08


「ここ座っていーい?」


合宿二日目の朝、食堂で声をかけてきたのは同じ学校の誰でもなく音駒の主将だった。

昨夜の事があったので多少俺の顔は歪んだかもしれないが、この申し出を断るほどの理由もないので黙って頷いた。ただ、歓迎はしていない。


「今朝は何時に起きたの?」
「5時くらいですかね」
「はっや」
「いつもやってる事なんで」


いつもやってる事というのは、早朝のロードワークだ。昨日も補習に出掛ける前にはいつも通りに起きて走ったし、これを欠かすと身体の調子が悪くなりそうだから。

…と言うか俺の朝の日課なんかよりも、どうしてわざわざここに座りに来たのかが疑問だ。


「…ゴメンネ?昨日」


顔をいぶかしげに眺めている事に気づかれたようで、黒尾さんは申し訳なさそうに頭をかいた。


「何がですか」


恐らくあの事を謝っているんだろうけど、やすやすと許してやるほど俺は大人じゃない。許す許さないの問題じゃないが、すんなり受け入れられるほど俺は出来た人間じゃない。

すみれに赤点のことを謝れないままだし、せっかく二人で過ごそうとしたのにことごとく邪魔が入るし、俺のテンションはガタ落ちだ。


「ほらさあ、あのー、あの子と一緒に抜け出そうとしたのかなってね」
「………」
「あまりに君らが微笑ましくてつい。赤葦にガッツリ怒られちったけど」


怒られたのかよ。


「…いいんじゃないですか。皆でやった方が楽しいと思いますよ花火」
「なかなかに強情だねキミ」
「どうも」


こいつの言う通り俺は強情だ。
この性格のおかげで過去に何度となく数々の損をしてきた事は否めない。これが自分の短所である事は承知の上なのだが。


黙ってずずずと汁物を啜っていると、すみれが食堂に入ってきた。


その姿を見つけた瞬間、思わず気付かないふりをするために不自然に顔を伏せてしまう。
向かいに座る黒尾さんはそんな俺の仕草に敏感に気づき、入口のほうを振り向いてすみれに声をかけやがった。


「あ、オハヨー」


余計な事を、と睨んでやりたいけれど、音駒のリベロが座ろうと同じテーブルの椅子を引いたので諦めた。なのに、それはお構いなしで黒尾さんが続ける。


「こっちに来たら?」


彼も居るし。と、言葉には出していないが視線をこちらに向けた。

やっぱり黒尾さんには気付かれているのか、と言うことは昨日のアレをわざわざ謝ってきたのは意図的に俺達の邪魔をしたという事。
それを赤葦さんに怒られたという事は、赤葦さんにも気付かれているという事か。ややこしい。

しかし幸か不幸かすみれが黒尾さんの誘いに答える前に、清水先輩が彼女を誘い端の席へと誘導した。


「振られちった」
「…残念でしたね。」


嫌味たっぷりに言ってやると黒尾さんは「言うね〜」と苦笑いして、それを聞いた隣のリベロが真面目に言った。


「お前女の子に見境なく声かけんのヤメロ」
「え?なんでなんで嫌じゃないの?烏野にカワイコちゃん沢山居てさあ」
「別に。カワイイ子が居るだけで強くなれるんなら居てほしいけど」


どうやら夜久さんには何も勘づかれていないらしく、これ以上赤葦さんからの怒りを買いたくなさそうな黒尾さんは余計な事を言わなかった。

この人といい赤葦さんといい、味方になれば心強そうなのに敵の立場だとやりづらい。烏野は素直な奴が多すぎるのも考えものだな。


そこでお茶を飲み終わり、席を立とうとした時に尻ポケットでスマホが震えた。

取り出して画面を見るとすみれからのメッセージが。思わず食堂の端にいる彼女へ視線をやると、同時に黒尾さんの視線もそちらに動いた。


「やめてください」
「何がダイ?」
「…赤葦さんに言いますよ」
「ごめんなさい許して」
「お前ら何の話してんの?」


夜久さんからの質問に黒尾さんが「何でもないよ」と回答したのを確認してから、俺は今度こそ立ち上がった。

食器を乗せたトレーをカウンターへ戻し、再びスマホを取り出して画面をきちんと確認する。


『練習の前にちょっと会いたい』


…昨日の夜あんな気まずい別れをしたというのに、すみれから歩み寄ってくれた事への感謝と自分の不甲斐なさとの間で揺れながら『俺も』と返信をした。





食堂からも体育館からも少し離れた校舎まで移動して、下駄箱の陰に隠れるすみれの姿を発見する。


足元の小さな石をシューズの裏でぐりぐり弄りながら待っている姿は少しだけ寂しそうで、やっぱり昨日の態度は良くなかったなと罪悪感に苛まれた。


「…お待たせ」
「あ、」


俺の声に反応して顔を上げ、目が合うとまた視線を足元へ落とした。石はまだ、そのシューズの下で踏まれている。


「えっと、よく寝れた?」
「……あんまり」
「そっか…」
「…そっちは?」
「私は…気づいたら寝てて…たぶんいっぱい寝たんだと思う。目覚ましかけるのも忘れてたから」


そう答える彼女の顔はたくさん寝たとは思えないほど暗かったので、あまり実のある睡眠では無かったかに見えた。それはきっと俺のせいなんだろう。


「悪い」


とにかく愚痴愚痴言わずに一言謝ると、すみれが二度目の顔を上げた。


「…わ、私こそごめんね」
「なんで謝んだよ」
「昨日、待ってろって言われたのに…」
「あれはすみれのせいじゃない」


あれは、というか何一つすみれが起因していることなんか無い。

梟谷のマネージャーたちは良かれと思ってすみれに声をかけたんだし、日向や黒尾さんだって、一人で部屋から出てきた俺を花火に誘ったのはごくごく当たり前の事だ。

ひとつだけ人為的な事があるとするならば黒尾さんがすみれを引き止めた事だがそれはもう謝罪を受けたんだし、とにかくすみれは悪くない。


「それより俺のほうが悪かったと思う」
「…でも怒らせたの私だよね?」
「違えよ」


俺が勝手に、一緒に居る時間が無くなった事に落胆して機嫌を悪くしただけだ。


「昨日、謝ろうと思ってて。赤点の事」
「赤点?そんなの終わった事じゃん」
「けど…すみれの勉強時間奪ってまで教えて貰ってたのに」


それなのに赤点を免れることが出来ず、大切な合宿には遅れて参加し一日目はほんの少ししか試合が出来なかった。

おまけに本来俺がサポートするはずだった事を他校のセッターに助けてもらい、たった一年しか変わらないのに器の違いを痛感し、挙句夜にはあの対応。情けない事ばかり。


「……そんなこと考えてたの?」
「そんなことって何だよ?」
「違ッ、ごめん言い方悪かった。そんな事まで考えてくれてたなんて思ってなくて」
「考えるだろ」


すみれはいつの間にか身体ごと俺のほうを向いて、足元で弄っていた石がこつんと音を立てて草むらへ消えた。


「…飛雄くんはいつも落ち着いてて余裕っぽいし、私だけ顔色伺ってんのかなって」
「俺が?…余裕?」


そんなふうに見えているとは思ってもいなかった。何故なら俺は一緒にいる時、いつも心臓をどきどき高鳴らせているのだ。

俺の方こそ顔色を伺っている。嫌われやしないかと、幻滅させやしないかと。


「…言っとくけど全然余裕じゃねえぞ」
「うそ」
「嫌われないために必死。」
「……う、うそ」
「嘘じゃねーボゲ」
「………」


手を伸ばすとすみれが控えめに近寄ってきて、小さな手が俺の手のひらに合わさった。

今はそれでは満足出来ず、指と指をゆっくり絡める。

やばい、このままだと、抑えられない。
キス、したい。


「…だめ。」
「え、」


驚いた事に、ストップをかけたのはすみれのほうだった。


「…わ…悪い」
「ちが…違うの。嫌なんじゃなくて…今、これ以上したら…」


合宿に集中できなくなっちゃう。

と恥ずかしそうに言うすみれは顔を見られたくなかったのか、頭を俺の胸に押し付けてきた。

その頭に手を添えて撫でてやりたいのに、俺はそれが出来なかった。そんな事したら俺だって、合宿に集中できなくなってしまうからだ。
セルフ・コントロール