04


花言葉のとおり「常に前進」するしかない状況だった一年生の私はとにかく前を向き顔を見せ、隣の席やすれ違うクラスメートになるべく挨拶するように心がけた。
帰宅部で居るつもりだったけど何か部活をしてみようかなと思い、絵を描くことが好きだったから美術部に入った。

だんだんと自然に色んな人から話しかけてもらえたり、昼休みに一緒に食べようと誘っえ貰えるようになり、白鳥沢での学校生活は明るく照らされていったのだ。


瀬見くんはというと、あれから少し表情が晴れている気がした。それが私の勘違いでなければいいのだが。


彼が怪我をしてから二週間が経ったころ、私はやっぱりガーベラの花壇の前にいた。
よく飽きもせず同じ風景ばかり描けるものだと思われそうだけど、今はこれ以外描こうという気が湧いてこないのだから仕方ない。


昼間に少し雨が降ったせいで水が滴っている。それも良い味出てるなぁなんて思いながら近くで眺めていると、数名の大人たちが連れ立ってこちらへやって来た。
校長先生と教頭先生もいる。何事だろう?


「この辺りですかね」
「あー、いいですね…あ、こんにちは」


教頭先生が私に気づいて挨拶されたので、私も会釈を返した。先生たちと一緒に、スーツを着た知らない人もいる。


「ここで何してるの?」
「あ、あの…絵を描いてます。この花壇の」
「そうか…」


校長先生が顎に手を添えて、花壇をちらりと見やった。そしてその手で髭を触りながら言った。


「いやね、実はここに新しい部活動施設を建てようかと思っててね」
「え」


ここに、ということは花壇が無くなる?そんなの嫌だ。私は驚きで目を見開いてしまった。
そのせいか校長先生はなだめるように両手を上げて、恐らくなるべく優しく話を続けてくれた。


「候補地は他にもあるんだけど。今日は業者さんと下見に回ってるんだよ」
「……そうなんですか…」


ということは校長先生の隣にいるのは業者の人だ。
こんにちは、と挨拶をされたので私も同じように返す。大人たちの話を聞きながらスケッチブックに向かい、何も気にせず描いているふりをするのに必死だった。


やがて下見は終わったようで彼らは去り、この場所はどうなるんだろうなと考えていると再び誰かがやって来た。


「よー、今日も描いてんの」


瀬見くんだ。
包帯が巻かれていた右拳は湿布だけになり、もうすぐ治りそうに見える。その彼の怪我とは逆に、今日は私のテンションが思わしくない。


「……うん。」
「…? 何かあった?」


そんな私の様子に気付いた瀬見くんは首をかしげながら近付いてきた。そして、またお尻二つぶんほどの距離をあけて隣に腰掛け話を聞いてくれようとしている。

大した事じゃないよと断ったけれど、「いま休憩だから」と言うので先ほどの事を手短に説明した。


「なんだそれ。聞いた事ない」


瀬見くんは話をすべて聞いてくれた。彼もここに新しい施設が建つ話を知らなかったらしく、あまり建設について歓迎では無さそうだ。


「まだ決定じゃないらしいけどね。みんなの練習場所が増えるのは良い事だし」
「いいのか?ここ気に入ってるんだろ」
「でも…」


私ひとりの意見で何かが変わるとは思えない。

この学校は県内有数の進学校だけど、部活動も盛んに行われている。好成績を残しているのはバレー部以外にもあるし、柔道や弓道など特別な練習場所が必要な部活は沢山ある。
とくに弓道部の友達なんか、学校に弓道場が無いから近くの弓道場で何校かで合同の練習をしていると聞く。


「私の口から無理は言えないよ」
「何で?白石はこれを見て前進しようって、頑張ってきたんじゃねえの」
「…そうだけど」
「だろ」


と、瀬見くんがジャンプするように立ち上がった。お尻を払う事もせず花壇のほうへと歩き、咲き誇るガーベラを見ながら何を思っているのかその表情は見えない。
しかし突然振り返った彼の顔がとても真剣なものだったから、思わずどきりとした。


「俺だって一緒。白石にそれを、…花言葉?を聞いてから前向こうって思ったんだから」
「そうなの?」
「おう。だから駄目。こいつら全部無くすなんて絶対に駄目だ」


あまりに驚く要素が多くて、私の口はあんぐり開いたままになっていたと思う。

私がこの花壇を気に入ってる事を瀬見くんは覚えていた。それどころか私との話のお陰で自分も前を向けていると。更に、花壇を潰して新しい建物を建てることには反対だと。


何かにびっくりした時、たいてい人の心臓は激しく波打つ。
今の私は彼の言動にとてもびっくりしている。だから私の心臓は今大きく脈打っているのだ、と思う。


「……瀬見くんて、花言葉とか気にする人なんだね」
「俺ナイーブだから」
「へえ…」
「はは、信じてないだろ?」
「バレたか」


嘘だ。信じないわけはない。
そうでなければあの時、レギュラーの座を逃した時に、自分の身体を傷付ける以外の選択肢を選べたはずだ。


「まあ、バレーに関してはって感じかな。本当に救われたなって思ったよ、あの時は」
「………そう」


ただのクラスメートだった瀬見くんに、どうにかエールを送れられればいいなと思って花言葉に乗せて伝えたあの日。

それで少しでも気が紛れてくれたら充分だと思っていたのに。私の言葉の意味をしっかりと受け取り、頭の中に浸透させて、闇の底から立ち上がった。…と言うと大袈裟かもしれないけれど、彼は確かに立ち上がっていた。


「だからまた絶対試合に出ようと思ってんだ。どんな形でも」


そう言うと、そろそろ戻らなければならないらしく瀬見くんは「じゃあな」と手を振っていった。

しっかりとした足取りは自信に満ちていて、背中はあの日見たよりも大きくて。最後に見せてくれた笑顔は、心臓の鐘を大きく揺らせた。

きいろいエール