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気持ちのよい春の陽気は平等にみんなを明るくさせるらしい。

帰りのホームルームが終わるとわあっと声が上がり、それぞれにおしゃべりを始める。高校三年生になった私たちには大学受験という難関があるけれど、大半の生徒はまだまだ頭を抱えるほど悩んではいない。残り一年未満となった高校生活をどのように過ごすのか、そちらのほうが重要なのだ。


私とっての重要なことといえば、小脇に抱えたスケッチブックをいかにして彩っていくかということ。
白鳥沢学園の美術部は毎年夏、県のコンクールに作品を出している。そして優秀作品に選ばれると、県内の美術館に飾ってもらうことが出来るのだ。期間限定ではあるものの、歴代先輩たちの作品が作品名のプレートとともに飾られているのを観るのは感慨深かった。


去年は駄目だったから今年が最後のチャンスということで、私が挑戦するのは風景画。どうせ描くならこの学び舎の、お気に入りの場所がいい。


「…やっぱりここかな」


学校の敷地のどちらかと言えば裏側のほうは山になっていて、のどかな景色が広がっている。この前までは満開の桜が咲いていて、すでに散っているけど緑が美しい。
でも私が描きたいものはそこから目線を落とした場所。すぐそこにある校舎内の花壇へ咲き誇る花たちが、今回のモデルである。


体育館の外壁に背中を預け、ちょうど座れる段差があるのでビニール袋を敷いて腰を下ろした。
中を覗けそうな小さな通気口からは運動部の人たちの足元だけが見えた。ボールの弾む音がするのでバレー部かバスケ部かな。

しばらく運動部の掛け声やボールの音をBGMにしようと思いながら、スケッチブックの新しいページを開いた。


「白布」


すると、体育館の中から声がした。
コーチか監督だろうか、大人の男性の声である。通気口から聞こえてくる話し声になんとなく耳を傾けた。


「はい」
「お前を次の公式戦に出す。用意しとけ」
「……俺ですか?」


呼ばれた生徒の声は少し戸惑いつつも、彼の姿が見えない私にも分かるほど明るくなった。
バレーにしてもバスケにしてもコートに立てるのは五人…?か、六人くらいのはず。そこに選んでもらえたんだから嬉しいだろう。


「他の部員には後で共有する。次回からスタメンとして出ろ」
「…ありがとうございます」


そして足音が遠のいて行った。

まだ体育館内からはたくさんの声、音ががやがやと聞こえている。けれどハッキリと、その彼が「っしゃ」とガッツポーズを決めたであろう声は聞こえてきた。

やっと中をしっかり覗き込んでみると、行き交うボールはバスケではなくバレーのボールである事が分かった。

バレー部すごいなあ、青春だなあ。

のんきに考えながら、しがない美術部の私はスケッチを続けた。





うちの美術部はわりと自由奔放で、油絵・水彩画・彫刻、その他なんでも作品として提出することが出来る。

ひと通り試してみたものの私には色えんぴつ画が向いているのではないかと思い、購入したばかりの36色入りの色えんぴつの蓋を開く。
使うのが勿体ないなぁなんて思いながら綺麗に並んだ色えんぴつを眺めていると、花壇の前に誰かが現れた。


「あ」
「あ?…あ。よお」


歩いてきたのは同じクラスの瀬見くんだった。彼もバレー部だったかな。


「何してんだこんな所で」
「いやね、スケッ…」


スケッチしてるんだけど邪魔かな?と言おうとした声は、ばらばらと色えんぴつ達をぶち撒ける音でかき消された。
不安定な膝の上で開いていたせいで色えんぴつのケースが傾き、地面に散らばってしまったのだ。


「わー!最悪だ」
「ドジか」
「もー、まだ全然使ってないのに」


何本かは綺麗だった芯が折れてるし、わたしの心も折れそう。
ため息とともに地面にかがんで拾っていると、瀬見くんもひざを曲げて拾い始めてくれた。


「すげえ量だな」
「ありがとう…うん。36色入り」
「へえ。12色のしか使った事ねえわ」
「まぁそんなもんだよね普通…」


そんな他愛ない会話をしながらすべての色えんぴつを拾い上げ、瀬見くんが拾ってくれたものを受け取った時ある異変に気付いた。…彼の触った色えんぴつに血がついてる。
不思議に思い瀬見くんの手を見てみると、なんと右の拳から出血しているではないか?


「瀬見くん?そこ…血、出てない?」
「……え。あー…ああ」


瀬見くんのあまり焦りのない様子を見ると、出血には気付いていたらしい。
しかしよく見るとけっこう派手に出ているので、他人の色えんぴつなど拾っている場合ではなさそうだ。


「大丈夫?」
「平気平気。悪い、血付いた?」
「拭いたらすぐ取れるからいいよ。それより保健室行かなきゃ」
「んー、そだな。行ってくる」


怪我をしていないほうの手をひらひら振って、瀬見くんは保健室とは逆の方向へ歩いて行った。男の子って、少々怪我しても気にしないんだろうか。
彼の血がついた色えんぴつをティッシュで拭いて、私はまた体育館内の音をBGMにスケッチを再開した。





それから数十分ほど、ホイッスルの音が聞こえ休憩の掛け声が響いた。しかしボールの音は鳴り止まないので、休憩中に休憩しない連中が居るんだろうなと推測する。

白鳥沢バレー部は強豪と聞くし、瀬見くんの他にもうちのクラスには何人か部員がいる。そのスタメンになれたのだから、さきほど呼ばれた子はよほど頑張ったんだろうなぁ。
スタメンの座を勝ち取ったのは誰なのかなとこっそり中を覗いてみると、突然目の前に何名かの脚が現れた。


「なあ、さっきの聞いた?」


慌てて元の体勢に戻り、背中を体育館に向けて耳だけを小さな通気口へ傾ける。
その数名はどうやら風を求めて通気口付近へやってきたらしく、その場に腰を下ろしたようだ。ちらりと振り返ってみると、座り込む彼らのお尻が見えた。


「聞いた。びっくり」
「白布がねえ…」
「俺あいつ嫌い。考えが偏ってるじゃん」


男の子も誰かに嫉妬したりするんだな。まあそりゃそうか、みんな試合に出ることを目標に頑張っているんだし多少はそういう事もあるんだろうなぁ。

と言うことはあの彼が試合に出られる代わりに、出られなくなった部員もいるわけで。その人も練習を頑張っているんだろうに、スポーツの世界は残酷だ。
趣味が少し発展しただけの私とは違う。


「瀬見さん荒れてたなー」


ぴたりと手が止まった。

瀬見さん、と言っただろうか?うちのクラスの瀬見くん?さっき色えんぴつを拾ってくれた?


「え、そうなの?」
「うん。壁殴ってんの見えた。怖かった」
「げーマジで…」
「白布を殴るわけには行かないもんな」


彼らはその後も、白布くんという部員を瀬見くんと比べる話を繰り返していた。
白布くんと瀬見くんが比べられるということは、どういう事だ。瀬見くんが壁を殴っていたということは。

のんきな私の頭でもすぐに分かった。次回から白布くんが試合に出る代わり、出られなくなったのは瀬見くんなのだという事を。

あかいろの出会い