20170610


私は日直の仕事が好きではない。好きな人なんてこの世にいないんじゃ?黒板消しは手が汚れるし、チョークと黒板の感触が苦手である。ノートを集めるのも学級日誌を書くのも面倒で、今日が早く終わればいいのになあと思ってた。

でも今日一緒に日直になった岩泉くんが超真面目なおかげで、適当にサボることもできず(さすがに岩泉くんだけに任せるのは気が引ける)、結局きちんと日直としての仕事を全うしたのである。

そんな6月10日の放課後、日直としての最後の義務は日誌を書くこと。みんなそれぞれ部活に行ったり帰ったりして静かになった教室の中で、岩泉くんの前の席に移動して日誌の空白を埋めていくことになった。


「白石書いてくんね?俺あんまり字に自信ないんだわ」


私もそんなに字は綺麗じゃないけど、「女子のほうが絶対うまいから」と言うので任されることにした。
1限目は英語、っていうのは覚えているけど内容は何だったかな?この、授業内容や感想を書くところが一番の難所だ。


「…英語、何したっけ」
「んー…やべ、覚えてねえ」
「私も」
「適当に教科書のページ数だけ書いとくべ」


岩泉くんがへらりと笑いながら言ったので、正直驚いた。こういうの「ノート見て確認するわ」とか言って調べそうなのに。


「………何?」
「岩泉くんって、抜くとこは抜くんだね」
「お?」
「ずーーっと生真面目にしてんのかと思ってたけど」


私から見た岩泉くんは…と言っても注視したことは少ないけれど、授業も寝ないし遅刻欠席もしないし、授業中に騒がしくすることも無い。3年生だから当たり前なんだけど、1年の時に同じクラスだった時もそうだった気がする。先生に怒られてるのを見たこともないし、くそ真面目な方かと思っていた。


「そんな事してたら神経使うわ」
「まあ、たしかに」
「そう言う白石は手ぇ抜くの上手そうだな」
「え!」
「いっつも楽な仕事狙ってる」
「うわ!見られてたか」


私はと言うと、掃除の時に雑巾がけじゃなくて掃き掃除を率先してやったりとか。最後のゴミ出しだけ請け負ったりとか、楽なことを見つけている。バレないようにしてたのに、どうやら気付かれていたらしい。でも掃除そのものをサボっているわけじゃないので、やましい事は無いんだけど。…と、思う。


「…あれ?それ怪我してんの?」


その時ふと、岩泉くんの手が目に入った。ちょうどよく日焼けした男の子らしい肌色の先、何本かの指に真っ白なテープが巻かれている。


「これ?怪我もあるけど怪我防止というか」
「あー…そういえばこの前全校朝礼で…バレー部、試合あるって言ってたよね」


そうだ、岩泉くんはバレー部なのだった。有名人の及川くんと、その他目立つ3年と一緒に居るのを見かけることがある。その人たちと一緒に先月の全校朝礼で壇上に立ち、他の部とともに壮行会らしき事をした記憶がある。
それを思い返していると、岩泉くんも過去を思い浮かべるように宙を見て言った。


「ま、決勝で負けたけど」
「え」


やばい。そりゃほとんどの学校はどこかで負けるんだけど、まさか決勝まで行って最後に負けたなんて知らなかった。


「ごめん…」
「いや謝られる意味が分からん」
「いやいやそんな」
「いやいやいいよ」


岩泉くんが笑いながら言ってくれたので、罪悪感から少しだけ逃れることができた。気を取り直して日誌の続きを書くため、次の欄へと進む。


「……で、2限目は…世界史」
「毛沢東のとこな」
「もう・たく・とう…と」
「そんだけで良いだろ。次は…」


次は、と3限目のところを指でなぞろうとした時。岩泉くんも同じように指をすべらせたので、ちょんと指先が当たってしまった。


「………あ。」


互いに小さく声が出て、反射的に手を引っ込める。ここまでほぼ同時だった。


「ご、ごめんね」
「いやいやいや謝らんでも」
「いやいやそんな!」
「いやいやいいから」


謝られると逆に気まずいわ、と岩泉くんは頭をかいた。確かにそうか、指が当たっただけだもんな…と気を落ち着かせて3限目の体育、4限目の英語…と書き進めていく。
やっとスムーズにペンが進み始めた時、岩泉くんがぽつりと言った。


「やっぱり字、きれいじゃん」


顔を上げると彼は日誌に書かれた私の文字を見ていた。あまり自分の書いた字を凝視される事もないから恥ずかしいな。


「……そ、そお?」
「指も綺麗な。さすが女子」
「ゆ………」


指!指なんか見てるのこの人?
あんぐり口を開いて驚愕していたら岩泉くんが視線を上げ、私の顔を見て、今のはまずかったと思ったらしい。


「いや変な意味じゃねーから!」
「いやいやいいけど、」
「いやいや誤解すんなよ」
「いやいやし、してないしてない大丈夫」


誤解ってなんの誤解だよ。変な空気になってしまったのをどうにか戻そうと、私も話題を探した。なにか不自然じゃない話題、話題。


「…岩泉くんの指も男らしいジャンね」


結果、指つながりで机に置かれた岩泉くんの指についての話になった。


「…俺?」
「そう。部活頑張ってる手」
「皆頑張ってるけどな。…あ、もしかしてフォローしてくれた?」
「へへへ」


どうやら空気を戻すことが出来たので、いよいよ日誌は最後の仕上げだ。1限目から6限目までの授業内容を書き終えて、下の方にある項目を書き終えれば終了である。


「最後!今日一日を終えて…だって。何かある?」
「んー」


授業については細かく(たくさん端折ったけど)書いているので、それ以外にまとめとして書けと言われると困るんだよなあ。肘をついて考え込んでいたら、岩泉くんが手を出した。


「貸して」


私は頷いてペンを渡した。字が汚いからって言ってたのに何を書くんだろうか。有難いけど。岩泉くんはさらさらとペンを走らせてから、すぐに机にペンを置いた。


『白石さんは意外と仕事を頑張る人だなと感じました。岩泉』


何を書いたんだろう?と日誌を見やると、筆圧の高い字でこのように書かれていた。


「……ナニコレ」
「今日の白石の感想」
「えー!」
「だってそう思ったんだから。それしか浮かばねえ」


本気なのかふざけているのか分からないので暫く反応に困った。そんな私を見て岩泉くんが「あはは」と笑ったので、ふざけていたらしい。


「…岩泉くんて、意外と…不真面目、だよね」
「それも書いとくか?」
「いやいや!いい」


慌てて拒否すると彼はまた笑った。何だかいつもより笑顔が多いのは、今日の授業が終わった解放感のせいなのか。
調子が狂うなあと思いながら机に置かれたペンを取ろうとすると、先に岩泉くんがそれを取った。


「俺もう一個書くわ」
「えっ、ちゃんとした事書いてよ?」
「おう」


ほんとかよ、と注意してその内容を見ていると。


『今日から18歳なので頑張ります。』


「誕生日なの?」
「そー。」
「うわあ!おめでとう」
「さんきゅー。いつカミングアウトしようかと思ってたんだよな」
「あ、そうなんだ」


男子っていちいち自分の誕生日を言いふらしたりしないものかと思ってたけど、そうでもないらしい。


「だってせっかく誕生日なんだから誰かに祝ってもらいたいだろ。だからって皆に言われんのも恥ずいし」


なるほどな、男の子って難しいなあ。でもなんとなく気持ちは分かる、「今日誕生日なんだ!」と公言してしまうとお祝いを強要しているように聞こえるし。かと言って誰にも気付かれないまま、知られないまま誕生日が終わるのは悲しい。


「部活の人は祝ってくれないの?」
「アレは別。」
「はは…けど誕生日に日直なんて災難だなあ、私なら誰かに代わってもらうかも」


だって誕生日は早く帰りたいし、友だちとスイーツを食べたり家でご馳走を食べたりしたいし。教室に居残ってぐだぐだと日誌を書くなんて最悪の誕生日だ。私だったら確実に友だちと代わってもらうね!


「俺と一緒でも?」


…と思っていたのに。
予想もしない台詞に目を見開いた。その私を見て岩泉くんはまた「まずいことを言った」と思ったようで、手で口元を覆った。


「………悪い。」
「えっ!いや!ごめ!何?」
「いや何でもない」
「いやいや何!?」
「何でもない」


岩泉くんの手はとても大きいけれど、その手のひらだけでは彼の顔は覆いきれない。まして耳や鼻、必死に私から逸らそうとしている目なんて丸見えだ。そんな自分の顔の見え方には気づいていないのか、ペンを持ってもう一度何かを書き始めた。


『今日は楽しかった』


そして、かしゃんとペンを置いた。それを私が読み上げてから内容を理解できるまで、いったいどれほどの時間が経っただろうか。その間岩泉くんは顔を隠しながらも、ちらちらと私の様子を伺っていた。


「…どういう意味?」


でも、それだけでは分からない。彼はこの質問に少し戸惑ったけど、両手で隠した顔のうち口元だけを解放した。


「白石と日直できたのは…なかなか良い誕生日だと思ってっけど…って話です」


でもすぐに口元も覆われてしまい、喋ったあとの岩泉くんの顔はほとんど見えない状態に。しばらく彼は乙女みたいに顔を手で覆っていたけれど、ふいに鞄を肩にかけて立ち上がった。


「…あー!!はい!終わり!出してくる」
「えっ」
「また明日!!!」


そして、日誌を持ってずかずかと教室から出ていってしまった。

私だって、あれを聞いて何も分からないほど馬鹿じゃない。何も感じないほど鈍くない。これからも適当に過ごしてやろうと思えるほど図太くない。岩泉くんと、今までと同じように接することが出来るほど器用じゃない。

ひとり残された教室でそんな事ばかり頭をぐるぐる回っていたものだから、日誌の「今日一日を終えて」の欄がとんでもない内容のまま提出されてしまったことには意識が回らなかった。

Happy Birthday 0610