15.めらめら


やたらと太一が俺とすみれを元の鞘に納めようとしているが、一体何のつもりだろうか。面白がっているわけでも無いようだし、かと言って深刻な雰囲気でもないし。
そもそも当事者である俺やすみれはお互いに部活中以外は関わりを絶っているし、彼女には新しい恋人がいる。もう荒波立てるような事はしないでくれよと言うと、太一は不満そうに頷いた。


そして、ついに夏休みが終わり通常通りの授業がスタートした。始業式の翌日に行われた実力テストはまあまあの結果だった。文武両道であると胸を張っても笑われない程度には。


「賢二郎ありがとう。俺は生き延びた」


昼休みに太一が顔の前で手を合わせた。こいつの勉強に付き合ってあげるのがテスト前の習慣なので、今回も前日の夜遅くまで要点を教えてやったのだ。
元々要領が良い太一は、数日間の猛勉強だけで平均点くらいは取れるらしい。


「あっそ。良かったな」
「補習くらったら練習出れないからなー」
「…まあ補習は大丈夫だろ」


補習なんて、赤点を取った人間のうち更に一握りしか受ける事は無いと聞く。よほどの悪い点数でなければ平気らしい。バレー部は補習なんかになれば監督の怒号に拍車がかかってしまうので、勉強だって気を抜けない。


「あーくそっ、サイッアク!」


そこへ突然教室の入口から声がした。
何事かと目線を動かせば何という事だ、ハヤシがえらく不機嫌な様子で入ってきたではないか。そう言えば太一の居るこのクラスはハヤシのクラスでもあるのだった。


「……ご機嫌ななめかな?」


太一が声を潜めたが、「余計なこと言うな」と俺は太一の脚を蹴った。そしてハヤシの不機嫌の種は一体何なのかをこっそり聞くために、存在を消すことに徹した。


「ハヤシが補習なんて珍しいな」
「ああ…集中できなかったわ」


ハヤシは俺には気付いていないのか、数人の生徒とともに教室の奥まで進み窓際の一番後ろに腰を下ろした。周りにサッカー部らしき他の生徒が立ちハヤシを囲んでくれたお陰で、ますます俺の存在は目立たくなった。


「あれ、彼女に勉強教えてもらったんじゃなかったの?すみれちゃんだったっけ」


サッカー部のひとりが言った。俺は自分と、向かいに座る太一の動きが固まるのを感じた。


「……教えてもらってねーよ。別れた」
「え?…まじ?」
「マジ。3日前にな」


3日前。部室の建物前でハヤシとすみれが待ち合わせをし、そのまま二人で話をするために消えた日だ。あの時点では別れている雰囲気ではなかった、と言うことはあの直後に別れ話となったのか?

俺は無言で太一の顔を伺った。太一はあまり驚いた表情ではなかったが、俺と同じようにハヤシの声に集中しているのが伺えた。その口元には「しー」と人差し指が当てられている。
俺が暴れ出すとでも思ってんのかコイツ。


「勿体ないな、けっこう可愛かったのに。何で別れたの振られたとか?」
「うっせーな…まだ諦めてねえし」
「まだシュート決めてないからか」
「決めてねーよ!うるせえよ」


はあ、ここまで聞いて俺のほうが消えたくなってきた。

どうやらハヤシはすみれに振られたらしい雰囲気だが、彼はすみれに向けての「シュート」とやらを決められなかったのを悔やんでいる。
そんな隠語使ったって、男である俺にはすぐに分かった。ハヤシはすみれとセックスをしていない。…していてたまるか。俺だってしてないんだから。


「賢二郎」


太一があくまでも小声だが、警告するかのように俺の名前を呼んだ。気付けば俺は机の上で、血が止まりそうなほど拳を握りしめていたらしい。


「予鈴鳴るから戻れば」
「………分かった」
「変な事すんなよ」
「分かってる」
「……すみれにもアイツにも、だぞ」


太一の警告が続く。こんなにも神妙な面持ちで居るということは、太一もハヤシがすみれへのシュートを成功できなかったことの意味を分かっているのだろうと思う。

立ち上がって自分の教室に戻ろうとした時に太一の手が背中に触れた気がして、「何が何でも落ち着こう」と意識を保つことが出来た。





「…俺だってね、すみれは友達だから。ああいうの聞くのは無理だわ」


放課後、部室に向かいながら太一が言った。俺が怒り狂う前にここまで言うなんて、よほど太一も気分が悪かったように思える。


「意外と冷静だな賢二郎は」


俺が何も言わないのが珍しかったのか、太一が言った。冷静なんかでは居られない。でも、なりふり構わず暴れ回るような事でもない。


「………別に。だってあいつのシュートは失敗したんだろ」
「あー、決まってたらヤバかったな」


もしも、彼のシュートが決まっていたとしたら。想像したくもない。


「…そしたら俺、どうにかなってたかも」


「シュート」だなんてうまく言ったものだ。この便利な単語を自然と口にしている自分だって、すみれとの「そういう行為」を夢見た時期があった。今だってそうだ。その資格がないだけで。


「二人とも遅い」


着替えを終えて体育館に着くと、すみれが仁王立ちで立っていた。心なしか顔色が良い気がする。


「遅い?いつも通りじゃん、なあ」
「ああ…」
「今日は一年居ないんだから二年が用意するんだよ。今朝牛島さんが言ってたでしょ」
「あー」


そう言えばそうだったかも知れない。今朝は近くで天童さんがごちゃごちゃ言っていたのでよく聞こえなかったが、一年は揃って校外学習に出ているんだったっけ。


「忘れてた。ごめん」
「……へっ、」


すみれがびっくりして俺を見た。その顔を見て俺も少し驚いた。あまりにも大きくて綺麗な目がこちらを見ていたからだ。


「何?」


聞いてみると、すみれははっとして顔を逸らしたかと思うとそのまま体育館の中へと戻り、肩越しに振り返って言った。


「早く入って。太一も」
「ウィース」


太一も続けてシューズを履き、中に入った。

すみれはハヤシと別れたんだよな。元々そんなに好きでは無かったのかもしれないが、別れたからと言って特に凹んでいる様子は無い。むしろ顔立ちは少しすっきりしたかのように感じる。
…なんてのは、俺の都合の良い考えかもしれない。