08


梅雨入りと期末テストの期間が重なって、なかなか花壇へ足を運べない日が続いていた。けれど私はその期間、何も描かなかったわけではない。頭の中で色んなことを思い描き思い返しながら、テスト勉強の合間に絵を描いていた。

それが良い気分転換になったのかテストの手応えも良くて、最終日には清々しい気持ちでペンを置くことが出来た。


「瀬見くん」
「ん?」


テスト最終日、帰りのホームルーム後に瀬見くんが部活に向かう前に話しかける。彼はすでに荷物をまとめているところだった。


「あ、ごめん邪魔して」
「いいよ。何?」
「今日から、また…描きに行く」


その報告をするためだけに話しかけたなんて変だと思われるかも知れない。私も正直、変だと気づいてしまった。私があそこで絵を描くとか描かないとか、彼には関係のない話だからだ。
けれど瀬見くんは私の言葉を聞き、にっこり笑って言った。


「そっか。待ってる!」


テストは終わって緊張感から解放されたばかりなのに、私の心臓は鳴り止まない。





まだ梅雨明けしていないようだけど、今日は期末テストの終了を祝うかのように快晴だ。少々蒸し暑いけれど。

日焼け止めを何重にも塗っているから効果を信じて、久しぶりに体育館裏の花壇へとやってきた。すぐ斜め後ろには通気口。何人ものバレー部員の足が練習のため走り回る、あるいは飛び回るのが見えた。あの中のどれかが瀬見くんのものだろうか。


結局、瀬見くんは今後の試合に出られるのかどうかは聞いていない。私が聞いていいものか分からないし、彼の様子を見ていると何かに吹っ切れているようにも取れたから。
レギュラーに戻れている・いないにしても、瀬見くんが前を向けている事こそが私とガーベラが少しでも背中を押した成果なんだと思う事にした。


スケッチブックを開き、ガーベラの絵を描いてゆく。…はずなんだけど今は別のページを開いていた。それを見つめながら私は待った。瀬見くんがここにやって来るのを。
約束なんてしていないけど、私がここに来るのを知れば彼はきっと休憩中にでも出てきてくれると確信していたのだ。


「よっ、テストどうだった?」


そして、それは当たった。瀬見くんがタオルで汗を拭きながら歩いて来て、今日まで行われた期末テストの話を振ってきた。


「上々かな。瀬見くんは?」
「俺も、思ったより出来たかも」


彼の余裕ありげな顔を見ると、テストは確かに手応えがあったように見える。
しかし今はただただ暑そうで、顔をぐしゃぐしゃと拭いたあと、持っていたボトルをぐびっと飲んで腰を下ろした。私の隣へと。


「もうすぐコンクールだっけか?」
「うん。お盆までに提出」
「へえ…頑張れよー」
「ありがと…」


しばらくそのまま、蝉の声が響いた。並んで座る私たちと花壇の間にすらじわじわと陽炎が見える。もう夏なのだ。私たちの目指すところは、もうすぐそこに。

でも私のスケッチブックは、花ではなくて別のとあるページが開かれていた。


「…あのさ」
「ん?」
「これなんだけど…」


私はそれをゆっくりと瀬見くんに向ける。瀬見くんも一体何が描いてあるのかと目を凝らし、スケッチブックに顔を近付けた。
そして描かれているものが何であるかに気づいたらしく、瞬きをして目を見開いた。


「これって…」


私の開いたページには、以前瀬見くんとふたりで体育館の中にいた時描いた体育館内の絵が描かれている。
そこに描き足したのだ。あの時彼に「ひとつ足りない」と指摘を受けたものを。


「瀬見くん描いてみた」


頭の中で思い出しながら描いたものだから完璧ではないし、人間を描くことは慣れていないから正直言って下手だと思う。
でもあの時体育館でサーブ練習に打ち込む姿がしっかり脳裏に焼き付いていた。その魅力を存分に込めて、ページの真ん中に彼の大きな背中を描き足したのだ。


「………すげ…」
「ゴメン、人を描くのは慣れなくて下手くそなんだけど」
「いや…すっげーよ。すげえな」


瀬見くんはゆっくりとスケッチブックを私の手から取り、自分の見えやすい位置で隅から隅まで凝視した。
自分の描いたものをこんなに見られるのは恥ずかしいが、嬉しくて瀬見くんから目を逸らす。でもこれだけは言いたいなと思っていたことを言った。


「インターハイ頑張ってね」


すると、瀬見くんがぴたりと動きを止めるのが見えた。ゆっくり彼のほうを見ると、瀬見くんも私を見ていた。
魔法で身体が固まってしまったような感覚。
瀬見くんだけがガッツポーズをして笑った。


「当然」


眩しい。瀬見くんはまだ試合に出ることを諦めていないのだ。
どうか彼がインターハイでも試合に出られて素晴らしい成績をおさめられますように。もっともっと練習をして周りの生徒、監督に認めてもらえますように。

それを自分の言葉で言いたいのだが、今の私には前のような手段しか無かった。


「…あの、ガーベラってね、ほかにも別の花言葉があるの」
「え?」


瀬見くんがまた、スケッチブックに向けていた視線を私に移した。


「なんて言葉?」


私がこの人にエールを送るには今のところ、これしか無くて。自分の言葉で言うのはあまりにも照れくさかったので、ずるいけれど花言葉に乗せて伝えることにする。


「……希望…って…やつ」


言い終えた途端に顔が真っ赤になるのを感じた。いくら「花言葉だよ」と前置きしたからと言ってこれはあまりにもクサイし恥ずかしい。
言わなきゃ良かったかも、と羞恥心に耐えていると瀬見くんはぽつりと呟いた。


「いい花言葉だな」
「…そう、だね」


私の気持ちは瀬見くんに届いただろうか。瀬見くんにどう思われているかは分からないけれど、私はここで応援してるよと伝わったかな。もう手を傷つけたりしないでね、私もコンクール頑張るからねと長々とした気持ちをたった一言の「希望」に込めた。


「なあ」


瀬見くんが言いながら、スケッチブックを私に差し出した。私はそれを受け取り「何?」と返すと、また私たちの視線は交わった。


「俺、希望持ってることがあるんだ」


希望とはガーベラの花言葉で、私が瀬見くんに送りたい一番の言葉で、たった今伝えることが出来たもの。彼の持つ希望とは試合に出て結果を残しみんなに認められる事、で間違いないだろう。…けど。


「…俺と付き合ってくんね?」


どうやら今この場での、瀬見くんの「希望」は違ったらしい。

ボールの音、シューズと床のこすれる音、蝉の声が響きながらも彼の声はすっと私の耳に届いてきた。私だってこのところ、心の中に同じ希望を持っていたのだ。


「……私も、それ…希望…します」


途切れ途切れになりながらも瀬見くんから目を離せないまま伝える。と、希望をたった今手にした彼は目を輝かせた。

私が瀬見くんのことを好きになるなんて、またはその逆が起こるなんて少し前までは考えた事も無かった。彼の怪我は望んだものでは無いし、この花壇が工事で潰される事ももちろん望んでいなかったのに全てのタイミングが合わさって、私たちはここで時間を共にした。
そしてだんだん同じ希望がわいてきたのだ。


「希望とかそういう類ってさ、一個叶ったら立て続けに叶いそうだよな?」
「……うん」
「だから俺、あれ見て頑張るから」


彼の指差す先には、立て続けに降った梅雨の雨にも負けずに咲くガーベラの花壇があった。瀬見くんはきっとこの大会が終わった後も、諦めることなく希望を持って、前進していくんだろうな。
私はそれを隣でずっと応援してゆけることを、願っている。


なないろの希望