17.ばくはつ


ついこの間インターハイが終わったところだというのに、春高バレーに向けての練習に追われていた。

「追われていた」なんて言うとマイナスイメージだが、幸運にも監督はまだ俺を使ってくれる気でいる。今は何も言わずに一人残ってサーブを練習する瀬見さんのぶんも、俺の背中に乗っているのだ。そう思うと、絶対にあの試合を繰り返してはならないのだと気合が入った。


バレー部がロードワークに出ると必ずサッカー部のグラウンド横を通る事となるが、その時に俺と太一はハヤシの姿を自然と追う。
彼らの気合いの入り方も半端では無かった。なにもバレーボールの予選だけが毎年秋に行われる訳ではない。全国高校サッカー選手権大会、今白鳥沢のサッカー部が予選突破を目指しているもの。小さい頃、一度はサッカー選手としてピッチに立ちたいと思ったものだった。ちなみに太一はサッカーよりも野球らしいけど。


「…上手いな」


サッカーボールがハヤシの足元に吸い付くように離れない。鋭く出されるパスは相手ディフェンスの間を絶妙な速度で抜けて、これまた絶妙の位置にフォワードが飛び出してシュートした。悔しいけれどサッカー部がモテるのも分かる。


「ベッカムみたいだな」
「古いよ例えが…うわ!トラップうまっ」


古いとか言われたって、ベッカムのパスは俺の中での一番だ。 失礼な奴め、お前だって新庄が好きなくせに。

ハヤシがサッカーをしているところはとても輝いていたし周りを圧倒する体格、テクニック、スピードを兼ね備えていた。
その彼がチームメイトからのパスを取り損ね、なんとボールが俺たちの方へ転がってきた。しかも、どちらかと言うと俺が取ってやるのが適切な位置に。


「すみませんボール…」


と言いながらハヤシが駆け寄ってきたが、ボールを手に取ったのが俺であると分かった途端にその足は止まった。これが一触即発というやつか。
太一が隣で「へい、じょう、しん」と耳打ちしてきた。


「………はい」


俺は拾ったボールをハヤシへと差し出した。それ以外に選択肢なんか無いのだから。
けれどもハヤシはすぐに受け取ろうとはせず、俺という存在を目に焼き付けるかのように真っ直ぐに見てきた。だから俺も見返した。ハヤシという男の瞳からどんな念が送られて来ているのかを感知するために。


「…おーい。置いてかれるんですケド」


太一が言った。そう言えば今はロードワークから戻ってきたところなのだった、すでにほかの部員の姿が遠くに見える。


「はい」


もう一度ボールを突き出す。ハヤシは俺に向けていた視線をボールに落とすと「ありがと」と受け取り小脇に抱え、グラウンドのほうへ走っていった。





「あー今日は怖かった。震え上がったわ」
「何で太一が怖がるんだよ」
「たぶんね、ああいう時は第三者が一番キンチョーすんの」


部活が終わり、着替えながらひょうひょうと話す彼には恐怖なんか微塵も感じられない。さっきの出来事で、俺自身に何かしらの影響が出ていないかを探っているのだと思う。

正直言うと俺もあの時は思考停止した。ひとりの女の子を巡って争うまでは無かったにしても、俺に対しての嫌悪感はゼロでは無いはずだ。
そして俺もハヤシの事は好きではない。嫌いでもないが、決して好きではない。すみれとのセックスを望んでいた奴なんか。


「…そんな顔するくらいなら、素直にならなきゃだねえ賢二郎クンは」


一足先に着替え終えた太一が諭すように言った。今から俺が素直に気持ちを伝えたところで何か変わるんだろうか、プラスの方向に?


それから俺も着替えを終えて、部室の前で待っていた太一とともに寮へ戻る道を歩いた。日が暮れるともう肌寒い。さっきまで汗をかいていたから特に。


「……さっむ」
「そお?俺まだ平気」
「感覚おかしいんじゃねえの」


そんな他愛ない会話をしながら歩いていると、ぴたりと足が止まった。俺と太一の足が同時に、何者かに掴まれたかのように。

そして何者かに引っ張られるかのように、同じ方向を見た。
…すみれの声がする。


「…だから、もう無理だってば」
「なんで?全然納得いかねえ」


最悪なことにハヤシの声も聞こえてきた。穏やかとは言えない様子だ。俺と太一は無言で顔を合わせると、どちらからともなく声のする方向へ歩き始めた。音を立てずに、ゆっくりと。


「ハヤシくんの事は好きになれなかった、それはほんとに悪いと思ってる」
「まだ早くない?白布とはどのくらい付き合ってた?あいつよりはすみれの事幸せにする自信あるよ」


肩に太一の手が置かれた。と言うより、太一の手が力強く俺の肩を掴んだ。「出て行くなよ」と言いたいらしい。俺は躾のなってない動物か何かか?


「分かってる」
「念のためだよ」
「………」


睨んでやっても太一の手は動かなかった。それはしばらく放っておくとしてハヤシとすみれだ。


「賢二郎の事は関係ないじゃん…」
「あるね。自分で振った癖に未練たらたらだろ?どこがいいの?すげぇムカつく」
「………」
「…何か言ってくんない?」
「痛っ」


すみれが小さく悲鳴をあげた。ハヤシの太い手が彼女の腕を掴んでいる、それもかなりの力を込めて。そして俺の肩に乗る手にも、恐らく同じくらいの力が追加された。
…太一には悪いがこのくらいの力で俺の身体を制止できると思ったら大間違いだ。


「言っとくけど俺、女に振られるの初めてでイライラしてるから」
「……い…ッ…は、ハヤシくんやだ」


ついにハヤシが彼女の細い腕を壁に押し当てたところで俺は動いた。

太一の手は俺を止めようとしたかも知れないし、もう無駄だと思って諦めたかも知れない。隣にいた親友の事は頭から吹っ飛んで、ハヤシの元に駆け寄って俺よりも太い腕を掴んだ。


「…何してんの?」


ハヤシが言った。驚いた様子は見せておらず、今はそれよりも苛々が勝っているいるように見える。


「それはこっちの台詞なんだけど」
「俺が何してるかって?それって白布に関係ねえべ?とっくの昔に振られたくせに」


彼の煽りは不思議と、あまり神経を刺激してこない。俺が今ハヤシの事よりもすみれの安否を考えていたせいだろうか。
驚きの少ないハヤシに比べて、すみれは目玉な飛び出そうなほど見開いて俺の姿を瞳に写していた。


「…この子はうちのマネージャーだから」
「ヒーロー気取りですか?聞いたよ、うちのバレー部強豪なのにお前のせいで負けたらしいじゃん」
「な、」


反論しようとしたのはすみれだ。でもその言葉が続かなかったのはきっと、突然ハヤシの胸ぐらを掴むという俺の行動にびっくりして息を呑んだから。
俺は今もこんなに簡単に、一瞬で頭に血が登ってしまうのだ。


「…負けたけど、それが?」


自分の声が震えているのが分かった。頭ががんがんに痛むのは負けた時のフラッシュバックのせいか、血液が沸騰し始めたからか。彼のシャツをぐしゃっと掴んで力の限り握っている俺の拳にも、血が溜まっている。


「校舎に横断幕まで下げられて皆が期待してたのに、ほんと残念だったよな」
「お前……」
「殴れよ。退部になりたいなら」


そしてついに、頭の中で何かが切れた。

牛島さんの試合を初めて見てから約三年間、どんなに辛い事があってもバレーを犠牲にしたことなんて無い。
けど今初めて「この行動でバレーボールが出来なくなっても構わない」と思いながら、大きく右手を振りかぶった。