20170415


本日めでたく俺は17歳となった。しかし日付が変わる瞬間は既に寝ていたし、朝起きて部室に到着しても、17年前の今日俺が誕生した事を知る者は誰ひとり居なかった。
家族とは離れて寮生活、彼女も居ない男子高校生には大したイベントでは無いのだ。

それでも親からメールが来ていたり、俺宛のプレゼントらしきものが実家から届いていたりするので、今日が誕生日なのだという実感は湧く。わざわざ遠い高校に通わせてくれる親に感謝をしつつ、いつもの通り朝練へと参加した。


「川西、天童に引っ付け」
「……え、はい?」
「天童を手本にして動けと言ってる」


それならそうと言ってくれ。牛島さんに朝一番に出された指示は三年生の天童さんの後ろにくっついておけ、という事だった。
なんとなく俺を天童さんのようなブロッカーにしたいのかなと思えるが、俺には絶対無理。一か八かの勝負なんかしたくないし。外れた時なんて俺、絶対凹むし。繊細だから。


「えーと名前なんだっけ?」
「川西です」
「四文字か。長い!」
「…太一です」
「そっちにしよう。太一、白鳥沢にはもう慣れた?」


もう入学してから一年経ったのに今更何を聞くのか。天童さんが少しおかしな思考の持ち主であることは一年間のうちに嫌という程思い知らされたから良いのだが、苗字すら彼の記憶に残っていなかったとは残念だ。


「若利クンがねえ、川内には期待してるって言ってたからさァ」
「はあ。川西ですけど」
「ややこしーな!」
「だから太一でいいですって」


その後も俺の事を川田と呼んだり太郎と呼んだり散々であったが、ひとまず朝練が終わる頃には「お疲れ太一」と正しい名前を呼ばれたのでほっとした。
先輩に名前すら覚えられない誕生日。なんだこりゃ。


「ああ、俺も白井とか白田とか言われるけど。違う名前で呼ばれた時は無視してる」


教室に向かいながら賢二郎も同じような悩みを抱えていることを知った。
と言うか賢二郎は特に悩んではおらず、それどころか先輩を無視していると言ってのけた。聞こえないふりが上手そうだもんな。天童さんも一度や二度無視されたくらいでは何も感じなさそうだ。


「これから嫌でも覚えてもらえるだろ。俺もお前も晴れてベンチ入りだからな」


賢二郎は涼しい顔で自分の教室へと入っていった。あいつは嬉しい時も悲しい時もあんな顔だ。
実は今は「嬉しい時」で、先ほどの部活で俺と賢二郎はベンチメンバーに加えられることが発表された。だから今日から天童さん直々の指導を受けることになったんだろうか。賢二郎も瀬見さんと居るのを見かけたし。

俺も自分の教室へ入って席に座り、朝のホームルームの用意を始めた。
正確には、一限目の英語の宿題をこっそりとやる為にノートを広げた。ホームルーム開始まで5分ほど、ホームルームが5分ほど。10分あれば適当なそれらしい和訳が出来るかな。


「川西くん」


その時突然、高い声で名前を呼ばれた。この教室内には、用もないのに俺の名を呼ぶほど仲のいいやつはまだ居ない。しかも女の子。なんだろうと顔を上げると、声の主が立っていた。


「…はい。川西です」
「これ落としてた」


そう言って差し出されたその子の手にはハンカチが握られていた。

そうだそれは俺のだ。ハンカチなんか持ち歩く柄じゃないと思われるかもしれないが、花粉の舞うこの季節には必要である。悔しい事に恐らく今年から、宙を舞うほんの小さな粒子に俺は苦しめられる事になったのだ。


「あ、俺の」
「さっきポケットから落ちてたよ」
「ありがと…」


名前も知らないその子は恐らくこの春同じクラスになった子で、ハンカチを手渡してくれた。

しかしこのハンカチには名前を書いたりしていないのに彼女はどうしてすんなりと俺の苗字を呼べたのだろう。つい先程、何度訂正してもきちんと呼ばれなかったという事もあり不思議になってきた。


「…なんで俺の名前知ってんの?」
「え…なんでって」


その子は困ったように眉を下げた。
あれもしかして去年も同じクラスだったっけ?いやそれは無い、見覚えがない。いくら何でも一年の時のクラスメートは覚えている。

頭の中で様々な可能性を挙げていると彼女は口を開いた。


「始業式の日、自己紹介で名乗ってたじゃん」


ああ、一発で名前を覚えられるのってこんなに嬉しいんですね。





ちょろいよなあ、自分でもちょろいと思う。同じクラスになったばかりの子が名前を覚えてくれていた、それだけで特別な感情を抱いてしまうなんて。

それもこれも天童さんが俺の名を覚えていなかったのが悪いんだが。
朝練のあれが無ければこんな事にはならなかったんだ、俺が白石すみれというクラスメートを必死に目で追う事になんか。


「川西くん」


きた、本日二度目の女子からのネームコール。その声の主はもう把握している、白石さんのものだ。今朝の英語の授業で彼女が当てられていたので、俺も無事に白石さんの名前を知ることができた。

その子がどうしてまた俺の席に来て俺の名前を呼んでいるかは、今から繰り広げられる会話を聞いて推測してほしい。


「はい川西です」
「……これ」


白石さんはホームルーム前と同じように、ホームルーム前と同じものを手に持ち俺に差し出した。深緑の、俺のハンカチを。


「また落ちてたよ」
「あー、ありがと」
「………」


拾ってくれたお礼を言いながら受け取ると、白石さんからの変な視線を感じた。当然だ、この短時間で二度もハンカチを落とし拾われるなんて普通はおかしい。俺が意図的に彼女の近くに落としていない限りは。


「…それ、もう今日は使わないほうがいいんじゃない? 」


しかし白石さんはまだ怪しむか怪しまないかぎりぎりのところだったらしく、二度も床に落ちたハンカチは使わないほうがいいという忠告をして行った。

その後ろ姿を見ながらほくそ笑む、いやニヤける俺はとても怪しく見えるだろう。そしてこの技をもう一度使おうとする俺を誰しもが止めるだろう。だから黙って再度実行する。


「……川西くん」


放課後。三度目のネームコールは明らかに怪しんだ声だったが、どんな声だとしても白石さんから「川西くん」というワードが発せられるだけで素晴らしい誕生日プレゼントであった。

そう忘れかけていたけど俺は今日17歳になった。そんな俺の些細な望みは「気になる子に名前を呼んでもらうこと」ただそれだけだ。
お金も時間もかからない、ほんの少しこの世の酸素を消費するだけ。


「はい、川西です」


ここまでくれば俺もわざとらしく同じ台詞を言うしかないので、やはり三度目の同じ返答をする。それを聞いて白石さんは確信したようだ、溜息をつきながらハンカチを差し出した。


「わざとなの?」
「…どうでしょう」


受け取りながらそう言うと、白石さんは訝しげな顔をした。
ああこういう表情たまらないんだよな、俺が彼女を困らせているというのを実感できる。今この瞬間俺は白石さんの意識の中で幅を利かせているのだ、その原因がプラスであってもマイナスであっても。


「わざとでしょ」
「どうかな」
「……もしかして注意力散漫?」


白石さんは呆れたように笑うと、じゃあねと言って下校しようと振り返った。
その時彼女の白いブレザーのポケットからピンク色の何かが見えて、何だろうなと思っているとそれがぽとりと落ちた。


「あ、白石さん」


俺の呼びかけに白石さんがもう一度こちらを向く。親切心の塊である俺は床に落ちたピンクのハンカチを拾い上げると、突っ立っている白石さんへと差し出した。


「落としたよ」
「………あれ…あれ?」


自分のポケットにあったはずのそれが床に落ち、更に俺の手の中にあることがそんなに不思議なのだろうか。
白石さんはハンカチを入れていたはずのポケットへ手を突っ込み、あるべきものが無い事を確認すると気まずそうに俺を見た。


「注意力散漫だね」


そう言いながらハンカチを渡すと彼女は少しむっとしたようだったが、言い返す気はないようで素直に受け取った。


「……ありがとう」
「いいよ」


俺の中での精一杯の営業スマイル(と言っても賢二郎に言わせれば口角の上がり方は数ミリしか変わらないらしいが)を見せ、さて今日は良い事があったし気合を入れて午後の部活に向かおうと荷物をまとめる。
と、白石さんが一歩・二歩進んでからもう一度俺のほうを振り向いた。


「…なんで私の名前知ってるの?」


そして、心底不思議そうに言うのだった。


「一度聞いたら覚えるよ。気になる女の子の名前なら」


今朝までは名前を知らなかったし、顔すら認識していなかった新しいクラスメート。しかしタイミングよく俺の名前を呼び、俺に存在を知らしめた彼女は一瞬にして「気になる存在」となっていた。
だからその後すぐに行われた英語の授業で白石さんが当てられたのを聞き、その名を覚えることなんて容易である。


「…………なにそれ…何それ」
「そのまんまの意味」
「……」


この無言の間、俺は白石さんから目を離すことはなかった。だって彼女の瞳の動きを見れば何を考え何を感じ、俺に対してどんな感情を抱いているかがなんとなく分かるから。
そしてその結果白石さんの気持ちを少しだけ読み取ることのできた俺は、恐らく先程よりも高く口角を上げた。

しばらく言葉を交わさないまま視線でのみ会話をしていた俺たちだから、白石さんにだって俺の言いたい事は伝わったはずだ。だからこそ、それを理解した瞬間に彼女は視線を外して言った。


「私だって、気になる人の名前じゃなきゃ覚ええきれないよ」


よほどの事がない限り30人を超えるクラスメートの顔と名前を一致させるのは難しい。うちの学校はマンモス校だから、一年の時に同じクラスだった奴も二年に上がれば散り散りだ。ほとんどが初対面。

だからその中でひとりの女の子、あるいは男を個別認識するにはそれなりのきっかけが必要だ。特に俺のような、朝も放課後もほぼ教室内に居ないような男は。


「…ついでに誕生日も覚えてみる?」


そして今このタイミングなら、ほぼ間違いなく誕生日もセットで白石さんの記憶に残るだろう。だって彼女はもう脳内で、俺の誕生日を覚えるためのスペースを作り始めているのがバレバレだ。

Happy Birthday 0415