03.もやっとすみれと別れてから何かが変わったかと聞かれたら、答えはノーだった。
今の俺には白鳥沢でレギュラーの座を守ることが最優先だ。誰かの彼氏としての座ではなく。
だから「別れよう」と言われた時にも引き止めることはせず、「別れたいなら、そうする?」とだけ答えて俺達の関係はあっけなく幕を閉じた。
まあ、それは心のどこかで「どうせ後から後悔して戻ってくるんだろうな」と言う気持ちがあったからだ。
別れて一週間経つが、今もその考えは変わらない。今回は機嫌を損ねる期間が長いな、程度にしか思っていない。
「はい」
と、前よりも愛想が半減したような表情ですみれがドリンクを持ってきた。
この一週間「はい」「おはよう」「お疲れ様」以外の言葉を俺に向かって発していないんだから驚きだ。一体なんの意地を張ってそんなに不機嫌丸出しにしているんだろうか。
しかし、そんな疑問もすぐに俺の頭からは消え去った。監督の号令で集まれば、それを境にバレー以外の事なんかすっぽりと抜けてしまうのだ。
俺の頭は「バレーボール」「その他のどうでもいいこと」の二分でしか物事を判断出来なくなったのかもしれない。
「賢二郎、最近あの子と喧嘩してんの?」
レギュラーになり、牛島さんの次に俺がコミュニケーションを必要とする人物は間違いなくこの人だろう。
天童覚、俺が心底「味方で良かった」と思えるブロッカーだ。つまり「絶対に敵に回したくない」という意味。
「あの子って誰ですか」
「付き合ってんでしょ?すみれチャンと」
「ああ…別れました」
「えっ!!?」
さすがの天童さんもこれには驚いたようで、手に持っていたボトルを取り落としていた。
「ご…ゴメンネ?俺ホント無神経だからそれでも遠慮せず聞いちゃうけど許してね?」
「いいですけど…たぶん面白くないですよ」
「なんだぁ。太一は何か無いの?」
天童さんは俺の隣を歩く太一へも、何か面白い話題が無いかと質問を投げた。
そういえば太一だってそこそこ告白を受けたり、「川西くん頑張って」なんて黄色い声を聞くこともあるからモテているに違いない。
俺も太一の返事を待っていると、本人からはとぼけた声で返ってきた。
「俺は別に…何もないです」
「えー!ツマンネ」
「すみませんね」
「じゃあ賢二郎が別れてスッキリした?」
「おい天童……」
瀬見さんが呆れ気味に言うものの、天童さんの中ではまだボーダーラインを超えていないらしく太一への尋問が続く。
「スッキリはしないです。モヤッとです」
「モヤッと?」
「モヤッとしてます」
「なんで太一がモヤッとしてンの」
「お前らあんまり色気づくなよ?…じゃあまた明日」
「お疲れ様でした」
大平さんがうまくまとめてくれて、だらだらと歩いていた面々はそれぞれ自室へと向かって行った。
俺と太一も自分の部屋に入ろうかと廊下を進んでいたが、どうしても我慢できなくなり歩きながら太一に聞いた。
「モヤッとしてんのかよ」
太一はちらりと俺の方を見て、わざとらしく唸ってみせた。
分かっている。
太一は俺やすみれと同い年だし、一緒にいる期間が長かった。俺たちが付き合い始めた馴れ初めも知っているし、初めて手を繋いだ時の自慢やファーストキスを終えた報告なんかもした。
だからこそ俺とすみれが別れたことに納得行かないのだろう。
「言っとくけど、別れるっつったのはすみれのほうだからな?」
「それは知ってるよ…」
「じゃあ何で太一がモヤッとするわけ」
「………」
太一はいつも表情筋をあまり働かせないが、それでも俺は今こいつが眉を動かしたことに気付いた。何か言いたい事があるらしい。
「俺は賢二郎もすみれも好きだからさ、二人が決めたことなら何も言いたくないけど」
「………」
「賢二郎、すみれが戻ってくるって思ってる?」
「…はあ?そうなんじゃねえの」
回りくどい言い方に少し苛立ちながら聞き返すと、太一はいつになく真面目な顔をして言った。
「たぶん、戻ってこねぇと思うわ」
どうして太一にそんな事が分かるのかなんて全く予想もつかないし、それでも俺は「すみれが俺から離れるはずはない」と信じて疑わなかった。
だから彼女の心が俺から離れていることなんか気付かずに、ひたすらバレーボールに没頭した。太一もあれからその話題を振ってこず、何故か天童さんも聞いてこない。
◇
そのお陰もあってか俺は練習には人一倍打ち込むことができ、気付けば夏休み前となっていた。すみれに別れを切り出されてから1ヶ月が経過していたのだ。
「…何でホントに戻ってこないんだよっ」
スマートフォンをベッドに叩きつけて、そのままダイブ。
付き合っていた期間には、朝の「おはよう」寝る前の「おやすみ」というメッセージは必ず来ていた。とは言え俺は最後のほう、それに対して返事を打っていなかった事も多いが。
それにしたって突然「もう無理別れる」なんて言いやがって、俺が了承したからいいものの断ったらどうするつもりだったんだ。
苛々した気持ちのまま画面ロックを解除し、すみれへの電話を発信する。
呼び出し音が鳴り続くが、なかなか出ない。入浴中なのか、誰かと一緒に居るのか。
諦めて切ろうとした時、やっと画面が「通話中」に切り替わった。
『はい』
「遅い」
『……何?』
何?って、こっちが聞きたいくらいだ。
「今何してんの」
『別に何もしてないけど…何?』
「だから、何?じゃなくて。何なの俺は用がなきゃ電話しちゃいけないわけ」
電話越しに、いつも俺が矢継ぎ早にまくし立てた時に出す困惑した声が聞こえた。やっぱり以前の通りのすみれじゃないか。
「俺も今日ちょうど復習無いし、今から…」
『…ごめん。私たち別れてるよね』
「……は?」
『私、もう賢二郎の彼女じゃないよね』
「…何?」
『だから、そういう突然の呼び出しには応じられません。おやすみなさい』
ぷつ、つーつーと音がした。
何かの信号障害か?耳にスマートフォンを押し当てるものの変化はなく、ああ電話が向こうから切られたんだ気づいた時には、もうどうしようもない事になっているのだと悟った。
俺は一ヶ月前にすみれと別れた。
あんなの一時的なもので、すみれの気が済んだらしれっと仲直りを乞う連絡が来るものと思っていたのに。
これは単に「別れた」のではなく、正々堂々「ふられた」のだと、やっと気付いた。