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合宿、5日目。トスの精度はだんだんと上がってきたかのように思えるがその日の集中力、周りの空気、その他色んなことに左右されてまだ100パーセントの確率で上げることは出来ない。

早くしなくては合宿が終わってしまう。この新しい速攻を、烏野内でのゲームだけでなく他校相手に通用するかどうかを試したいのに。


そして、それが成功しない限りすみれとは今のまま、近くに居ても特別な存在として触れることが出来ないもどかしい状態が続く。自分から言い出したことだけど。


「じゃあ今日はここまでな!あとは各々自主練するなり身体休ませるなりしてくれ」


烏養コーチはそう言ったあと、「どうせ全員自主練するんだろうけどな」と笑っていた。

そう、全員が自主練している。俺だけがしている訳じゃない。そしてすみれも毎晩どこかで誰かの自主練に付き合ったり、マネージャーの業務をこなしている。
その行動ぜんぶ把握しておきたいのに…と思うが、それでは別れた意味が無い。


「影山くん、やる?」


谷地さんはここ最近、すみれの代わりに練習に付き合ってくれている。なんとなく俺達が距離を開けていることに気づいているのだろうと思うが、それを直接聞いてこないところが有難い。


「……お願いします。」
「はい」


谷地さんは最初の頃はボールをあげる事を戸惑っていたり、ボールの扱いになれていなかった様子だが手馴れた様子で練習に付き合ってくれた。入りたての頃に比べるとルールも覚えたり(もともと頭が良いからか)、周りのことを良く見えるようになったり。
清水先輩が優秀なマネージャーだから、その姿を見ればそうなるんだろう。すみれもよく清水先輩を手本にして動いていると言っていたし。


「……今のところ、成功率100だよ」


感嘆とした様子で谷地さんが言ったが、俺にとっては成功率100だなんて当たり前にできなければならない通過点。その通過点すら容易にクリア出来ないのだから困ったものだ。


「…もうちょい時間大丈夫…すか?」
「うん。…上手くいくといいね」


それはチームにとってもプラスになるし、もうひとつの意味つまり俺とすみれの事を言っているかにも思えた。


「……させるから。成功」


この期間がしんどいのはきっと俺だけではないはずだ、彼女も同じくらい辛い思いをしているはずだ。今はそれも活力になり、一層のやる気を引き出してくれた。





そろそろ谷地さんにも疲れた様子が見え始め、時間も時間だったのでお礼を言って練習を切り上げることにした。

…もう少し身体を動かしたい。

学校の外周を少し走ってこようかとランニングシューズにはきかえていると、丁度走り終えてきたらしい人物か現れた。


「…あ、赤葦さん」
「あ。こんばんは」


赤葦京治、梟谷学園の正セッター。

前回の合宿と今回の合宿で彼のことを観察したが、どうも読ませてくれない曲者だ。それが強みなんだろうけれど、ひと汗かいたあとにも関わらず涼し気な顔をしているところとか俺より背が高いところとかその他もろもろに闘争心が湧く。


「今から走るの?」
「ハイ。ちょっと物足りないんで」


赤葦さんは「そっか」と言うと更衣室に向かうためこちらに向かってきた。そのまますれ違って別れるものとばかり思ったが、ふと足を止めて立ち止まった。
至近距離で目が合う。なんか、じっと見られてる。仕方が無いので俺も赤葦さんを見る。くそ、澄ました顔してるなあ。


「白石さんの言うとおりだね」
「え?」


突然口を開いたかと思えばすみれの名前が出てきたので、間抜けな声が出た。


「彼女がきみに惹かれる理由、分かるかも」
「……???」
「あ、もちろん黒尾さんには何も言ってないから安心してよ」


どういう意味か分かりかねていたが、赤葦さんは俺の肩をぽんと叩き「じゃあ」と言って更衣室へ歩いていった。

赤葦さんとすみれが、俺についての何かを話したのか?ふたりで?どんな話を?褒められたのか貶されたのか?どこまで話した?

気になって気になって頭が回らなくなったが、とにかく気を紛らわす為にもそのまま森然高校の周辺を走った。





30分ほど経ってから、少しだけ開いた裏門を通り敷地内に戻ってくると白い影がうろうろしている。幽霊か?…何考えてんだ、そんなわけないか。

どのみちその影の方に進まなければいけないので近寄ってみると、それは幽霊ではなくてすみれだった。


「…おい」
「うわっ!とび、か…」


声をかけると驚いた様子で、俺への呼称がめちゃくちゃになっていた。
今は二人しか居ないんだから下の名前でいいんだが、それでもやっぱり頭に浮かぶのは「今は恋人同士ではない」という事実。


「何してんだこんな所で」
「…待ってた…飛雄くんが走ってるって聞いて」
「誰に?」
「赤葦さん」


赤葦さんか。どのような経緯で赤葦さんから聞いたのか非常に気になるところだ。彼には敵意を向ければいいのか無害なのか判別できない。


「……中で待てよ。幽霊かと思った」
「怖かった?ごめん」
「怖くねえ!ちょっとビビっただけだ」
「ごめんごめん」


平謝りで中へと促すすみれだったが、この合宿中あまり見せていなかった笑顔になっていた。自主練は極力別の人とするようにしていたし、すみれは体育館中を走り回っていたから。

だからこんなに近くで顔を見るのは合宿前のあの夜以来だ。速攻さえ成功すれば気兼ねなく会って、ゆっくり話して、手を取り合って見つめ合うことが出来る。合宿は残り2日しかない。


「冷えないうちにシャワー浴びてね」
「おう」
「じゃあおやすみ」
「…ちょっと待て」


思わず俺は呼び止めた。どうしてすみれが入り口で俺を待っていたのかとか、赤葦さんと何を話したのかとか、色々と聞きたいことが山積みだ。


「赤葦さん、何て言ってた」
「……何って?」
「俺のこと…」


なんという情けない質問だろうと思った。これまで及川さん以外のセッターに興味を持つ事はあれど、ここまで気にした事なんて無い。

それはすみれが絡んでいるから。ちょっとした事で彼女の気持ちが他に行ってしまうのではないかと、疑うつもりは無くても心配で。


「…えとね、良い人だねって言われた。でも試合では負けないよって」


俺みたいな人間のことを「良い人だね」とさらりと言える赤葦さんのほうこそ良い人、出来た人だ。


「けど、試合は勝ちますって答えた」
「………え」
「絶対成功するもんね、二人で」


俺はきっと赤葦さんのように心が広く落ち着いた人間に成れはしない。今だって俺の練習のために訳の分からない理由で友達同士に戻る事になったと言うのに、すみれはこんなふうに俺を信じて疑わない。心の内で何かに火がついたような気がした。


「………させる」
「うん」
「…泣いてんのか?」
「泣いてない!泣いてな、」


暗がりの中でもすみれが泣いているのが分かった。建物から漏れてくる蛍光灯に照らされた顔から、きらりと光る涙が見えたから。
思わずそれに手を伸ばし、目に当たらないようにゆっくりと涙を指ですくってやるとすみれの身体は固まった。


「………とび…」
「俺じゃないからな。幽霊の仕業だから」
「幽霊?」


この暗くて涼しい夏の夜、二人きりの空間で起きたことは二人にしか分からない。それ以外に誰かが居るとするならば、それは幽霊なのだ。


「暗いから、何が起きてんのか見えねえから…これは俺じゃない。って事にする」


すると顔に触れていた俺の手に、彼女の手が重なった。久しぶりにこの手に触ることができている。手首も、指も細くて白く、柔らかい。その手でぎゅっと俺の手を外から握り、自分の頬へと押し当てる。手のひらに彼女のつやつやの頬が触れた。


「………幽霊って、あったかいんだね」


そう呟くすみれの頬も、とても温かかった。

ぜんぶ幽霊のせい