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武田先生が戻ってくるまでの間、私達は「次」「はい」といった短い単語でしか会話をしなかった。
でもそこには確かに緊張が流れていた。お互いにしか分からないような。

そしてその緊張は不思議と心地よく感じた。言葉には出さないけれどボールに気持ちを乗せて山なりに放り上げる。素早く落下地点に入り込み、私の「頑張れ!」という思いの乗ったボールをトス。

ふわりと上がったボールがコート内に落下、置いていた空のペットボトルにヒットしてからんからんと音がした。


「…………」
「………成功?」


転げたペットボトルを見つめたまま瞬きもしない飛雄くんに聞いてみると、やはり瞬きしないまま肩を上下に揺らしていた。そして顔は動かさず、視線だけを私に向けた。


「成功」


そして、聞こえるか聞こえないかの声で。

どうやら今のは間違いなく成功らしいけど、彼の顔は満足していなかった。
私に向けられていた視線はすぐにコート内へと戻り、ペットボトルを元通りに立てながら呪文のように唱えた。


「今のはまぐれだ。まぐれじゃないように…狙って出来るように、完璧になるまで…」


影山飛雄は進化していく。初めて目にしたあの時がすでに完成系だと思っていたのに、もっともっとその力や魅力が増していく。

飛雄くんが一切の表情を変えないまま「次」と言ったのを合図に、私はまたボールを投げた。





「熱心なのもいいけど身体壊さないで下さいね?数日後にはまた合宿ですよ」


戻ってきた武田先生が私と交代し、飛雄くんの練習に付き合う事数十分。先生も飛雄くんもバテバテで、ついにはふたりともその場に座り込んだ。


「…すんません。」
「あ、いや、いいんですけどね!?」
「今日は上がります」


飛雄くんが武田先生に会釈して、それに対し先生は飛雄くんよりも深く頭を下げた。

部活だけでなく通常どおりの教職員としての仕事もある先生は再び職員室へと戻り、飛雄くんはネットを片付け始めた。


私はボールを片付けた後何もする事がなくなってしまい、無言でその様子を眺める。


この体育館にはいつの間にか、私たちだけになっていた。飛雄くんは私の存在を意識しているのかいないのか黙々と作業を続ける。
…なんか、身体が春よりも大きくなってる気がする。成長期のせいだろうか。それとも毎日身体を鍛えてるのかな。


「おい」


飛雄くんに呼びかけられた。はっとして顔を上げると既にネットが片付いていて、あとは電気を消せば終了という状態に。


「ボケっとすんなよ」
「ごめん」


隅に置いていた荷物を持ち、電気を消して外に出るともう真っ暗になっていた。
真夏だから日は長いはずなのに、暗いという事はそれなりの時刻になっているという事だ。


「…じゃ、また明日」
「ん」


飛雄くんが頷いたので小さく手を振る。
着替えるのも少し面倒くさいからこのまま帰ることにしよう。
振り返って裏門(表の校門は既に閉まっているから)へ歩き始めると、飛雄くんが呼び止めた。


「…なあ」
「ん?」


立ち止まって、振り返る。汗がひいて涼しく感じているのか、黒いジャージを羽織った飛雄くんが月明かりでちょっとだけ照らされていたのでドキドキした。


「ちょっと待っとけ」
「………え」
「もう遅いし…」


その続きはもごもごしていて、よく聞き取れなかった。最後まで言う気も無かったのかもしれない。彼の性格的に。

でも、遅いからって彼の帰り支度を待って一緒に下校するなんて恋人同士みたいじゃないか?いや、本当は恋人同士なんだけど今は違うから…我ながらややこしい。

距離を開けている期間にも関わらず「一緒に帰る」ということを承諾致しかねていると、飛雄くんが焦れったそうに言った。


「…だから!変な意味じゃなくて…駄目だろ、女子が夜一人で歩くとか…普通に。フツーにな?フツーだろが」


こんなの特別な事じゃない、と自分にも言い聞かせているかのような姿がちょっとおかしくて、笑うのを我慢するのが大変だ。


「…じゃあ待っとくね。普通だしね」
「フツーフツー」
「ふっ」
「笑うなボゲ」


もう、こらえきれずに笑ってしまった。





飛雄くんは置いていた荷物を持ってきただけで、やはり着替えずにそのままの姿で部室から出てきた。ほかの先輩達もいつの間にか帰っていたみたいで、坂ノ下商店も既に電気は消えている。


「…もうすぐ合宿たね」
「おお」
「他の学校すごかったよね…」


バス停までの道のりを、無言は避けたいので無難な会話で凌ごうと合宿の話をしてみる。と、彼にとっては無難ではなかったらしく飛雄くんは顔をしかめた。


「…他んトコはすげえけど」
「けど?」
「……けど…あんまり…会いたくない。合宿は楽しみだけど」
「会いたくないって?」


誰に会いたくないんだろ。
その質問をした時に丁度バス停に到着してしまい、その上都合よく私の乗るバスが来た。


「じゃあな」
「………うん」


飛雄くんは私がバスに乗るのを確認すると、そのまま歩き始めてしまった。

浮かない顔だ。浮いてる顔をしている事は少ないが、今のは特に浮かない顔。

けれどそこから数日間はいつも通りの飛雄くんに戻って、私以外の他の人と新しい速攻の練習をしていた。

菅原先輩やコーチに聞いてみても「影山いい感じだな」と言っていたので、「浮かない顔だ」と感じたあの時の顔は気のせいだったのかも。

普通の関係