Happy Valentine's Day! 2017


とても大変なことが起きた。

バレンタイン、付き合いたての赤葦くんに「お菓子作りハマってるから」と見栄を張って手作りアイシングクッキーをプレゼントする予定だったんだけど。
アイシングクッキーって意外と難しくて、そもそもお菓子作りなんて得意じゃない私は見事に真っ黒焦げのクッキーしか用意出来なかったのだ。


「白石は赤葦にあげんのー?」


朝練で顔を合わせた瞬間に、木兎さんがにやにやしながら声をかけてきた。


「…あげます、よ」
「へえ!やっぱり手作り?」
「えー…まあ…えー」


私は手作りクッキーを渡すのを既に諦めていた。一応ラッピングしたそれを鞄に入れてはいるものの、とても恋人に渡して喜ばれるような代物ではない。
木兎さんの質問をはぐらかしながら様々な作戦を考えた。


「…中身を入れ替えるのは良くないよなあ…正直に言うべきか…」


ぶつぶつ言いながら体育館内を歩いていると、きょろきょろ中を見渡している女の子を発見した。
見覚えのある同級生の子。
まさかまさかまさか、と悪寒がしたのと同時に彼女は私を見つけた。


「あっ、白石さんちょっと…」


ちいさく手招きされたので近付いていくと、やっぱりその手には可愛くラッピングされたバレンタインのチョコレートか何かがあった。これをバレー部の誰かに渡すつもりだ。
「誰か」って言うより、たぶん赤葦くん宛だろう。


「……赤葦くん、まだ来てない?」


やっぱり。

私は表情が固まりそうになるのを必死にこらえて、「もうすぐ来るんじゃないかな」と答えた。

付き合いたての私たちが恋人同士である事は、バレー部の人しか知らない。赤葦くんと私はクラスも違うし、同学年の他の人たちには知る由もない事だった。


「そっかあ…どうしよ…」
「……わ、渡したいの?それ」
「うん」


恥ずかしそうに顔を赤らめるその姿の可愛らしいこと。
手元の包みは明らかに手作りだし、きっと見栄えのいいお菓子が入っているに違いない。私みたいな黒こげのクッキーではなく。


「何してんの君ら」


赤葦くんが部室からやって来るまでこの子をどうしておこうかと考えていると、可愛い女の子には目がない木葉さんがひらりとやって来た。
女の子はびくっと驚いて、やや背の高い木葉さんを見上げて「誰?」と私にこっそり耳打ちした。


「三年の木葉さん。…えっと、この子は赤葦くんに用があるみたいで…」
「……え、赤葦?」


木葉さんがぎょっとした。
それもそのはず、私と赤葦くんがまさにカップルだと言うのに他の女の子が「赤葦くんにバレンタインプレゼントを渡したい」と来訪したのを、この私が対応しているんだから。

気まずそうに木葉さんに助けの視線を送ると、賢い彼は察知してくれたらしい。


「あー赤葦ね?もうすぐ来るけど、」
「おっ!木葉ー!」
「げッ」


木葉さんがいたって普通の態度を貫こうと決心してくれた矢先、木葉さんの姿を発見した木兎さんが走り寄ってきた。

思わず「げッ」と声を上げた木葉さんと同じく、私も「げッ」と顔に出てしまう。何故ならきっと、この人は空気を読めないから。


「今年もチョコの数で勝負すんぞ!」
「お、おお…」
「去年は僅差で負けたけど…、アレ?それ誰の?木葉の?俺?誰宛!?」
「えっ、……」


木兎さんが矢継ぎ早に、バレンタインの包みを持った女の子にまくしたてた。
木葉さんよりも大きな男が突然大声で聞いてくるので彼女はますます小さくなり、ぼそ、と言った。


「…あかあしくんです」
「あかーし?あかーしは駄目だろ?」
「馬鹿、」
「白石の彼氏だもん」
「え」


木兎さん以外の全員がかちんこちんに凍りついた。
女の子はちらりと私を見て、「そうなの?」と聞いてくる。申し訳ないやら恥ずかしいやら悲しいやらで、私は無言で頷いた。


「だからそれ俺にちょうだい」
「馬鹿かテメェ木兎」
「言っとくけど赤葦より俺のが良い男だからな。背が高い!強い!かっこいい!幸せに出来る」
「………」
「俺にしとけ!な?」


木兎さんがその子の背中をぽんと叩いた。

私と木葉さんは、いつ彼女が泣き出す・あるいは悲鳴をあげるかと冷や冷やしていたのだが。なんと魔法にかかったようにその顔は木兎さんを熱い眼差しで見つめ始めたのだ。


「……じゃあ、あげます」


そして、恥じらいながら赤葦くんにあげるはずだった包みを木兎さんへ手渡したではないか。


「おおマジか!ありがと!」
「ホワイトデー待ってます」
「任せろ!」


ぺこりとお辞儀をすると、その女の子は足早に体育館をあとにした。

今ここで何が起きたのか信じ難いが、赤葦くん目当ての女の子を木兎さんが落としたという事に違いない。


「…お前、罪作り過ぎだろ」
「でも私は一触即発を免れました…」
「それもそうか。木兎ナイス」
「男前は辛いわー!」
「何してるんですか?」


そこへやっと、渦中の人物・赤葦京治がやってきた。のんきに水を飲み、その場に座り込んでシューズの紐を結び始める。


「赤葦!おせえよ」
「まだ開始前じゃ…」
「いや今ちょっと危ないとこだったんだよ」
「はあ」


赤葦くんはあまり興味が無さそうに相槌を打つと、紐を結び終えて立ち上がった。


「赤葦にチョコ渡そうとしてる子が来ててさあ、白石と付き合ってんの知らないもんだから白石が対応してて」
「え、そうなの」
「うん…」


赤葦くんが私に聞いたので頷いた。


「それを木兎が救った」
「俺が奪ってやった!」
「…よく分からないんですけど」
「いや、とにかくグッジョブだったよな」
「今年は木葉に勝ァーつ」


話についていけない赤葦くんを放置して、先輩方はバレンタインチョコの数を競い合う話に花を咲かせながら遠ざかっていった。
残された私に、当然だけど「どういう事か説明して」という眼差しをぶつけてくる赤葦くん。


「なんだ、そういう事」


結局、手短に説明するとあっけらかんとした反応だった。自分宛のチョコレートが木兎さんの手に渡ったことは大した問題では無いらしい。


「木兎さん、たぶん悪気があったわけじゃないと思うから…」
「気にしてないよ。例え木兎さんに悪気があったとしても別に気にしない」
「え?」
「白石から貰えるもん」


やばい。忘れてた。
鞄の中に詰められた、カリッカリの歯ごたえの真っ黒焦げになったクッキーの存在を。


「……なに?無いの?」
「いっ、いや」
「え…すっごい残念なんだけど」
「ある、あるのはあります」
「何その言い方。白状して」


赤葦くんはずいっと大きな一歩で近寄ってきて、逃げ場も無く言い訳も出てこない私は冷や汗たらたら。

付き合いたての彼女が作ったバレンタインのお菓子が、バーベキューの木炭みたいな色のクッキーだと知ったらどんな顔されるんだ。この綺麗な顔はどんな風に歪むんだ。


「……聞いてますかー」


赤葦くんが顔を傾け、私の顔を覗き込んだ。たぶん、ちょっとイライラしてる。


「…私、この前お菓子作りハマってるって言ったじゃん」
「言ってたね。だから楽しみ」
「………し、失敗…」
「え?」


聞き返してきた赤葦君の声が少し怖くて、思わずたじろぐ。


「…失敗しました」


最悪の場合殴られるか罵倒されるかも知れないと思い、決死の覚悟で恥を告白。すると、赤葦くんからは大きなため息が聞こえてきた。


「なんだそんな事か」


そして、呆れたような安心したような声で言った。


「……え、怒らないの?」
「何で怒んの」
「だって…ほんとボロボロだよクッキー」


オーブンを開ける前から焦げ臭かったもんな。昨夜の苦い香り、味見した時の苦い味、苦い光景を思い出して苦笑い。
しかし赤葦くんはあまり苦そうな顔をしておらず、けろりとして言った。


「いや…バレンタイン忘れてたとか、作るの面倒で作らなかったとか言われるのかと思ったから。それに比べたら全然」
「……本当に?」


本当にあの木炭みたいなクッキーを見ても、受け入れてくれるだろうか?


「うん。白石が作ったの食べたい」
「…いいの?」
「もちろん」


赤葦くんが普段見せないような顔でふんわり笑った。
この笑顔の持ち主が私の彼氏だなんて!

すぐさま私は自分の鞄を漁りに戻り、ラッピングだけは立派に施したクッキーの包みを持ってきた。


「赤葦くん!これ」
「わっ、早」
「お…美味しくないかもしれないけど!」


そう言いながら渡すと赤葦くんは「ありがとう」と苦笑しながら受け取ってくれた。


「開けていい?」
「え、今?」
「食べて元気出したい」


そんなふうに言われたら断るわけにもいかなくて、例え木炭色のクッキーでも彼の練習の力になるなら…と頷いた。

赤葦くんはラッピングを器用に解いてくれて、だんだんと中身が現れる。…あ、やばい。改めて見ると本当に真っ黒だ。


「…なんかすごい色だね。」


赤葦くんは、感想をオブラートに包むということをしない人間らしい。


「だから失敗したって言ったじゃん…」
「食べてみなきゃ分かんないから」


中から一枚のクッキーを取り出して、そのままひょいっと口に入れた。隣に居る私のところにまで、まだ焦げたにおいが漂ってくる。


「……あのー」


どうでしょうか?という眼差しで赤葦くんを見ると、無表情で口を動かしていた。ばりぼり、ごくんと飲み込むとその無表情を少しだけ曇らせて、口もとを指で拭う。


「…ごめん。美味しくない」


そして、やっぱりオブラートに包まず感想を述べた。


「ひー、ごめん…」
「でも何か不思議」
「ふ…不思議?」


赤葦くんはたった今「美味しくない」と言ったはずのクッキーをまた一枚取り出して、口へ運んでぼりぼり食べた。
自分で作って渡しといて何だけど、健康上問題ないのだろうか。


「やっぱり彼女の手作りって凄く嬉しいね。ぜんぜん美味しくないのに」
「最後のは余計では」
「あ、ごめんつい。でもクセになる」


ぼりぼりごくん、と飲み込んで今度こそ赤葦くんがラッピングを結び直し、朝練開始のためいったん私に預けた。


「来年も期待してるから」


その時添えられた一言が、これからの一年私をお菓子作りに没頭させる事になる。来年もずっと一緒にいてくれるという事だ。

次のバレンタインは黒こげ木炭クッキー以外で胃袋をつかもうと決意した。
失敗を恐れることなかれ
教訓を知るバレンタインデー