02


女の子にこういう感情を抱くのは初めてのことではない。
中学の時だって、バレンタインにチョコレートをくれた子をいいなと感じた事がある。でもその子は何人かの人間に渡していたし、バレー部の同級生に渡しているのも見えて気分が落ちたっけな。

だから告白したりされたり付き合ったりしたことも無く、気づけば月日が流れ受験勉強に追われて恋愛なんか頭から消えていた。それでも道行く女の人を見ては綺麗だな、とか考えることもあった。

でも特定の女の子の事が一晩も頭から離れなかったのは初めてである。名前を聞き忘れるという初歩的ミスを犯した自分が腹立たしい。せっかく向こうから俺の名を聞いてくれたというのに。


「いつに無くシワが深いね」


目ざとい月島は俺の顔を見るなりわざとらしく笑ってみせた。そんなにシワが寄っているか?一体どんな顔になっているのか?女の子を怖がらせるような顔だと困る。
普段鏡の前に立たない俺だが、部室の壁に唯一かかっている指紋だらけの鏡に向かって自分の顔を確認してみた。


「鏡なんか見ても王様は王様だよ?」
「うるせえな…」
「はいはい」
「どうした影山怖い顔して」


そこへ、ちょうど部室に入ってきた菅原さんにも「怖い顔」だと言われてしまった。どうしろって言うんだよちくしょう、せめて威嚇なんかしてないぞとアピールするしか無いか。

昨日の別れ際の感じだと、嫌われてはいないのだと信じたい。
あの子はきっと、ぐんぐんヨーグルいちご味を買える貴重な自販機として今日もあそこにやって来るだろう。昨日と同じくらいの時間帯を狙って行ってみよう。





そして待ちに待った昼休み、待てども待てどもあの子は来なかった。
ぐんぐんヨーグルを1パック飲み干しても来ない。無駄にもう1パック購入して飲んでしまった。俺の額からはただただ暑さのせいで汗が流れていた。これも無駄な汗である。ぎりぎりまで待っても来なかったので、諦めて教室に戻った。

もしかして俺があそこにいるのを見て、嫌がって来なかったのでは無いだろうか。だとしたらこの気持ちはもう救いようがない。
どうしたもんか、もう一度会って名前を聞いて、距離を縮められるかどうか試したいのに。


「影山くんはスランプですか?」


夕方の部室で、ついに日向にまで指摘されてしまった。しかし「スランプ」などというのは聞き捨てならない。バレーボールでスランプに陥った事なんか無いからだ。


「んだとコラ。スランプじゃねえよ」
「けど、いつに無く顔コエーぞ!」
「……マジか」
「マジです。」
「今朝からちょっとご機嫌ななめだよな」


菅原さんも苦笑いである。日向は「ほら見ろ」と俺の顔を指さすので、その指を思い切り握ってへし折りたいのをの堪えつつ部室を出た。





バスに揺られ、最寄りのバス停を降りたところにコンビニがある。

坂ノ下商店で買い食いをしなかった日はいつもそこで肉まんなり何なりを買うのだが、今日は売り切れとなっていた。ついてない日だ。
どうしても空腹だったのと、肉まんを食べる気分になってしまっていたので、もうひとつ向こうの角を曲がった別のコンビニに行ってみることにした。

そこは大きめの通りに面していて、本のコーナーには立ち読みしているサラリーマンが数名。その他にも何人かの客がうろうろしていた。
俺は真っ先にレジ横にある棚を見て肉まんの在庫を確認すると、客が並んでいないレジの前へと向かった。


「肉まんください」
「はい、肉まんですね」


財布を取り出しながら金額はいくらだったかなと顔を上げると、心臓が大きく跳ねた。
カウンターをはさんだ向こう側にいる店員も同じく目をぱちくりさせている。…あの子だ!


「影山くん?」
「…ちわす……」


こんなところで会うなんて予想外だったもんで、会ったときに言おうと思っていた台詞たちはどこかに飛んだ。大した台詞なんか考えてなかったけど。
彼女は肉まんを取り出し袋に入れて「ええと、120円です」と言った。


「…ん。」
「はい、120円ちょうどいただきます」


ひとつひとつの言葉を確認しながら丁寧に言っているのは、彼女の胸に「研修中」のバッジがあるせいだろうな。そしてラッキーなことにその上に、「白石」と書かれたバッジをしている。これで名前を知ることが出来た。


「レシートはご入用ですか?」
「…ください」


レシートなんか要らない。いつも「要らない」と答えるし、貰ったとしても「不要なレシート」と書かれたところに突っ込んで終わりだ。なのにわざわざ「ください」なんて言う自分に驚いた。
しかし受け取る瞬間、俺は俺に感謝した。少しだけ白石さんと指が触れたのだ。


「…どうも」
「はい。熱いので気をつけてください!」


マニュアル通りの文言なのだろうが、いちいち敬語でそのまま言ってくるのが可愛くて顔を直視できなかった。

俯いたまま肉まんを受け取ったはいいが、すぐにレジから去ったのでは勿体ない。どうするべきか。「名前、白石さんて言うんだな」とか「今日もいちご味飲んだのか」とか、何か会話を振れよ。何も無いのか?このポンコツが。

緊張して脳が働かない自分に舌打ちしながら、出てきた言葉は「じゃあ…」だけだった。


「あ、影山くん」


そして一歩踏み出した時、彼女のほうから名前を呼ばれてどきりとした。部員に指摘された眉間のしわを必死で伸ばして振り返ると、カウンター越しに白石さんが笑っていた。


「家、このへんなの?」
「……ああ」
「そうなんだ!私も近いんだよ。先週からここでバイト始めて…」
「へえ…」


へえ、じゃないだろ?「頑張れ」とか出てこないのかよ。俺は頭を殴りたくなった。

そのまま無言で立ち尽くしていると、やがて別の客が白石さんのレジ前に立ってしまい「いらっしゃいませ」と彼女はその客へ笑顔を向ける。ああ、今夜も後悔の念で眠れない。
肩を落として出口へ向かう俺の背中に向けて、最後にもう一度だけ声がした。


「影山くん!またお越しください!」


驚いて振り返ると、レジ打ちの合間に一瞬だけ目が合い、にこりと微笑む白石さんが居た。客のおばさんは「知り合い?」なんて言っている。
「あっ、すみません。同じ学校で」と慌てる姿を目に焼き付けて、自動ドアをくぐり外に出た。

烏養コーチすみません、今度から肉まんはここで買います。

純情は引き出しの中