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『ごめんなさい』


文字だけ打って、送るのはやめた。

謝罪の気持ちなんか浮かんでこなかった。飛雄くんの言っている事は間違ってはいないけど、言っていい事と悪い事の区別すらつかなくなっている人になんか謝りたくない。

もうムカついてムカついて、スマホの電源は切ったまま眠りについた。





翌朝、体育館の点検のために部活が無いので他の生徒と同じ時間に登校した。できるだけ飛雄くんや翔陽に会わないように周りを見ながら。
翔陽とはクラスが同じなので結局は顔を合わせる事になるんだけど。


「……すみれ、顔やばいよ」


同じクラスの友達に言われ、鏡を向けられると自分の顔の暗さに唖然とした。生気が無い。


「彼氏と何かあったの?」
「……ちょっとね…大した事じゃないよ」
「嘘つけ。」
「…ううう」


昨夜あんなにムカついていたのに、今となっては罪悪感や不安でいっぱいだった。

飛雄くんと翔陽が衝突したのは仕方の無いことで、私が口を出してはいけなかったんじゃないか?
私は黙って二人の喧嘩を見守って、二人がいつか互いの意見を尊重しひとつの方向に向かっていけるまで見届けるべきだったのでは?

…何だよこのやろう、あの二人は許嫁か何かか!なんで私が見守ってやらなきゃならんのだ!やっぱムカつく。


「やっぱり変だよすみれ」
「……うー…」
「あ!日向クンおはよー」
「!!!」


昨夜、飛雄くんとつ掴み合いになった翔陽が登校してきた。
顔には青あざが。田中先輩に殴られたものか、飛雄くんに突き飛ばさた際のものかは分からない。

私と目が合うと、翔陽は気まずそうに目を逸らした。…こちとら翔陽の味方をして飛雄くんと絶賛喧嘩中なのだ。その原因である幼馴染をやすやすと逃がすわけはない。


「翔陽」
「……おはよ」
「こっち向いてよ」
「なんで」
「…飛雄くんと喧嘩した」
「はあっ!?」


ずっと黒板のほうを見たまま無表情だった翔陽が、がばっと私の方を向いた。


「何ですみれが影山と喧嘩すんだよ」
「……まあ色々ですね…」
「…もしかして俺のせい?」
「え、いや」


翔陽はすごく、すごく良い人だ。
たとえこの学校の全員が彼を敵に回そうとも、私は翔陽の味方をするだろう。

一瞬でも「飛雄くんと喧嘩したのはアンタのせいだ!」と考えた自分を恨んだ。


「…なんか影山って大変だよな」
「えっ?」


鞄の中からノート類を出しながら翔陽が言った。


「俺はすみれが影山と付き合ってるからって、今までより距離を置くつもりとかは無いから。それが嫌なんだろうな」
「………」
「…けど昨日のはムカつくッ」


翔陽は、ばしん!と分厚い教科書を机に叩きつけて鞄を机にかけた。
ペットボトルを一口飲んだが「あーもう無いや」とそれを鞄に仕舞いこみ、イライラした様子で机の上をとんとん指で叩く。そこでふと顔を上げた。


「で、なんで喧嘩したの」
「う…」


私は昨日の出来事を翔陽に言うべきかどうか迷っていたが、大まかに事の顛末を説明した。私が何も言わなくてもどうせすぐに「ヘンだな」って気付くんだろうし。

でも、昨夜の飛雄くんは完全にいつもの彼ではなくて、別人が取り憑いたみたいな感じだった。あの迫力は烏野に来たばかりの、中学の試合で見た時のもの。


「は?…なにそれ?」


だから喧嘩の理由や内容を伝えると、翔陽は思いっきり顔を歪めた。


「それって俺と影山の問題だろ」
「うん。だから私が余計な事言わなきゃ良かっ、」
「ちげぇーよ!」


座っていた翔陽がいきなり立ち上がり、朝のホームルーム前の教室内からは一斉に視線が集まった。
そんな事を気にもしない幼馴染は私の肩をつかんでその気持ちをぶつけてくる。


「すみれはマネージャーなんだから、チームの事で何か思った事があるなら言えばイイんじゃねえの?それを影山が変な解釈してキレてんだろ?俺が絡んでるから。なんだそれチクショウ!影山くんは子どもですか!」
「えっ!?」
「文句言ってくらァ!」
「ちょっ」


やめろやめろ余計にこじれる!とかろうじて翔陽のシャツを引っ張って引き戻す。
バランスを崩した翔陽が近くの机に手をついて、がたん!と音がしたところで担任の先生が入ってきた。


「席ついてー、ホームルームするよ」


教室内が一瞬静まり返った後、翔陽を含む生徒達はそれぞれの席へと戻っていった。


それから授業の合間や昼休みなど、翔陽が飛雄くんのもとへ抗議に行かないかと冷や冷やしていたけれどその様子は無かった。


だから私は昼休み、いつもの通りにお弁当を持って飛雄くんのクラスへ…ではなく、やっちゃんのクラスに行く事にした。
翔陽と飛雄くんの衝突に、彼女も巻き込まれたから。


「やっちゃーん」
「ン?…あっ!すみれちゃん」


やっちゃんが大きく手を振ってくれて(近くを通りがかった生徒にバシンと当たって謝っていた)、歓迎してくれたのでやっちゃんの前の席の椅子を借りて一緒にお弁当を広げる。


「「昨日は…」」


と、二人同時に同じ出だしで話し出した。
二人ともすぐに口を止めて、どうぞ、いや先にどうぞと何度か譲り合った結果私から話す事になった。


「昨日、ごめんね」
「え…すみれちゃんが謝る事じゃないよ?ああいうのって、チームメイトとして高め合っていくみたいな…なんかこう…よくドラマで見るやつ、だし…」


やっちゃんの語尾がだんだん消えていく。男同士のあんな激しい言い合いを見せられたんだから怖っただろうな、私も怖かった。


「それに、日向言ってたよ」
「ん?」
「影山くんの事。初めて相棒ができたみたいに感じてるんだって」
「相棒…」


欲しくても欲しくても、探しても探しても同じ中学には最後まで存在しなかったもの。


「日向にとって影山くんみたいな相棒、もう二度と現れないんじゃないかな。私が言うのも変だけど…だから大丈夫だよ」


やっちゃんは口元にナポリタンのソースがついたまま、にこりと笑った。

そのやっちゃんの顔と言葉とナポリタンに癒されて笑い返し、お礼に鏡を貸してあげた。





昨日周知があったように今日は体育館の点検があるので部活は休み。


おのおの練習していたり身体を休めたりしているのだろうが、翔陽は烏養コーチのところに向かったようだ。


飛雄くんは何をするんだろう。
放課後、彼のクラスを覗いて見たけれどすでに姿は無かった。携帯電話にも、何の連絡も無い。私も何も送ってないんだけどさ。


だから久しぶりにクラスの友だちと寄り道をして、おしゃれなカフェで話したりプリクラを撮ったりして夕方になった。いつもこの時間はまだ体育館に居るんだよなあ。


「すみれちゃんバスあっちだよね?」
「うん。また明日ー」


駅の近くで友だちと別れて、私はバス停へと向かった。…が、飛雄くんとのいまの状態から抜け出すために何かしなければいけないような気がして、いったん足を止める。

何をしようか。

私のちいさな脳みそからは「なにかプレゼントでも贈る」という案しか浮かばなかったので、ひとまず駅前のモールに向かう事にした。


「本屋…本か…読むかなあ」


飛雄くんが本に書かれた小さな文字を隅から隅まで読むような人だとは思えないけど、何をあげれば良いのか分からずとりあえず本屋さんに入った。

スポーツ雑誌のコーナーにはサッカーや野球やゴルフなどのほか「月刊バリボー」も並んでいる。
そう言えばこの雑誌、ちゃんと読んだことがないなあ。読んでみようかな。


「あ」


雑誌を取ろうと手を出すと、他の誰かも月刊バリボーに手を伸ばしていたみたいで手が止まった。


「どうぞ」
「いや、お先にどうぞ」


気まずくて互いに譲り合い、私は一歩後ろに下がった。

背が高い人だ。この人もバレーの選手なら、どこかで会ったことがある人かも知れない。そう感じた時、その人の足元から声が聞こえた。


「とーるー、まだ?」


男の子がその人の服の裾を引っ張っている。弟?息子?と思いながら見ていると、月刊バリボーを手に取った彼が言った。


「まーだ!ちょっとだけ読ませてよ俺が載ってるかも知れないんだから」
「先月も先々月も載ってなかっただろ」
「ウルサイよ!もうちょっと待ってな!ッたく飛雄と言いお前と言い…」


飛雄??って、とびお?影山飛雄?

思わずその人の顔を見上げたところ、その私の視線に反応した相手と目が合った。


「…あれ?キミって」


私を見て何かに気付く。
よくよく見ればその人は、紛れもない青葉城西高校男子バレー部の主将だった。
エンカウント