01今年の梅雨は例年よりも晴れの日が多いでしょう、水不足にご注意ください。
ほぼ毎年アナウンサーのそんな声が聞こえるので、本当に水不足なんてやって来るのだろうかと不思議になる。だってスーパーに行けば2リットルの水はいつでも大量に置いてあるし、コンビニで飲み物を切らしているのを見たことがないし、自動販売機で「売り切れ」の文字を見ても翌日には補充されている。
運悪く昨日は、いつも飲んでいるぐんぐんヨーグルが売り切れであった。俺以外の人間が飲んでいるところなんてあまり見たことが無く、あの自販機でぐんぐんヨーグルが売り切れていたのは初めてだ。
昨日は仕方なく別のものを買って凌いだが、やっぱりルーティンを崩されると調子が悪い。この国の交通網、情報網、テクノロジー、よく分からないがそのへんの自慢のシステムを使って今日こそは補充されているんだろうな?と昼休みに校内を歩いていた。
◇
校舎の近くとも遠くとも言えない微妙な場所にあるその自販機が見えると、どうやら先客が居るようだった。
俺が自販機に到着するまであと10秒はかかるだろうし、その間にあの人は飲み物を買い終えるはずだ。何たってもうボタンを押しているところだったから。
しかし俺が自販機の前に着いてもなお、その人物はその場に留まっていた。これでは俺がぐんぐんヨーグルを買うことができないではないか。ちらりと自販機に目をやると、ぐんぐんヨーグルは売り切れていない様子…やった、と心の中で呟くがこの人が買い終えなければ俺の番が来ない。
なかなか動かないその人、恐らく同学年の女子生徒を見ると彼女はまたボタンを押した。「ぐんぐんヨーグルいちご味」である。なかなか味の分かる女だなと感心する反面、さっさとどけよと苛立ちも出てきた。
「あの」
と、しびれを切らして声をかけた瞬間にふと気付いた。自販機の調子がおかしいみたいだ。何度かボタンを押しても何も出てこず音もしないようである。
「あ、すみません…なんか出てこなくて」
さっきまでの順番待ちの苛々が伝わってしまったのか、その女子は申し訳なさそうにこちらを振り向いた。やばい、初対面なのに心の狭い男だと思われたんじゃたまらない。このままでは俺の求めるものも買えないし、一歩進んで自販機の前に立った。
「……これで良いっすか」
念のため、希望しているのはぐんぐんヨーグルいちご味で間違いないのか聞いてみると彼女は頷いた。
代わりに俺が押してみるが、出てこない。強めにぐっと押し込んでみるも無反応。太陽は照りつける。くそ、また苛々してきた。
「ちょっと、すんませんけど…」
こうなれば、これしかない。他にやりようがあるのかも知れないが、他には浮かばない。
その人に少しだけ下がってもらうように手で促してから、がつんと一発自販機を蹴りつけてみた。「わっ」と驚く声が背後から聞こえたが、お前(と俺)のためにやってるんだから見なかったことにして貰いたい。
反応が無いのでもう一度強めに蹴ってみると、自販機から変な音がし始めた。まずい壊したかもしれない。少し焦りはしたものの数秒でその音は止み、がたん、と音を立てて何かが出てきた。
「……あ!出た」
それと同時に背後からも感動したような声がした。かがんで中からパックを取り出し、それがぐんぐんヨーグルいちご味であるのを確認してから渡すとその子は両手で受け取った。
「ありがとう!…ございます??」
「や…俺、1年っすから」
「あ、私も1年!」
じゃあタメ口でいいか、と笑うその顔に少しだけ顔が熱くなるのを感じた。たぶん太陽のせいだな。俺も早く買って水分補給しよう、と小銭を入れてぐんぐんヨーグルのボタンを押した。
「あ、味違いだ」
俺がぐんぐんヨーグルを買ったのを見て、その子が言った。すでにストローを刺していちご味を飲み始めている。
「あ、ごめん。これ好きな人って珍しくて」
「…俺はいつも飲んでる」
「いつも?…昨日も飲んだ?」
「昨日は売り切れてた」
俺がストローを刺しながら言うと、その子は目を丸くした。そんなに俺がぐんぐんヨーグルを飲むのはおかしいだろうか、と思いながら待ちわびたそれを吸い上げる。ああ、うまい。きちんと冷えている。
「実は昨日、私が最後だったんだ…いちごと間違えてボタン押しちゃったの」
「ああ…」
「ごめんね」
「いや、別に大丈夫」
間違えて押したとは言え売り切れになったのは運が悪かっただけだし、相手は女の子だし。そこまで食い意地…飲み意地?も張っていないので気にしなくていいと伝えると、どうやらほっとしたようだった。俺はそんなに怖く見えるのか。
日向にいつもしかめっ面だの何だの言われているが、日常生活で他人を怯えさせるほどなら改善が必要かもしれない。
「いちご味ってなかなか売ってないんだよね」
「へえ」
「だからここで買うのが日課で……やばっ!次体育だった!」
せわしない女の子だ。いちご味を飲みながら喋っていたかと思いきや、はっと我にかえり次の授業の用意を思い出したらしい。
5限目の開始まで10分ちょっと。更衣室までの移動や着替えを考えると、確かに急いだほうが良さそうだ。
「じゃ!…あ、えーと…何くん?」
「………かげやま」
「影山くん」
俺が名乗ると彼女は名前を復唱した。苗字を呼ばれただけでまた少しだけ熱くなった。
おかしいな、俺は今冷たいぐんぐんヨーグルを飲んでいるはずなのに。まだ飲み足りないのかも知れない。思い切りぐんぐんヨーグルを吸い上げると、去り際にその子が言った。
「ありがとね、影山くん!」
そのまま振り向いて校舎のほうに駆ける後ろ姿を、ぼんやりと眺めるしかなかった。
とうの昔にぐんぐんヨーグルのパックは空っぽだ。いつの間にか飲み干してしまったのだ。太陽に照らされる自分の熱を下げるために。しかし俺が熱を感じているのは、どうやら日差しのせいではないらしい。
…あの子の名前、聞いとけば良かった。
自由落下は指先から