09.ひんやり


俺はたぶん、太一が居なければバレー部内で居場所を失っていたかもしれない。いつも太一は周りが見えなくなった俺を見ては注意してくれ、冷静さを取り戻してくれる。
唯一俺が太一の言葉を聞かなかったのは、すみれとの事に口を出された時だ。すべては太一の言う通りだったのに、馬鹿なやつだ俺は。


インターハイで負けた日、つまりすみれに最低な事を言った日からすみれは必要最低限しか俺と関わらなくなった。当然の事だ。
しかし自分勝手な俺は、いつ彼女に謝るかタイミングを伺っていた。


でもやっぱり、部員の多い白鳥沢でマネージャー業をこなすすみれに暇な時間など見当たらない。姿が見えない時はたいてい一年を連れてドリンクを作りに行っていたり、洗濯をしている。
幸い俺はまだ戦力外通告されていないので、そういった業務は指示されずコート内での練習を許されているからなかなか会えない。


そんな日々が続きついに8月も中旬、世間でいうところの盆休みがやってきた。


「はー…家帰んの久しぶりだわ」
「太一んとこ遠いんだっけ?」
「おお。車で迎えが来る」
「へえ…」


俺の実家はそこまで遠くはないので、必要なものをパンパンに詰めたスポーツバッグをかついで電車に揺られる予定だ。車の迎えがあるなんて羨ましいやつめ。


「三日も練習無いとか嬉しいね!休み明けに俺が居なくても皆泣かないでネ〜」
「逃げんなよ天童」
「天童が居なくなるのは辛いな」
「若利優しいなオイ」


先輩たちも久しぶりに家に帰られるのは嬉しいのか、いつもより上機嫌の様子だ。

牛島さんは帰ったからと言って身体を休めたりはしないんだろうけど…俺ももちろんそのつもりで、天童さんだってああは言っても何かしらバレー関連の事をするに違いない。
何故なら彼の背負うリュックにはしっかりと、バレーボールが入っているからだ。本当にずるい人だと思う。


「あ、きた」


太一の親が迎えに到着したらしい。
立派なシルバーの車が停車し、運転席から女性が手を振っている。母親にしては若すぎる人だ。


「…誰あの美人」
「姉ちゃん」
「太一の姉ちゃん!?あんなキレーな姉ちゃん居るなんて聞いてないんだけど!」
「言ってませんし」


そんな会話をしながら太一が車に近づいてドアを開けようとする。と、「駅まで乗ってく?」と太一に声をかけられた。


「え、いいの」
「いいよ方向一緒だし。姉ちゃんコイツ駅まで乗せていいよね」
「いいよー。乗って乗って」


美人の姉に手招きされて、天童さんの羨ましがる視線が刺さる。気付かないふりをして俺は車に乗りこんだ。


「……お、お邪魔します」
「はーい」


車が出発すると、駅まではすぐだが信号に引っかかったりして時々停まった。

その間太一のお姉さんが色んなことを話していたが、ついにイタイところをつかれる話となった。


「そういやインターハイ観に行ったよ。ふたりとも超かっこよかった」
「…姉バカはやめてよ」
「姉バカって何!友達に自慢したんだからねー弟がインハイ出るって」
「やめてってば…」


嬉嬉として話す姉に向かって太一が話をやめるように促しているのは、恐らく隣に俺が居るからだろう。家族水入らずの会話ができなくて申し訳ない。


「あんた達モテモテじゃないの?全国大会行くような部活のレギュラーだし」
「いやいやいやいや」
「賢二郎くんとかモテそー」


このお姉さんは車内を盛り上げるために色々話してくれているのだろうが、俺は好きだった彼女に振られたのを引きずっている挙句に酷い言葉を言ってしまったのを後悔している真っ最中。

ほかの女の子にモテたからって何とも思わない。ほかの誰かにモテるよりすみれにもう一度振り向いてもらうことの方が何倍も嬉しい。


「やめてよコイツ傷心中だから」
「オイ。」
「え!ごめん!」
「…いや、いいです……お前なあ」
「まあまあいいじゃん。冗談言えるくらいには気持ち落ち着いてるだろ」
「………はあ、まあ」


太一はいつどんなふうに俺の様子を伺っているのか知らないが、恐ろしく的確だった。天童さんに鍛えられたんだろうか?

そんな事を考えているうちに駅に到着し、降車できそうな場所を探していると。窓の外にすみれの姿を発見した。


「……すみれだ」
「えっ」


思わず名前をつぶやくと太一も反応し、一緒に窓の外を見る。
駅前にすみれが誰かと立っていて、話し込んでいる様子だ。すみれも今から実家に帰るところらしいが、相手は家族ではなさそうだ。


「………やば…」


太一がぼそっと言った。


「何?」
「…あー、いや」
「何だよ」
「いや何でもないです」
「嘘つくんじゃねえ言え」


自分より身体の大きな太一を睨みつけると、しばらく黙っていたがやがて大きくため息をついた。そして、窓の外にいるすみれを指さして言った。


「…すみれと一緒にいるの、うちのクラスのハヤシ。サッカー部のやつ」
「……それで?」


ハヤシって奴は知らないが、同級生の男が一緒に居るという事だけで俺の心は一瞬にしてひやりと冷えた。

そして、恐ろしい可能性が頭をよぎる。
いや、そんな訳はない。誰か否定してくれ、その予測は的外れだよ、と。そんな事は絶対にないと言ってくれ。


「あの二人、付き合ってる」


太一が申し訳なさそうに言ったのが聞こえたような気がしたが、俺の頭にはあまり入ってこなかった。何故なら窓の外に見えるふたりが、しっかりと手を繋いでいるのが確認できたからだ。

恐ろしい可能性は確信に変わり、氷のように冷えた心はその衝撃で砕け散った。