04.ほんとは



賢二郎から、すみれと別れた話を聞いた翌日。

遅かれ早かれすみれのほうからも呼び出しがあるだろうと思っていたら案の定、昼休みに呼ばれたので目立たないように歩きながら話をすることにした。
もちろん賢二郎のクラスの前なんか通らないように気を付けながら。


「…賢二郎から聞いた?」
「うん、まあ。別れたって事だけ」
「……だよね。太一にはいっぱい迷惑かけたから、私からも報告しとこうと思って」
「別に迷惑じゃ…」


迷惑と言うのは、初デートでどこに行くだの賢二郎の好物がなんだのと言う相談に乗った事だと思われる。
俺もきっとすみれの友達と付き合うことになったら同じ依頼をするんだろうし、そんなことは大して負担では無かった。


それよりも俺の中で大きいのは、賢二郎が明らかにすみれに対してきつい態度を取っているのをあまり強く指摘しなかった事だ。


昨日の夜賢二郎から「別れた」と聞かされた後、あの時もっと強く叱れば変わっていただろうかとも考えた。
しかし、頑固な賢二郎が俺の意見ひとつで態度を改めることなんか無かったかも知れない。


「これは賢二郎にも聞いたんだけど」
「うん…」
「すみれはそれでいいの?」
「……………」


それまで俺が合わせていたはずの彼女の歩幅は更に縮まり、いつの間にか追い越していた。
気付けばその場に立ち止まって、どうにか涙をこらえようとしているのが伺える。

まずい。

昼休み中、廊下は生徒達で溢れているとはいえ泣いている生徒なんかどこにも居ない。

万が一「廊下で元カノが泣いていた」なんて賢二郎の耳に入ればあまり良い効果は得られないと判断した俺はとっさにすみれの手を引っ張って、誰も居ないであろう視聴覚室の戸を開けた。


「…ハンカチ持ってる?」


念のため聞いてみると首を横に振ったので、やっぱりなあと思い俺はポケットからティッシュを取り出した。
これは計画的に用意したものではなく、今朝ロードワークの道のりで配られていたのを貰ったものだ。


「あり…ありが、と」
「うん」
「……う、じゅるっ、うう」


とうてい綺麗とは言えない泣き声と鼻をすする音だったが、華の女子高生にこんな顔をさせて賢二郎は何を考えてるんだろうなあと単純に思う。

俺だって賢二郎の抱えるプレッシャーが並々ならぬものだというのは容易に想像出来るが、だからって彼女に当たるようなことしない。
それを抑えられないのが賢二郎なのだから仕方ないけど。


「泣き止んだ?」
「…まだでず」
「そう。いいよそれ全部使っても。毎朝配ってるから貰いまくって結構部屋に溜めてるし」
「ふふ、やば」
「だろ」


我ながら、泣いてる女の子を軽い話で笑わせるなんて小粋なことを高校生のうちに成し遂げるとは思わなかったな。


「…本当は別れたく無かったんだけど、」


いまだしゃくり上げたり鼻をすすったりしながら、すみれが話し始めた。


「でも、最近しんどくなってきた…賢二郎が私の事好きなのか分かんなくなってきて」
「だよな俺も思う」
「話しかけても面倒くさそうだし、連絡しても放置されること増えたし、なんか…大変なんだろなぁとは思うけど…」
「んー」


賢二郎が今大変で、賢二郎にとっての大切な時期であることは誰にだって分かる事だ。

少なくとも俺から見れば、すみれはあの賢二郎をよく支えていると思っていた。
他人よりも冷静沈着な表情でいるくせに、怒る時だけは他人よりも激しいんだからたまったもんじゃないだろう。

だから、「賢二郎は今大変な時期」という事を差し置いても最近の彼の言動はなかなか見過ごすのが辛かった。


「賢二郎はああ見えて、すみれに甘えてんじゃないかな」
「あ…甘え?」
「あいつ素直に甘えるの下手だから」
「………」
「だからって賢二郎がやってきた事は簡単に許せる事じゃないと思うけど」


つい昨日の夜、賢二郎から知らされた時には「俺は何も口出しせずに見守っておこう」と思っていたのだが。

直接この子の意見を聞くと、やっぱり賢二郎が悪者で間違いないのだと再認識した。しかしどう足掻いても部外者である俺は踏み込み方を間違えるわけには行かない。

けれど軽々しく「信じてやれよ」なんて言える気分にもなれなくて。


「すみれはここまで頑張ったと思うよ」
「………た…」
「頑張って頑張ってそれでも無理って思ったんなら、それはもう無理なんだよ」
「……」
「賢二郎もきっとすぐには変われない。俺は正直、すみれが我慢の限界ならここが潮時だと思う」


我ながら冷めた考えだ。
しかし冷めた目で物事を見ることが出来るのは俺の長所だ。それをすみれに褒められたこともある。


すみれは一度おさまったと思われた涙をまた浮かべて、今度は抑えようともしないまま昼休み中泣きはらしていた。





そのまま約一ヶ月が過ぎて、となればその間にマネージャーのすみれと正セッターの賢二郎が別れたことは部内になんとなく広まっていた。
天童さんなんかは一週間経つか経たないかくらいで様子がおかしいことに気付いていたから恐ろしい。


賢二郎は全く気にする様子もなく、むしろストレスフリーで練習に打ち込んでいるので驚くほど進化を遂げていた。
いよいよ夏休みに入りインターハイが近づいているから当然と言えば当然なのだが。


すみれはと言うと、女の子って本当に強いなと思うが、あまり態度が変わっていなかった。

そりゃあ賢二郎に近づく頻度こそ減ったもののマネージャーとしての仕事ぶりは今まで通りで、俺や先輩に対しての接し方も変わらない。

ここまで気丈な態度を取れることには感心した。別れてから一ヶ月で少し落ち着いたように見えるし、これで良かったのかもしれない。

…と、思っていた矢先。


「太一!」


突然俺の部屋のドアを開け、許可もなく入り込んでくる我らが正セッターの白布賢二郎。

俺たちがどちらかの部屋に入り浸るのはいつもの事だから別に構わないのだが、今夜は虫の居所が悪そうだ。


「どしたの急に」
「さっきすみれに電話したんだけど」
「……はい?」


俺の間抜けな返答と同時に、賢二郎がベッドに腰を下ろした。

電話したって、賢二郎から?
別れて一ヶ月も放置して、このタイミングで?


「…ちなみに何て電話したの」
「何もクソもねぇよ、何?って聞かれたよ俺も。だから用がなきゃ電話しちゃダメなのかよって言った」


攻めすぎだろ。別れたくせに。
しかもお前は気づいてないけど、一応振られた側の人間だから。


「…で?」
「そしたら!もう別れんだから意味の無い電話はやめろみたいな事言われて切られた」
「………ご愁傷様。」
「…何だよクソッ、ほんとに別れるつもりなんて思わなかったんだけど」


賢二郎はスマートフォンを握ったまま頭を抱えていた。

悩め、大いに苦しめ。
それでこそスタートラインに立てるというもの。


賢二郎がひととおり頭を引っ掻いて唸る姿を見てから、何か手伝いでもしてやるかと重い腰を上げた。