09


合宿二日目の朝、なんとか仲直りをした私たちはひとまず体育館へと向かった。

途中で月島くんがぼそっと「ホント世話焼ける」と言ったのも聞き逃さなかった。まあ月島くんには世話を焼かれていないけど、飛雄くんのテンションが彼の練習にも影響することは事実だ。
練習はいつも通り、何事もなく始まったように思う。

でも、その安心は長くは続かなかった。


「俺、目ぇ瞑んのやめる」


翔陽のこの言葉をきっかけに、飛雄くんと翔陽・菅原先輩の三人で体育館の外へ出てしまったのだ。そして、烏養コーチも。


程なくして四人とも戻ってきたけれど明らかに空気が違っていて、同じコートの中で過ごしていない私が簡単に口を出してはいけないような気がした。


「俺、日向に余計な事言ったかも」


菅原先輩が青い顔で話しかけてきたけど、私よりも先輩の方が気の利く言葉を言えるに違いない。
だから冷や冷やしている菅原先輩に安心してもらおうとフォローを試みた。


「大丈夫ですよ…、翔陽は小さい事引きずるような人じゃないんで」
「じゃ、大きい事だったら?」
「……分かりません。」
「ホラぁぁ〜もおぉぉぉ」
「そんなに大きい事、ですか?」


先輩はこくりと頷くと、烏野対音駒のコートから少し離れたところに手招きをした。


体育館の外で行われた話し合い(という程の大層なものでは無かったようだけど)では、飛雄くんと翔陽のコンビネーションを発展させるかどうかを話していたようだった。

翔陽の言い分と、コーチや菅原先輩が飛雄くんに同意する気持ちと、飛雄くんの言い分は客観的に聞けば全て頭では理解できる内容だ。

でもそれを冷静に考えられないのは私が翔陽の幼馴染で、飛雄くんの恋人だから。


「…男ってメンドくせぇーと思った?」
「うぇ!?」
「女の子ってあんまりこんな風に揉めないじゃん。男って周りが見えなくなって、自分が自分がってなっちゃうんだよね…邪魔するんだよね、色んなもんが」
「………」
「…つって!まあ俺も男歴たった18年のぺーぺーですけども!」


と、私の背中を叩いてくれた菅原先輩は男歴18年とは言うものの、男歴約16年の翔陽や影山くんとはやっぱり違って大人に見えた。

そして私は女歴16年…なのは置いといて、翔陽との幼馴染歴が物心つく前からの10年以上。飛雄くんの恋人歴は2ヶ月。

時間なんて関係ないけれど私たちの関係を年数の棒グラフにした場合、それはもう決定的な差が目に見える。
共に過ごした時間の差。


今はそんなの関係ないのは分かっているけど、頑なに翔陽の意見を聞かない飛雄くんや、全面的に飛雄くんを支持するほかの人たちには疑問符が浮かぶ。

翔陽は何もふざけているんじゃないし、自分が強くなりたいんだし、翔陽が強くなれば烏野全体が強くなれるのに。


結局、翔陽はそれから試合に出してもらえないまま合宿が終わってしまったのだった。


「お疲れ様」
「……疲れてない。」


バスに乗る前に声をかけると、翔陽はムスッとした顔でそれだけ言ってバスの一番奥へと進んでしまった。
後半は全く試合に出られていない事への苛立ちが痛いほどに伝わってくる。…相当きてるな。

続けてバスに乗り込む飛雄くんが目の前を通ったので同じように「お疲れ」と言うと、「うん」とこれまた短い返事で終わった。

そのすぐ後ろを歩いている月島くんは、「このまま放っとくなんて許さないよ」という視線を送ってきた。





バスは真っ暗になってから烏野高校に到着し、コーチも先生も「寄り道せずに帰るように」と指示を出した。
烏養コーチは自宅へと戻り、武田先生は職員室へ向かったようだ。


「…えっと、どうする?」


私に声をかけてきたのはやっちゃんで、翔陽と影山くんが体育館に残り練習をするらしい。
やっちゃんがボールを投げてくれると言うので、私はちょっと疲れていたし隅に座って様子を見ることにした。


すると、なんということか、雰囲気は最悪で息はバラバラ、むしろ互いの意識は逆方向を向いていて全然噛み合ってないように思えた。

最後には取っ組み合いの喧嘩になって、身体の小さい翔陽が飛雄くんにしがみつき、もうやけくその状態に。


「トス上げてくれるまで離さねえっ!」
「はあ!?くっそ、てめ」
「ちょ、喧嘩はやめ…っ」


やっちゃんが田中先輩を呼んできてくれ、間に入り強烈なパンチを浴びせた事でこの取っ組み合いは終わった。

しかし、やはり男の子同士が力ずくで喧嘩をするとこんな風になるのだ。田中先輩のパンチも相まって、もう二人ともボロボロだった。


「…じゃあ、あの、私たちコッチ」
「うん…」


翔陽は少し離れたバス停まで行くやっちゃんを送るため、坂ノ下の前で別れた。

私と飛雄くんはやっちゃんとは別のバス停を利用するので、無言で二人並んで歩く。

何か話さないと。でも、何を?


「…俺は間違ってない」


私が会話の種を探していると、先に飛雄くんが言った。間違ってない。それはとてもよく分かる。けど。


「私は、どっちも間違ってないと思う…」
「………」
「翔陽のも、試してみてほしいって思う」
「…何で?」


その声からは久しぶりに威圧感を感じた。


「何でって、そりゃあ…やってみなきゃ分かんない事だってあるよ」
「やらなくても分かる事だってある」
「ホントに分かるの?」
「俺が分からねえと思ってんのか?」
「………そうじゃないけど…」


怖い。
飛雄くんがあの目で今、私を睨んでいる。怒りをそのまま言葉に乗せて私に向かって放っている、前みたいに。

でも今このまま引くということは、私だけでなく翔陽のことを否定されたまま終わっしまうのではないかと感じた。
それは嫌だ、絶対に。


「俺より日向のほうが正しいって言いたいのかよ、バレーの事で?」
「どっちが正しいとかじゃなくて、」
「そうだろ」
「違…」
「すみれはどっちの味方なんだよ、俺か?日向か?どっちが正しいと思うんだよ、あの下手くそと俺のどっちが!」
「………」


嫌だ、これは知らない人だ。

でも紛れもない影山飛雄、私の恋人であり翔陽のチームメイトであり烏野高校の正セッター。
私は初めて見た時から彼に憧れていて、やっとの思いで仲良くなれて付き合えてとても幸せだ。そんな彼の言うことならばきっと全てが正しいのだ。


けれど小さな時からずっと一緒に過ごしてきた日向翔陽は運動だけが得意のくせに、サッカーも野球も技術が伴わずに長続きしていなかった。

その翔陽が初めて「これをやる!」と決めてたった一人で男子バレー部、いや同好会を始め、どうにか誰かと練習しようと女子バレー部やママさんバレーに参加して、紅一点ならぬ白一点と言われようとも辞めなかった。


その幼馴染か、頭に血が昇って言葉を選べなくなっている恋人か、どちらか選べと言うなら私は、今なら迷いなくこう言えた。


「…私は…翔陽が正しいと思う」


たぶん語尾は声が震えていたけれど、言いたいことは伝わったらしい。
信じられないような鋭い眼光で私を睨んだ後、飛雄くんは踵を返して反対方向へ走り去ってしまった。
面倒くさい野郎ども