20.あしたへ


春の高校バレー選手権大会、宮城県代表決定戦が終わった後。
帰りのバス内はとても静かだ。時折誰かの咳払いが聞こえるだけで、天童さんですらしゃべる時は小声を意識しているようだった。さっきまで試合をしていた建物がだんだん遠ざかるのを見ながら誰もが思っているはずだ、「ああ負けたんだなあ」と。夢みたいに曖昧で、なのに嘘みたいに清々しい気分であった。


監督が去り100本サーブを終えてから、3年生に呼ばれた。さきほど牛島さんが一人一人に言葉を残していたが、どうやらそれ以外にも何かあるようだ。


「怒られんのかな…」


俺はさっきブロックの要だとか何とか言われてしまって、あまり責任の重い仕事が苦手なもんだから憂鬱な気分だった。俺にはまだその力が無いから、そうなるようにしっかり励めよっていう意味だ。
その点、賢二郎は頼られるのを誇りに思いそうなタイプだよなと思いながらちらりと見ると、どうやら浮かない顔である。


「怒られるほうが有難い。褒めちぎられるよりは」
「言えてる」
「俺なんか瀬見さんに生意気言いまくったからな、いっそのこと最後にぶん殴ってくれたらいいのに」


賢二郎が饒舌である、ということは烏野に負けたショックは多少和らいでいるらしい。俺がこうしてこいつの横で様子を伺い、機嫌をとり、他の部員との関係性を助言してやれるのもあと一年間か。

俺はそんな物思いにふけっていたが、体育館の端にたむろしている先輩たちのところに着くと、全員いつも通りの顔だった。


「太一お疲れー。寂しいね」
「そうですね」
「お前寂しいって思ってないだろ」
「やだなあ、思ってますよ」


めちゃくちゃ寂しいが顔に出すのはどうも照れくさい。山形さんが俺の頭をわしゃわしゃ撫でてくるので、いつもなら身を躱すんだが今日は甘んじて受け入れた。だってこんなの、もう最後なんだろうから。

俺が山形さんに髪型をぐしゃぐしゃにされていると、瀬見さんが一歩前に出た。そこは賢二郎の真ん前だ。まさか瀬見さん、マジで最後に一発殴るつもりか?止めないけど。


「言いたい事は、全部若利が言ってくれたんだけど…」


しかし、そんな殺気立った空気は一切なかった。瀬見さんはたいそう言いづらそうに賢二郎から目をそらし、とても伝えたい事があるのに何かが引っかかっているような、もどかしい表情をしていた。


「本当に?」
「へ?」
「本当に牛島さんが全部言ってくれましたか、瀬見さんの気持ち」


賢二郎もそれに気付いたようだ。瀬見さんの顔をじっと見上げながら言った。瞬間、その場の全員が動きを止めたと思う。


「瀬見さんの言葉でお願いします。瀬見さんから。そうでなきゃ留年してもらいますよ」
「マジかよ」
「居なくなるのは辛いって事です」


同い年の俺から見ても、生意気だ。しかし先輩たちは賢二郎が今、ここ二年間で最も素直に口をきいているのを感じ取った。
だから誰も口を挟まず、瀬見さんも言葉が出てこず、賢二郎も口をもごもごしていた。こいつ、泣きそうになってるんじゃないか。


「…色々とすみませんでした。ありがとうございました」


最後に賢二郎は深く頭を下げた。

この時の俺の感動が皆に伝わっているだろうか。瀬見さんの気持ちを誰が理解出来ただろうか。ほら、瀬見さんは今この瞬間に起きた出来事が信じられずに目を見開いている。


「………誰か白布に変な薬飲ませたろ?」
「は?本心ですけど?」
「嘘つけお前、罠だろコレは」
「失礼な」
「こいつに薬を盛ったとすればすみれですけどね」
「てめ、太一…」


賢二郎が俺の脇腹を突いた。痛い。それを区切りにちょっとだけしんみりした空気は元に戻り、俺たち二人に先輩からは別れの言葉が告げられた。お別れと言ってもまだ11月だから卒業までは先なんだけど。


「…まあまだ俺たち、寮にも学校にも居るし」
「あ、そうか」
「辛くなったら呼んでもいいよ賢二郎クン?」


天童さんがいつものテンションを取り戻して、賢二郎の顔をのぞきこんだ。
これも普段の賢二郎なら面倒くさそうな顔をして終わりだったのに。一瞬きょとんと目を丸くした後で、楽しそうに言ったのだった。


「呼んだらすぐに来てくれるんですね?」





「…お前まじで性格変わってるんだけど」
「変わってねえし」


…と、二人だけになればいつもの賢二郎だ。歩く度にぴょんぴょん跳ねる賢二郎の髪をぼんやり見つめながら俺は考えていた、こんなにも白布賢二郎という男が成長した理由を。


「すみれのお陰かなあ……」


結果出てきたのは、ひとりの女の子の名前である。もちろんチームプレイをする上で関わった部員達、先輩からの影響だって計り知れないだろうけど、賢二郎を格段に大人に仕立てあげたのは彼女だ。


「…そうかもな。それだろ、たぶん」


制服に着替え終わり、今日の昼間に決勝戦に敗北したとは思えないほど爽やかな気分で部室を出る。と、部室棟の前にはすみれが立っていた。


「二人とも、今日はお疲れ様でした」


そして、賢二郎が瀬見さんにしたのと同じような頭を下げた。


「え?な、何だよ?」
「……だから、お疲れ様でした」
「そうじゃなくて、なあ賢二郎」
「すみれ、頭上げて」


賢二郎が声をかけてもすみれは動かなかった。身体だけはゆっくり起こしたようだが顔が俯いているところを見ると、ああ、そういう事かと思って俺は一応顔を背けた。


「何ですみれが一番悲しそうなんだろうな」
「…だっでぇぇぇぇ」
「そりゃあすみれだってずっと関わってきたんだから。普通に悔しいっしょ」


俺が言うと、すみれは無言で頷いた。まだ泣いているみたいだけど、賢二郎のせいで泣いてるわけじゃないなら別に良い。夏休みが開けてふたりが無事に仲直りしたあの時から、賢二郎は彼女への態度を改めたのだ。

部員も賢二郎とすみれが破局したことを知っていたので、再び付き合い始めたことが知れた時(やっぱり天童さんが一番に気付いていた)には驚いていた。が、賢二郎の変化を誰もが分かっていたので何も言わなかった。


「俺、前のままだったらこんなに冷静で居られなかったかもな。先輩たちに認めてもらえる事も無かったかも知れない」


やはり本人も実感しているようだ。賢二郎は無理やり涙を拭うすみれに向き直ると、静かに言った。


「ありがとう。すみれ」
「………」


やっと涙が収まりかけていたようだったのに、その瞬間またすみれは感極まったみたいだ。
俺ってこのまま居ると邪魔だよな。どうせ夜にはどちらかの部屋で賢二郎と話すんだし、今はふたりの時間を楽しんでもらう事にしよう。


「俺、先に戻るわ」
「おお。…あ、太一」
「んー?」


すでに俺は何歩か進み始めていたので、次に踏み出した一歩を軸足に振りむいた。


「太一も、ありがとな。色々」


強い風が吹いた。砂ぼこりや枯れ葉が舞い上がって、何かが目の中に入った。…ような気がする。それを理由にして俺は、賢二郎の言葉に目頭が熱くなるのを誤魔化した。


「……何言ってるんですか賢二郎さん。お前らが喧嘩してたら俺に飛び火するから協力しただけですけど」
「はいはいありがとう」


賢二郎もなんとなく察したのかそんなふうに軽い言葉を返してくれたので、「また明日」とすみれに手を振り俺は今度こそ寮へ向かった。

背後からは「そう言えば明日も朝練か」「休む暇無いね」などと仲睦まじい会話が聞こえてくる。これなら俺も、あれこれと思考を巡らせて陰ながら二人のために働いたかいがあるというものだ。


今後に向けてさらに気合の入る二人を背に、俺は寮への道を一歩ずつ進んだ。そうだ、休む暇はないんだ。そして恐らく今後、賢二郎が部内を掻き乱すこともすみれを悲しませることも無いのだろう。俺自身も二人に振り回されていた気がするけど、嵐のように過ぎた時間であった。

昼間に汗をかいたせいで身体が冷え始めたのか、鼻がむずむずする。花粉なんか飛んでいないはずなのに、目から何かがじんわりと溢れてくる。

肌寒くなる季節だしそろそろ彼女が欲しいな、恋がうまくいかなかったら頼もしい助っ人が手を貸してくれるんだろうし。喧嘩の仲直りなら、ふたりに助けを求めれば一発で解決してくれそうだ。

俺も、良い人探さなきゃ。