02.いいやつ



賢二郎はいい奴だ。認めよう。
俺が「テストやばい」と言えば嫌々ながらも勉強を見てくれるし、互いの自主練に遅くまで付き合う仲。寮に戻ればくだらない話をしにどちらかの部屋に通い、どちらかが眠くなればお開きになる。とても普通の友人関係で、そこには何の問題も無い。

しかし俺はひとつ、気になるものを発見してしまった。
賢二郎には白石すみれという彼女が居る。バレー部のマネージャーで、1年の時から一緒だ。すみれがずっと賢二郎の事を好きだったらしく、告白を受けた賢二郎がOKの返答をした事でふたりは付き合い始めた。去年の秋ごろだったかな。

それからというもの、ただでさえすみれはてきぱきと数多くの部員の面倒を見ていたのに更に頑張るようになった。それもこれも賢二郎に気に入られたいから、好きでいて貰いたいからというのが伝わってくるのが意地らしい。幸せ者だなコノヤロー、と小突くと賢二郎は「うっせえ」と言いながらも顔を赤らめていたっけ。

ふたりはなんの問題もなく付き合っていたかに見えたが、いつからだろうその関係はぎくしゃくし始めた。
原因はなんとなく分かっている。賢二郎に余裕がなくなってきたのだ。

前の三年生が引退してから、俺はすぐにレギュラー入りを果たす事になった。ありがたい事に俺は身長に恵まれていて、強豪と呼ばれる白鳥沢にも190に近い部員は多くはなかった為、レギュラーの先輩たちに混ざり文字通り「次期レギュラー候補」としての特別指導を受けていた。
賢二郎はと言うと、これは本人には口が裂けても言えないが決して体格が良くない。しかし、それを補うために出来ることは全て取り組んでいる。単純に凄くて尊敬できるのだが、その意識がバレーに向けば向くほどすみれへの態度は余裕の無いものへと変わっていった。

しかし、やっと賢二郎もレギュラー入を果たせばそこに余裕が生まれるかと思えばそうでは無かった。これまで追う側だったのが追われる側になった事で、更なるプレッシャーが彼を襲った。

賢二郎は良くも悪くも考えすぎる性格のせいで、こういったプレッシャーにはことごとく弱い。何かを犠牲にしなければそれに打ち勝つことが出来ない。
今回犠牲にされてしまったのが、彼女であるすみれだったのだろう。


「賢二郎、あのさ」


自主練の合間にすみれが賢二郎に声をかけた。俺は少しだけひやりとした、何故なら直前に牛島さんが賢二郎を呼んでいたからだ。
「ごめん、牛島さんに呼ばれてるから後で」とでも言えれば良いんだがあいにく今の賢二郎にそんな器量など無い。


「どいて。牛島さんに呼ばれてるから」
「え」
「邪魔なんだってば」


俺なりにふたりの様子が心配だったので近くで聞いていたんだが、驚く事に賢二郎が彼女を力任せに押しのけて牛島さんのもとへ歩いて行ったではないか。

10センチ以上も身長差のある男に押されて当然バランスを崩したすみれを、慌てて俺が受け止める。
賢二郎は振り向きもせずにコートの中へ入っていく。うーん、これって良くないやつだよな。


「…大丈夫?」
「う、うん。平気だよどこも痛くない」
「そうじゃなくて…」


俺が気にしてるのは、体じゃなくて心のほうなんですけど。
そんなくさい台詞は言えなかったので、夜にでも賢二郎にそれとなく忠告する事にした。





しかし、結局その夜それとなく話題にしてみたものの「お前には関係ない」というオーラを放たれたので諦めた。
俺がいくら熱を持って説得したところで賢二郎がこれでは意味が無い。それに実際、恋人同士であるふたりの関係に口を出す事なんか出来ない。
どうか賢二郎がその過ちに気づいてくれるまでにすみれの心が折れませんようにと、及ばずながら祈るしか無かった。


「…え、別れたの?」
「うん」


俺の願いは虚しく砕け散った。
インターハイ予選で優勝し、絶好調かと思われていたバレー部の中でも白布賢二郎のメンタルはそうでは無かったらしい。
あれから更にすみれへの態度は悪くなる一方で、とうとう向こうから別れを切り出されたのだとか。


「それ…俺が言うのも何だけど、賢二郎はそれでいいの?」
「んー…さあ。今だけじゃねえの?多分すぐ謝ってくると思うし」


すみれが賢二郎に謝るべき理由などどこにも見当たらなかったが、おそらく当の本人はそんなこと気付いてないな。


「それに今はすみれに構ってらんないし、正直ラクになるかも」
「ふーん…まァ賢二郎がいいなら…」


賢二郎がいいならいい、なんて偽善者みたいな台詞はもちろん嘘だ。賢二郎が良くても、すみれにとっては「別れる」なんて苦肉の策だったに違いない。

いつか賢二郎が前のような優しい人になるはず、いつかこんな扱いではなくなるはずだと、ゴールの見えない永遠に続くコースの真ん中に置き去りにされた状態。
賢二郎はそのコースを独走し続ける。俺は賢二郎の背中を追いかけるふりをして、道の真ん中に立ち止まるすみれにも少しだけ手を貸してやりたかった。
しかし、それは出来なかった。恐らくしてはいけない事だから。

いくら消去法で探し得た選択肢だったとしてもすみれから別れを切り出したのなら、俺はもう何も言えない。なるべく手を出さずにこの行く末を見守ることを誓ったのだった。