10.せわやき


まずい事になった。

賢二郎がすみれの話をしないのをいい事に、俺はすみれに彼氏が出来たことを賢二郎に言っていなかったのだ。伝える義務は無いけれども、もしも俺が賢二郎の立場なら「知ってるなら言えよ」と責めるだろう。

しかし賢二郎は俺を責めはしなかった。責める余裕すら無かったのかも知れない。ただただ固まっていた。


「………賢二郎。悪い…」
「……いや」


かすれた声で賢二郎が言った。
そのうち姉ちゃんが停車場所を見つけ、車が駅の入口付近に停まった。


「はい!じゃあ賢二郎くん、気を付けて」
「…ありがとうございました」


賢二郎は姉ちゃんにぺこりとお辞儀をして車を降り、ふらつく足取りで駅の中へ入っていった。大丈夫かなあいつ。


…飛び込み自殺とかしないよな?


俺は一気に血の気が引いて、大きな鞄を車に残したまま飛び出した。


「ちょっと太一?」
「帰っといて!電車で帰る」


「何言ってんの!?」と姉ちゃんが叫んでいたが、車のドアを閉めたことでその声は途切れた。
ふらふら歩く賢二郎の足取り、焦点の合わない目は今からまさに自殺しますと言う雰囲気だったから仕方ない。いや自殺者なんか見た事無いけど、ドラマで見る自殺者は大体今の賢二郎みたいな状態だろ?

幸いにも賢二郎はふらふらと、そしてゆっくり歩いていたので容易に追いつくことが出来た。


「賢二郎!」


後ろから肩を掴むと、賢二郎は立ち止まった。


「…太一?なんで」
「何で、じゃねえよ…自殺でもすんのかと思って心配してやったのに」
「自殺?」


俺の想像よりは、賢二郎の顔色は良いようだ。しかし続けられた言葉には背筋がぞくりとした。


「…自殺か。それもいいかもな」
「馬鹿な事言うな」
「しねえよ自殺なんか…」


賢二郎は力無く笑うと、近くの壁にもたれかかった。

俺も隣にもたれて、姉ちゃんに『もう帰っといていいから』とメッセージを送る。
すぐに既読になると『電車代が勿体ない。この辺で待っとくから』と返信が来て、いつも無駄に明るい姉の有り難さを感じた。


「すみれはそのハヤシってやつと付き合ってるんだな」
「…うん。一ヶ月前くらいからかな」
「そうか…」


知らなかったな、と呟く賢二郎。それを聞いてますますずっと黙っていた自分への罪悪感が生まれた。


「ごめんな」
「謝んなよ」
「まああの…ハヤシは普通の奴で…悪い奴じゃないと思う」


何を言ってるんだ俺は。ハヤシの良いところなんか教えたって意味無いだろ、賢二郎はまだすみれに未練があるというのに。


しかし俺の知る賢二郎ならば逆上して、今すぐハヤシとすみれのところに走り喧嘩でも売りに行きそうなのだがその気は無いらしい。
自殺しそうな様子も無いし、俺が思ったよりもずっと冷静なようだった。


「…すみれが選んだなら良いんじゃないの。俺にはもう関係ない」
「え…えらい素直だな。本気?」
「素直っつーかさ…」


賢二郎は頭をかきながらスポーツバッグを床に置き、中からペットボトルを出して一口飲んだ。


「いくら俺でも新しい彼氏が居るのに追いかけねえよ。今まで結構束縛した気がするし…」
「マジか。大人だな」


付き合っている期間の後半、ほとんどすみれに対しては偉そうな態度で時々乱暴に見えた賢二郎だったのに。どうやら振られた事が相当ショックだったのと、インターハイで負けた日に犯した自分の行動がまだ悔やまれているらしい。


賢二郎はペットボトルをもう一口飲むと、俺のほうへ差し出した。「さんきゅ」とそれを受け取って、俺も飲み始めると賢二郎が言葉を続けた。


「……ホントはすっげえ嫌だけど。すぐにでも別れてほしい。けどあいつらが別れたって俺が許してもらえるわけじゃない」


ああ何だ、俺が心配するほど賢二郎は弱くないのかも知れない。

最後にもう一度「自殺すんなよ」と声をかけると「しねえよっ」と弱々しくも笑顔が見えたので、とりあえずは安心してその場で別れた。





「へえー、そうだったんだ」


帰りの車で、「何してたの?」と姉ちゃんに聞かれたので事の顛末を説明した。


「賢二郎くん大人じゃん」
「うん。俺もビビった」
「次に誰かと付き合う時はさ、きっと新しい彼女を大事にできるよ」
「うん…」


賢二郎がすみれ以外の子と付き合うなんてあまり想像できない。まだ高校二年のくせに何言ってんだって感じだけど。


「…あのさ。姉ちゃんも女だよね」
「は?何言ってんのアンタ」
「いや、姉ちゃんならすみれの気持ち分かるかなと思って」
「すみれちゃんの気持ち?」


姉ちゃんは首をかしげた。

何故俺がすみれの気持ちを気にしているのかと言うと、どうもすみれがハヤシの事を好きだとは思えないのだ。
ハヤシの前でにこにこ笑った顔は見たことが無いし、さっき駅前で見かけた時も楽しそうでは無かった…ような気がする。付き合い始めたのはハヤシに告白されたのがきっかけだし。


「賢二郎とはホントは別れたくなかったって言ってたんだよ。でも賢二郎の態度がアレだったから耐えらんなくなって別れて」
「聞いた聞いた。で?」


信号で止まったタイミングで、姉ちゃんがコーヒーをぐびっと飲んだ。


「で、気付いたらハヤシに告白されて付き合ってたんだけど…何か俺には楽しくなさそうに見える」
「……それは太一から見てそう見えるってだけでしょ?」
「そーなんだけどさ…」
「んー」


信号が変わり、車が発進する。だんだん周りの景色が懐かしいものになってきた。俺の地元が近づいている。


「太一に聞いた情報だけで想像すると、」
「うん」
「すみれちゃんは賢二郎くんを忘れるために、ハヤシ?って子と付き合ってる。とか?」


雷が落ちた。俺の頭に。

姉ちゃんの発した予測があまりにもぴたりと当てはまったのだ。


「………やっぱり」
「いやコレ想像だからね?」
「や、確率高そう」
「余計な事しちゃダメだよ?ハヤシって子は悪くないんだから!ふたりが平和に付き合ってるんなら手出したら駄目だからね?」
「分かってるよ…」


姉ちゃんの言うことはもっともだけど、どうしてもすみれが本当にハヤシの事を好きなのか気になってしまった。休み明けの練習の時に、それとなくハヤシの話をしてみようか…くそ、今日から三日間も休みだなんて最悪だ。

ていうか俺は、いつの間にこんなお節介になったんだ。