20170504


ゴールデンウィークの5月4日、俺はひとりで駅前のショッピングモールに来ていた。新しいシューズを購入するためである。「誕生日何がいい?」と親に言われていたので「シューズが欲しい」と答えたところ、どれがいいか良く分からないから好きなものを買え・と現金が振り込まれていた。

別にこれは愛されてないとかではなく、俺は寮に暮らしていて、同じ県内とはいえ少し遠くに家族がいるので仕方がない。だから有難く電話でお礼を言い、嬉嬉として練習後に駅前へ来たのである。
買い物をする時は一人でゆっくり選びたいので、面白がった部員(川西太一とか、川西太一とか、川西太一とか)がついて来ようとしたのを拒否した。

大きめのスポーツ店に入り、真っ直ぐにバレーシューズのコーナーへ行く。アシックスのシューズを手に取ってしばらく眺め、近くの椅子に腰掛けて試し履きをした。ちょっとサイズが大きいかな、なんて考えていると目の前に誰かの足が現れた。


「お兄ちゃん」
「……??」


お兄ちゃん?思わずあんぐりと口が空いた。しかし今俺のことを「お兄ちゃん」と呼んだこの子は恐らく5歳かそこらだ。こんな子から見れば俺はまず間違いなく「お兄ちゃん」だろう。
そんな事よりどうして見ず知らずの子どもが目の前に突っ立っているのか。


「お名前は?」
「……え」
「あっ、それお父さんのと一緒!」


子どもって自分の思うままに発言するんだな、なんて冷静に思った。どうやら俺の靴がこの子のお父さんと一緒らしい。色が似ているとか、その程度だと思うけど。


「わたし、すみれ」
「…すみれ…ちゃん。お父さんとお母さんは?」
「トイレ!」
「………呼んでもらおうか」


迷子かも知れない。ここはとても広いフロアで、トイレは数カ所にある。このスポーツ店だけでかなりの面積だし、陳列棚が連なっているので人を探すのは難しい。

見たところ外を出歩くのが楽しくて仕方がない様子だったので、これ以上うろちょろしないように手を引いてみた。…俺が手を差し出してすんなり応えてくれたのには正直驚いたし、ちょっとだけ嬉しかった。


「お兄ちゃんの名前は?」
「賢二郎」
「けんじろー」


すみれちゃんが俺の名前を復唱した。「ら」行が苦手なのか、舌っ足らずな声で呼ばれて少しだけくすぐったい。


「けんじろー何してたの?」
「んー…」


何してたって言われると返答に困る。親から自分への誕生日プレゼントであるバレーシューズを選んでいた、んだけど。
それをこの子でも理解できるよう噛み砕いて伝えるのも難しいし言葉に詰まっていると、すみれちゃんは別のことに興味が移ったようだ。


「けんじろ、大きいねー」
「……そう?」
「お父さんみたい」
「はは、お父さんね…」


恐らくきみのお父さんより10歳、あるいは半分は歳下だと思うけどね。と苦笑いしてみるが、この子から見れば俺は充分大きく見えるんだろうな。部活の中では小さいほうだから新鮮だ。


「お父さん好き?」
「好き!すみれね、大きくなったらお父さんと結婚したいの」
「へえ」


娘にそんなことを言ってもらえるなんて幸せだろうな。俺も娘ができたらこんなふうに言ってもらいたい。その前に結婚、そのまた前に彼女を作るところからスタートしなければ。

迷子センターかサービスカウンターの場所を探しながら歩いていると、おしゃべりが好きなすみれちゃんの話はどんどん続いた。


「でもお父さんはお母さんのだから、出来ないから。けんじろーと結婚してもいい?」
「ぶっ」


俺はまだ高校生で、当然ながら女の子にプロポーズもした事がないというのに。先に逆プロポーズをされてしまい、思わず吹き出してしまった。


「な、俺?俺と?」
「けんじろーと結婚する!」
「おい…ちょ…静かに」


小さな女の子のよく通る声で宣言されて、周りの視線が少しだけ自分に向くのを感じた。
俺は不審者じゃない、まともな高校生だ。親とはぐれた女の子を保護している真面目な人間である。そうアピールするために、すみれちゃんの目線までかがみ込んで諭すように言った。


「すみれちゃん、俺は結婚できないよ」
「……なんで?」
「なんでって…あーっと…」
「きらいなの?」
「嫌いじゃな…っす、好きだよ」


こんなの誘導尋問じゃないか。女の子ってこんな歳からここまでマセているのか?


「すみれもけんじろー好き!」


しかし、間近で満面の笑みで「けんじろー好き」だなんて言われると悪い気がしない自分にも驚く。待てよ俺、俺はこんな趣味ではないはずだ。確かに子どもは可愛いけど、だからって小さな女の子にときめくような男ではない。


「…ありがとう。」
「すみれ、今日お誕生日だから!プレゼントもらうの」
「き…今日?おめでとう」


今日、つまり俺と同じ誕生日だ。それには親近感がわいてしまって「おめでとう」と伝えると、すみれちゃんは俺に向かって両手を広げた。


「だっこ」
「だ、抱っこ!?」
「だっこ!」
「……抱っこ…ね…抱っこ…分かった」


仕方ない、抱き上げてしまえばサービスカウンターまですぐに歩ける。すみれちゃんをひょいと持ち上げ、あまり子どもを抱いたことがない俺はとりあえず楽な体勢を探した。
自分でも感じるが、どうもすみれちゃんは俺に懐いてしまったようだ。申し訳ないけどカウンターに預けて早くスポーツ店に戻ろう。


「あ!お父さん」
「うげ」


その時、耳元ですみれちゃんが叫んだ。お父さん?俺を見て不審者が誘拐していると思われたらたまらない、怖い人だったらどうしよう。


「すみれ!すみません」
「…い、いいえ」


振り向くとそこには物腰の柔らかそうな男性が立っていた。内心ほっとして、この人がすみれちゃんの結婚したいお父さんか、なんて頭をよぎる。


「うろうろしちゃ駄目って言われただろ。すみれ、お兄ちゃんにありがとうは?」
「お兄ちゃんじゃないよ、けんじろーだもん」
「け……」
「あ、すみません…賢二郎です」


俺が名乗ると、それはどうもすみません、と彼は頭を下げた。娘が見ず知らずの高校生を呼び捨てたんだから焦るだろうな。


「お父さん!けんじろーの誕生日いつ?」
「お父さんは知らないよ……、すみません差し支えなければ」
「あ、はい…いや…今日…です」


だって今日だから。嘘をつくのも何だかなあと思って、言いにくいけど正直に伝えた。すみれちゃんのお父さんは「えっ」と声を上げて気まずそうに再び頭を下げた。


「…スミマセン」
「いやこちらこそ、何かすみません」


俺が今日生まれたばっかりに。
まだ俺の腕の中にいるすみれちゃんは、この会話を聞いてずいと顔を近づけてきた。


「今日なの?」
「そうだよ。すみれちゃんと一緒」
「プレゼントもらった?」
「んー…まだかな」


今からバレーシューズを選んで購入するところだったから、まだ、と答えた。すみれちゃんが腕の中でもぞもぞ動いたので落っこちないように力を入れていると、彼女は更に顔を近づけた。


「プレゼントあげる」


プレゼントあげる、その意味を図りかねていると頬に何かが触れた。
すみれちゃんの、唇である。


「………」
「すみれ!!?」


俺はもう硬直してしまって、お父さんは真っ青になりすみれちゃんの名前を叫んだ。

俺もかなりの衝撃を受けたが彼の方が倒れてしまいそうだ。娘がほかの男の頬にキスをしたショックと、その相手が初対面の高校生である事の申し訳なさで頭が一杯であろう。


「ふふー」
「ふふー、じゃない!すみませんすみません本当にすみません!」
「……いえ…」


すみれちゃんはお父さんに叱られていたけど何が悪いのか分かっていない様子で、にこにこ笑っていた。まあ、悪い事をしたわけではないのだけど。

お父さんが手を差し出すとすみれちゃんは素直にお父さんのほうへ移り、やっと俺の両腕は解放された。子育てを舐めていたな、なかなか重い。

最後にお父さんが頭を下げてくれたので、俺もお辞儀をしてすみれちゃんに手を振った。すみれちゃんは短い手をぶんぶん振って、フロア内に響く大きな声で叫んだ。


「けんじろー、またねぇ」
「うん」


俺の姿が見えなくなるまで叫んでいたのだろう、何度か「けんじろぉぉ」と叫ぶのが聞こえ、その度にお父さんが「こら!お兄ちゃん困るだろ!」と叱るのが聞こえた。

この奇妙な出会いのおかげで、バレーシューズを選ぶだけの誕生日が少しだけ和やかになった気がする。おまけに俺の頬には「小さな女の子からのキス」というお金では買えないプレゼントが贈られたのだ。すっげえ柔らかかった。

唇の当たったところを撫でながら、すみれちゃんが「プレゼントあげる」と笑う顔を思い出す。心が洗われるような感覚と、あんな小さな子にこのような感情を抱く自分に焦りを覚えた。

俺はまだ今日で17歳になったところだ。ぎりぎり許されるだろう、と自分に言い聞かせながらスポーツ店へ戻ることにした。

Happy Birthday 0504