07


週明けの月曜日。
登校すると、普段クラス内ではあまり話しかけてこない瀬見くんがやって来た。朝練を終えたあとの少し疲れた様子、でも清々しい様子で。


「はよっす」
「あ、おはよう」
「実はビッグニュースがあんだけど」


ビッグニュース?瀬見くんが私に嬉嬉として話したがるようなニュースが何かあるだろうか…もしかしてレギュラーに復帰したとか?
瀬見くんは手招きしながら自分も少し私に顔を寄せてきたものだから、ドキドキしながらも耳を傾けた。


「あれ、別の場所になったらしい」


そして、なぜか耳打ちしてきた。


「……どれ?」
「あれだよ。部活の建物、花壇のとこに建つって言ってたやつ!」
「えっ!?」


せっかく瀬見くんが静かな声で耳打ちしてくれたのに、私は大声で反応してしまった。朝一番に聞くにはあまりにも大きなニュースだったから。しかも瀬見くんの口から!


「すげえニュースだろ?」
「すげえ!いや、すっ…すごい」
「はは、移ってる」


興奮して口調が移ってしまった私を見て、瀬見くんはくしゃりと笑った。そんなに顔の筋肉を動かしても未だかっこよく見えるなんてどういう事だ。いや今はそっちではなくて彼の話したニュースの内容が大事である。


「結局どこに建つの?」
「グラウンドの向こう側だってさ」


グラウンドの向こうには私たちが一年の時まで古い焼却炉があったけれど、ずっと使用されていないので確か撤去していた。その空いた場所に新しい寮か何かが建つかも知れないと聞いたことがある。
今回の部活動施設はそこに建つか、花壇を潰して体育館の横に建つかの二択だったらしい。


「よかったな」


瀬見くんが私に向けて親指を立ててくれたので、私もうんと頷いた。
これで私は今までどおり夏のコンクールに向けて練習できるだけでなく、あのガーベラの花壇も傷つくことなく残るのだ。





神様って居るんだなあと思いながら、その日の午後には早速その花壇へ向かった。当然もうここには大人たちの姿は無い。
ほっと安堵の息をついて、体育館の中にいるであろう瀬見くんに「来たよ」と念を送った。そんなの送っても私はただの人間だから、届くはずは無いのだが。


しかしスケッチを始めてから間もなくして、足音が聞こえてきた。瀬見くんが来たのかな?と耳を澄ませると聞こえてきたのは別の声。


「タオル忘れるとか初歩ミス過ぎるな俺ら」
「…部室出る直前にお前が話しかけてくるから気が散ったんだっつの」
「へーい。近道しよ」


二人の男の子が体育館の陰から現れて、ガーベラの前を歩いていた。
体育館にもたれて座っている私には気付いていないらしく、背の高いほうの男の子が花壇へ顔を向け、ぼんやり花を見渡しているかに見える。


「あ、もしかしてココじゃね?なんか建つ予定だったところ」
「そうなんじゃねえの」


と、あまり愛想がいいとは言えない返答をした男の子がガーベラには興味が無さそうに首を振った。
そしてそのまま体育館へ顔を向けると、ちょうど座り込んでいる私の姿が目に入ったらしく「あ」と声を上げた。


「太一、邪魔してる」
「ん?」
「お前デカイから邪魔になってる」
「えっ。あ、すんません」


背が低いほうの男の子が大きなほうに声をかけ、私が花の絵を描く邪魔になっていると指摘してくれた。

頭を軽く下げられたけど、私が勝手に描いてるだけなので大丈夫ですと答えておいた。見たことがないから一年生か二年生だろうか。

そのまま花壇を通り越してさっさと忘れ物らしきものを取りに行くのかと思ったが、意外にも花に興味があるのか、私の視界を遮らない場所まで移動しながらじっくりと花を眺めていた。


「確かにこんな近くで工事されたらウルサくてたまんねえな。瀬見さんナイス」
「………んん」
「何?まだ瀬見さんと険悪?」


そう聞かれたほうの子は首を横に振った。瀬見くんとなにか険悪なことがあったのか。メンバー同士で衝突するのはどの部活でもよく聞くが、もしかして彼は瀬見くんの代わりにレギュラーとなった白布くんなのかな。


「どうなる事かと思ったけどお前も瀬見さんと上手くやってるみたいだし」
「恋人か。やめろ」


二人は仲が良いのか悪いのか…いや良いんだろうな、小突き合いをしながら去っていった。小さいほうの男の子は去り際に少しだけ私に会釈してくれたので、お育ちが良さそうな印象だった。

しかし瀬見くんはよく話題に上がる人だ。レギュラーの座を落とした時も、今も。そしてその内容はいつも私の心を惹き付けた。
大きい彼の言っていた「瀬見さんナイス」って、どういう意味だろう。


しばらく先ほどの二人の会話を頭に浮かべ、えんぴつを持ったまま手が動かなかった。


「あ。居ると思った」


体育館の角からひょっこり顔を出し、私の姿があることを確認すると近寄ってきたのは瀬見くんだ。
私が居るのを予測してわざわざ来たと言うことは、と淡い気持ちが浮かんでくる。けど目的は私ではなくて、花壇の話をする事かもしれない。


「心置きなく練習できてる?」
「うん。…今は休憩?」
「おう」


瀬見くんは爽やかに微笑むとそのまま私の隣に腰を下ろした。お尻ひとつぶん程の距離を空けて。それが以前よりも少し近いという事にもドキドキしたけれど、それを抑えてさっきの話を持ち出してみた。


「あのさ、さっき男の子がそこのガーベラ見て話してたんだけど…」


私が話し始めると、瀬見くんは黙って耳を傾けてくれた。時折うんうんと相槌を打ちながら。
そしてあの二人の特徴を伝えると、片方はやはり「白布くん」という人なのだと教えてくれた。


「あいつら花とかキョーミあんのかよ」
「興味っていうか、ここで工事されるのはウルサイよなって。…瀬見さんナイスって」
「え…ああ」


瀬見くんはずっと私のほうを見ていたが、ふいに顔を逸らした。少し照れているのが横顔からも感じ取れる。もしかして、もしかする?
その照れを誤魔化すように唇を尖らせながら瀬見くんが言った。


「…まあその、白石が気に入ってるっつってたし。俺らもこんな近くでガンガン工事されたら集中出来ねえだろ、だから」
「……それって…」
「うん。文句言ってやった。」
「え!?」


少し大きな声が出てしまい、もう遅いけれど両手で口を覆った。瀬見くんがふんぞり返って「文句言ってやった」なんて言うから一体どうしたのかと思って…そんな反抗的な人ではないはずだから。
彼はそんな私を見て吹き出した。


「さすがに直接じゃねえけどさ。若利と監督通して言ってもらったんだ」


若利とはバレー部の主将、牛島くんの事だ。詳しく聞いてみると瀬見くんが牛島くんやコーチ、監督に建設の話が出ている事を伝えたらしい。
そして、可能なら他の場所にしてもらったほうが良いだろうと牛島くんを誘導してくれたのだそうだ。


「…そうなの…?」
「若利も俺らも工事がうるさいのは勘弁だからな。一石二鳥ってやつ」
「あ…ありがとう」
「んーん。ま、元々グラウンドのほうも候補地だったらしいし良いんじゃね?」


そう言いながら瀬見くんは立ち上がった。背が高く、脚も長い彼は下から見上げるととても大きく見える。


「だから白石は好きなだけ描けよ」


間もなく傾く太陽の光がちょうど瀬見くんの姿に重なって、それらはとても眩しく見えた。

気高いむらさき