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青葉城西高校とは4月の練習試合、その後のインターハイ予選ともに烏野高校が敗北している。どちらの試合もマネージャーとして見ていた私を及川さんは覚えていたようだ。


「烏野のマネちゃん。だよね」
「お、お世話になってます」
「いやいや俺が世話してんのは飛雄くらいだよ。超ウルトラスーパー不本意だけど!」
「はあ……」


中学の先輩であり、バレーボール界においての飛雄くんにとっての絶対的な存在。その彼は月刊バリボーを手にあっけらかんとしていた。
足元ではやはり、男の子が服の裾を引っ張っている。


「とーるー早くー」
「分かったってば…烏野は今日部活ないの?飛雄もフラフラしてたけど」
「え…」


飛雄くんをどこかで見かけたのだろうか。今日は一度も顔を合わせていなくて彼の動向が分からなかったので、思わず聞いてしまった。


「影山くんに会ったんですか」
「うん。オマケにお馬鹿な悩みを聞かされて疲れるわ可笑しいわで大変だったね」
「どこで…」
「甥っ子のバレーボール教室」


と、言いながら男の子に目をやった。この子は及川さんの甥だったのか…って今はそんなことどうでもいい。


「影山くん何か言ってました?いや、何て言ってました?どんな様子でした?」
「…マネージャーなら、気になる事は直接聞いたらイイんじゃないの?」


及川さんはいぶかしげに私を見下ろした。

確かに言う通りだ。部員の様子を気にするのもマネージャーの仕事なのだから。
でも今はマネージャーとして、また彼女として、飛雄くんのことが気になっているので混乱していた。


「…いや。チビちゃんと衝突したッポイ事言ってたし、今いっぱいいっぱいかもね」
「えっ…その事話してたんですか」
「うん」
「…それで及川さんは、その…影山くんにどんなアドバイスを……?」


及川さんの甥っ子くんは早く帰りたそうにしているので申し訳ないなと思いつつも、この人から何か言われたのなら飛雄くんの心には響いているかも知れない。
バレーの事も飛雄くんの事も私より詳しい及川さんならば。


「…今のままじゃ去年までと変わらないよ、とは言ったかな。そんな感じの事」
「え、」
「けどアドバイスなんかしてないよ、したくもないね。俺たち春高でまた当たるんだよ?」


夏休みが終わり秋になれば春高予選が始まって、恐らくどちらも勝ち進めば再び対戦することになる。その相手が今から成長してしまうような事をわざわざ助言する人がどこにいるだろうか。

でも「アドバイスはしていない」、確かにそうなんだろう、だけど及川さんが飛雄くんに言った「去年と変わらないよ」はまさしく成長に繋がる事のような気がする。


「……ありがとうございます」
「へ?」
「今のままじゃ去年と変わらないって、飛雄くんに一番必要な言葉だと思いました。だから及川さんにそう言われて、きっと色々考えてると思います」


飛雄くんにとって今は翔陽やコーチ、先輩や短い恋人期間しか共にしていない私よりも及川さんの言葉が一番為になると感じた。この人にとってはアドバイスをしたつもりではなくても。

だからお礼を言ったのだけど、及川さんはあまり嬉しそうな顔をせずに呟いた。


「…ヤダなあ」
「え?」
「なんで烏野を受けたのかは知らないけどさ。烏野に行く運命だったのかね?アイツは」


及川さんは月刊バリボーを閉じると私に譲ってくれて、男の子を連れ本屋さんを出て行った。

飛雄くんのことを「嫌だ、生意気だ」と言うわりには違うチームに所属する後輩を心配し、陰ながら応援しているかのようにも見えた。





飛雄くんは及川さんからの助言(及川さんにその気は無かったみたいだけど)を受けて、何かを感じただろうか。昨日のことをどうしても話したくて、電話をかけてみる事に。

…しかし、話中で繋がらない。

誰と電話してるんだろう。
少し時間を開けてかけ直しても繋がらず、コール音が鳴ったと思えばなかなか出ない。

いても立ってもいられなくなって、ひとまず烏養コーチに相談してみる事にした。


『おー、白石か?』
「休みの日にすみません」
『いや部活は無くても店は休みじゃねえからな…つかさっきまで影山きてたぞ』
「えっ!」


私たちの関係は烏野メンバーには筒抜け、つまり烏養コーチも知っている。
合宿二日目に翔陽と飛雄くんの様子がおかしかったのも気づいているはず。一緒に体育館の外に出ていたから。


『今どこいる?』
「学校に戻ろうかなと…あの、飛雄くんと連絡がつかなくて」
『あー……すまんすまん』


話を聞いてみると、先ほどまでコーチのところで話し込んでいたらしい。だから電話に気付かなかったのか。

そして、体育館の点検が終わっているかどうかを確認しに行ったようなので私もそのまま学校へ向かった。





いつも私たちが練習をしている体育館。
昼間は確かに業者の方々らしき人がちらほら居たけれど、もうその姿はない。


授業を終えて、寄り道をして、及川さんに会い、また学校に戻ってきたため空はもう暗くなり始めていた。
そんな中、体育館からは聞きなれたボールの弾む音。その音しか聞こえていないけど「彼が居る」と分かった。


換気のために空いている扉から中を覗いてみると、居た。制服を端っこに脱ぎ捨てて、体操服姿でトスを上げる影山飛雄の姿だ。

集中している様子なので話しかけるのをためらってしまい、気づかれないようにそっと体育館内に入る事にした。

しかし段差に躓いてあっけなく転けた。


「いたっ」


私の声と、体育館の床に膝をつく音に飛雄くんが反応した。
彼が音もなく振り返り、ボールはぽーんと床にバウンドする。続けて、ぽん、ぽん、とバウンド音がだんだん小さくなり、やがて無音になった。


「………すみれ…」


無音が数秒続いてから飛雄くんが言った。


「何でここに」
「…う、烏養コーチが…飛雄くんがここに居るって教えてくれて」
「……そうか」


飛雄くんは短く言うと、再びボールに目をやった。

…やはり昨日の私とのやり取りは、彼の中では消化できていないのだろうか。そのまま私の存在など無いかのように転がったボールの方への歩き出した。

飛雄くんか翔陽かという問いに対し幼馴染を選んだことに、納得していないのかもしれない。
でも、そのままでは嫌だからここに来たのだ。


「あのさ!」


呼びかけると、飛雄くんは立ち止まった。振り向くかどうか迷っているようにも見えた。


「…昨日の事だけど」


私が言葉を続けたら、飛雄くんがついに振り返って久しぶりに目が合った。久しぶりって言っても昨日の夜ぶりなんだけど、毎日顔を合わせて一緒に居たので久しぶりに感じる。


「昨日は…」
「言わなくていい。昨日の事なら」


飛雄くんが私の言葉を遮った。一瞬「怒っているのか」と思ったけれど、様子を見るとどうやら違う。


「…昨日は俺がどうかしてた」
「え…」
「なんか…色々余裕無くなって」


そう言って足元のボールを拾ったものの持て余しているようで、手の中で回したりしながら近付いてきた。
そして、数歩離れたところで立ち止まった。


「日向に合わせてみようと思う」
「…ほんと?」
「でも正直すぐには無理だ。練習しなきゃ…けど、やりたい」


入部したばかりの頃は翔陽を見下していた節のある飛雄くんが、今度は翔陽に合わせてくれるとの事。
及川さんからの助言のせいかも知れないけど、そんな考えを持ってくれるだけで私は充分に嬉しかった。


「…それで…怒らずに聞いて欲しい」


しかし、私の喜びとは裏腹に飛雄くんが申し訳なさそうに続けた。


「上手くいくまで集中したい。別の事考えずに…すみれにも迷惑かけたくない」
「…うん?」
「だから、ちょっとの間だけ…恋人で居るのは辞めにしたい」
「………」


一瞬の無言が永遠に感じられた。

と言うと絶望したかのように思えるんだけど、何故だか私はあまり悲しい気持ちではなかった。私の大好きな影山飛雄の原点であるバレーボールで、私の大切な幼馴染に最大限寄り添おうとしているのが伝わってきたから。

この合宿で少なからず私の存在が彼の集中を乱していたことは事実だ。新しい事を練習するために離れるなら、断ろうとは思えなかった。


「わかった。いいよ」


言い出しっぺの飛雄くんは私に拒否されると予想していたみたいで、私が笑顔で頷くのを見て目を丸くした。
たくさんのアドバイス