06


「瀬見さん、よく耐えられるよな」


今日はこんな言葉が体育館から聞こえてきた。瀬見くんは耐えているわけじゃない、乗り越えようとしているのに。
でも部外者の私が口を挟む事は出来ず、やきもきしながらスケッチブックを膝に抱えていた。


数日前、すでにインターハイ予選は終わった。白鳥沢学園は県で優勝したものの瀬見くんはレギュラーには戻れていない。本人からそう聞いたのだ。
笑顔だったけれど、あれは心からの笑顔では無いはず。


「おつー、未来の絵本作家」


しかし私に話しかける時は、こんなふうに明るく声をかけてくれた。

「未来の絵本作家」とは私が絵本作家に興味があると話した時に付けられたあだ名で、実際にそんな大層なものは描けないし大学も普通の大学に行く予定。
そんなふうに親しみを持って呼ばれるのはとても嬉しいのだが、先ほど体育館から聞こえてきた台詞が頭から離れなくて浮かない顔で返事をしてしまった。


「どした、スランプ?」
「……いや…あの…何も」
「嘘つけ。真っ白じゃん」


私の開いているページがまっさらな状態なのを指さされた。鋭い人だ。
それだけでは終わらずに瀬見くんからの尋問を受けてしまい、さっき聞こえてしまった部員の言葉をオブラートに包んで伝えた。


「ああ…そんな事」
「…なんか複雑だった」
「白石が?気にしたってキリねえだろ」


確かに私が気にしていてもキリがなく、意味もない事だった。瀬見くんと私の間にはバレーに関する繋がりなど無いのだから。

でも私は、私の勝手ではあるけれど彼を応援しているしもっと仲良くなりたいとも思っている。瀬見くんが壁を殴って怪我をして、でも練習を続けてまた試合に出ようと考えてることも知っている。だから他の人にあんな風に言われるのは複雑というか、悲しかった。

でも瀬見くん本人は悲しい表情は見せずに、ガーベラを見つめながら淡々と話した。


「知ってるよ。皆にそう思われてる事は」
「………」
「けどチームが勝つには、俺じゃなくてあいつがセッターのほうがいい」


だから監督もコーチも俺を外したんだよと瀬見くんは他人事のように語っていた。私にはよく分からない。その理屈も、なぜ瀬見くんが平然として居られるのかも。


「でも、瀬見くんのほうが長くやってたんじゃないの」


だから思わず言ってしまった。
長いかどうかなんて関係なくて、上手い人・チームのみんなが認めた人が選ばれるのだと頭では理解しているのに。彼自身が一番悩んでいるところだと言うのに。

思わず口から出た本音が失言であったと気付いてしまい「ごめん」と言うと瀬見くんは首を振った。


「いいよ。それにもう、その事で落ち込んだりしてない」
「…そうなの?」
「意外だった?」
「…意外じゃないけど」


意外ではないがやはり理解できない。もう全く落ち込んでいないなんて、どうすればそこまで立ち直る事が出来るのか。


「ガーベラのおかげかな」


どきん、と彼の笑顔に、その言葉に鼓動が波打つ。なんで私が緊張するんだ。私のおかげって事じゃなくて、ガーベラのおかげって言ってるのに。

その花たちを瀬見くんは優しく撫でて、くんと匂いを嗅いだりしてしばらくしゃがみ込んでいた。そして、振り返ると優しい笑顔のまま言った。


「お前もよく飽きずに同じ風景描くよな?」
「…うん」


ここが好きだから。何度描いても飽きないし何度見ても飽きはしない。


「ガーベラのおかげだよ」


でも今の私はガーベラを見ている振りをしているだけで、本当は花壇の前に立つ瀬見くんに目を奪われているだけ。





瀬見くんとは教室内での会話は増えていないけど、それは私と彼の関係を誰も知らない秘密に出来ているみたいで良いことだった。瀬見くんにとっては大した関係ではないと思うけど。
私からすれば放課後に好きな場所を共有できる素敵な時間。


だから翌日も踊る心を落ち着かせながら体育館へ向かった。
しかし、そこにいつもの風景はない。建設業者の人たちがまたも下見に来ていて、スケッチどころではなかったのだ。その上前よりも密に場所を確認している様子。

まさかほかの候補地ではなく、この花壇を潰すことが決まってしまったのだろうか。


「どうしたの?何か?」
「…なんでもないです…」


花を見たいんです。なんて言える雰囲気ではなくて、体育館から聞こえるバレー部の声に少しだけ後ろ髪をひかれたけれど。その日はそのまま帰宅してしまった。





翌日、今日を逃すと土日を挟んでしまうのでどうにか練習をしたいと思いながら花壇へと足を運んだ。
…ほんとうは練習なんてどこでも出来るし、同じ花が植えられている場所だって探せばあるのかも知れないけど。ここでなければならない理由はいくつかあるのだ。


今のところ誰もいないので今日は校長先生も建築業者の人も来ないのかな。間もなくこの花たちは無くなってしまうのか。どこかに移してもらえるなら良いんだけど。


「よ、おサボり作家さん」


すると、後ろから声がした。瀬見くんがひらひらと手を振りながら近づいてくる。


「おサボりって…」
「だって昨日は来てなかっただろ?」
「ああ…うん」


一応、来ることは来た。その場に先に、先生たちと業者の人がいただけで。しかも図面みたいなものを持っていたから、ほぼここに新しい施設が建つのは決定しているのかも知れない。

その事を手短に伝えると、瀬見くんは腰に手を当てた。


「そういや何か来てたな、昨日」
「…仕方ないね。練習施設は充実してる方がいいと思うし」
「そりゃそうだけど…」


バレー部はとても恵まれている。それは歴代の先輩たちが作り上げた歴史のお陰だが、現在もそれを受け継いで良い成績を残しているから何かと優先されている。
専用のバス、合宿用の施設やトレーニング施設。入寮費だって通常の生徒よりは安価だと聞く。


最近では他の部活にも積極的に支援しようと部費が増えたり、ここ数年でグラウンドが広くなったりしているらしい。そこへさらに新しい施設が出来るのはとても素晴らしい事なんだ。


「…そりゃ、そうなんだけど」


瀬見くんは腑に落ちない顔をしたまま、部活に戻っていった。

いろづいてきた心