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合宿を終えてから、タイミングを図ったかのように及川さんからメッセージが来ていた。『この間わざわざ伝えてやった事を無駄にしたらぶっ殺す』といった内容である。
及川さんにしては珍しく面倒見の良さを感じた。だから俺も素直に返した。『お陰様で彼女と仲直りできました』と。


『お前に恋の手ほどきをしてやった記憶は無いんだけど?』


今度は電話だ。電話口の向こうでは岩泉さんが「何してんだよ」とどやす声が聞こえてくる。

そういえば俺は及川さんに恋愛のアドバイスなどされておらず、日向への考え方を改めろと言われたのだった。しかし、その結果日向との新しい速攻も成功し彼女との関係も修復したようなものだ。


「や、結果的に及川さんのお陰っす。ありがとうございます」
『は?ていうか何?彼女いんのお前』
「居ます」
『嘘だろ』
「居ます」


そしてしばらくの間。ミュートにされたのだろうか、本当に何も聞こえないまま10秒間ほど経過した。

その間に俺はいつも部活の昼休憩にすみれと過ごすベンチまで歩き、久しぶりに二人並んで座れることへの期待に胸を踊らせていた。心の中で気持ちよくステップを踏んでいるとまた及川さんの声が聞こえ始めた。


『…分かったから分かった、岩ちゃんイタイって。飛雄の彼女ってマネージャーの子?一年の。髪色暗いほう』
「え、 」


ぴたりと足が止まった。4月の練習試合もインターハイ予選も青城と試合をした時にはすみれが居たが、及川さんの前で親密に接していた記憶はない。練習試合の時なんかまだ付き合ってもいなかったし、好きだという気持ちも芽生えていなかった頃だ。


「何で分かったんすか」
『…ふっふふふ。何でだろうね』
「気持ち悪いんですけど」
『失礼だな!本人に聞いてみたら良いんじゃないの。彼女でしょ?仲良くしろバーカ』


そして突然通話が切られた。途方に暮れていると続けて岩泉さんからのメッセージ、『こいつ振られたばっかで情緒不安定だからごめんな』との事。岩泉さんから一年以上ぶりに来たメッセージがこんな内容だなんて変な感じだ。

そんな事より重大なのは及川さんがどうしてすみれとの関係を知っているのか、だ。
あの話しぶりだと俺と知らないところで及川さんとの関わりがあったように思える。やっと東京の奴らに彼女を奪われる恐怖から解放されたっていうのに。


「お待たせー」


俺が先に座っているとすみれがやって来た。部室の冷蔵庫からサンドイッチを取ってきたらしい。そしてそれとは別になにか袋を持っていて、俺に差し出してきた。


「はい」
「…?? なんだこれ」
「えーと…速攻成功のお祝い」


照れくさそうにへらりと笑う顔はどうにもこうにも可愛くて、片手で「ありがと」と受け取るので精一杯だ。さらに中には好物であるぐんぐんヨーグルがいくつも入っていた。


「すげえ」
「でしょ!うちのお母さんがスーパーのくじで当てたんだって、そんでコレ飛雄くんにあげたらって言われて…あ」
「ん」


すみれは手で自分の口を押さえた。今の言葉は失言だったのだろうか。「どした」と聞くとしばらく口を覆ったまま唸っていたが、やがて両手を下ろした。


「…や、えーと、私お母さんに飛雄くんの事…ごめん嬉しくてつい報告してるんだけど、付き合ってる事」


そして、聞こえてきたのは驚くほど平和な内容で拍子抜けした。
言った本人は申し訳なさそうにしているが、隠さなくても良い事だし、家族にまで俺の事を伝えているなんて誇らしい事だ。彼女の父親が、娘を奪った俺を殴る気が無いのであれば。


「…別に事実なんだし…」
「ほんと?よかった」
「……それより」


それより今はすみれの家族の事ではなく、先ほどの及川さんとのやり取りについてだ。


「なんで及川さんが俺達のこと知ってるのかが気になる」


そう聞いた瞬間、すみれが数度の瞬きをした。彼女が俺に隠れて何かやましい事をしているなんて考えてはいない。しかし俺の知らないところで、別の男との間にしか分からない話が進んでいるのはとても嫌だ。俺の心が狭いのかも知れないけど。
すみれの全部を知っておきたいし、いつだって俺が一番すみれを知る人物でありたいのだ。


「……及川さんが?」
「さっき電話してたら、マネージャーと付き合ってんだろって」
「なんで………あっ」


すみれはどうやら何かを思い出した。そしてその時の記憶を掘り起こすように頭に手を当ててうーんと唸り、その時のことを話し始めた。


「たまたま会って…本屋さんで」
「いつ」
「合宿の前かな」
「で、どんな話した?」
「えーと」
「及川さんに何かされてないよな」


俺は思わず食い気味に質問してしまった、だって相手はあの及川さんだ。
いくらそういう事に疎い俺でも及川さんの外見が整っていることは分かる。それに劣らない内面的魅力も、女子にとってはあるのだろうと思う。なんたって俺が現時点で唯一、自分より優れたセッターであると認めている人だ。今年中に超える予定だけど。

だから知らないうちに及川さんと二人で会っていたなんて聞いたら、一気に思考が止まってしまった。しかし俺がまくし立てるように質問したおかげで、すみれは少し機嫌を損ねたようだ。


「…飛雄くんの話しかしてないもん」


俺がすみれをこんな顔にさせるのは初めてかも知れない。今までいつも笑っていたし、拗ねたりいじけたりする事は無かった。
だから口を尖らせて、何かが不満であるというふうに俺を睨むその顔が可愛く感じてしまって自分でも驚いた。


「飛雄くんの話しかしてないもん」


もう一度言うと、すみれはむすっとしたままサンドイッチを食べ始めた。この恐ろしいほどに可愛い生き物は俺の彼女なんだよな、俺のことが好きなんだよな?その事実が夢みたいで更に恐ろしい。


「怒ってんのか?」
「怒ってないけど…」
「嘘つけ」
「だってさあ」


するとそこから堤防が壊れたかのように色々と話し始めた。こんなにあんなに我慢していて何とかどうにか力になって離れている間も文句ひとつ言わなかったのに及川さんとの仲を疑われるとは何事か、偶然会っただけなのに!という事をパンが口から吹き飛びそうなほど。


「…って言ってんのに!聞いてる?」


しかし俺は話の内容なんかあまり入ってこなかった。目の前できゃあきゃあ話す物体があまりにも可愛かったもんで。
全然聞いてないなかった事を正直に言うのは良くないかもなと思い、適当に話をまとめた。


「ひとまず及川さんと何も無いのは分かった、ごめん」
「当たり前じゃん」


サンドイッチを食べ終えたすみれはビニール袋にゴミを入れ、それをまた鞄に仕舞うと一息ついた。
その動作ひとつひとつを真正面から全部見たいのだが、隣に座っているのでそれが出来ない。視界の端で動くすみれの手をちらちら眺める事しか。しかしその手が少しずつ近づいてきて俺の手に重なった。


「…夏だねえ」


そして、ぽつりと言った。午前中に流した汗がやっと乾いたところだが、急に自分のにおいが心配になり、気付かれないようにくんと鼻を働かせる。


「汗臭くねえか俺」
「大丈夫」


そんな俺をよそにすみれはだんだん近づいてきて、身体を横に傾けてきて、ついにその柔らかな髪の毛が俺の肩に触れた。せっかく汗がひいたのに、また体温が上昇してしまうじゃないか。

いつの間にか俺たちは手を繋いでいて、コトンと肩に重みを感じた。
また、ぐんと熱くなった。顔を向けるとそこにすみれが頭を乗せている。彼女も汗をかいたはずなのに、不思議と良いにおいだ。

しばらくそのまま無言であったが、すみれがずっと心に仕舞っていたであろう事を言った。


「……もう別れんの嫌だからね」
「分かってる」
「一生だからね?」


あの日の夕方、「恋人でいるのはいったん辞めにしたい」と伝えた時をすんなり受け入れた彼女であったが、本当はそんなの嫌だったのだ。要領の悪い俺が必死に見つけ出した、唯一の選択肢だからこそ受け入れただけなんだ。
それに比べて彼女の希望はとても容易いものであった。好きな女の子と今後別れずに、一生一緒に居てよと頼んでもらえる名誉ある要望を断る男は居るんだろうか?

今年の夏は例年よりも暑くなると天気予報のリポーターが言っていた。特に宮城県仙台市、烏野高校は群を抜いているだろう。
何故ならこの休憩中は動いていないのに、もうこんなにも身体が熱い。

夏の鼓動が止まるまで