。相手が好きな子だと特に。


「送りたいから送る。それならいいだろ」


だから、飾らず隠さず自分のやりたい事を伝える。と、今度は白石さんが驚きで動きを止めたかに見えた。俺を見上げる瞳がぱちぱちと瞬きをし、その度に潤いを取り戻しているのか、光の影響で絶妙な輝きを放っていた。


「…じゃあ、お願いします」


きらきらとした瞳は彼女が顔を伏せたことで見えなくなったが、それでも今日は満足である。あと少しだけ隣を歩けて、「彼女を送り届けた」という事実を作り上げることが出来るなら。