03


我ながら情けない。あんなにすみれに勉強を見てもらったのに赤点を取ってしまった。

情けないというより申し訳ない気持ちが強く、「テストどうだった?」と聞かれる前に恐ろしくて逃げ出してしまった。怒られるなんて思っていなかったが、呆れられるのが怖くて。


しかし、幸いにも呆れたり怒ったりされる事は無かった。…が、ここで気を抜いてはいけない。
と言うのもすみれと付き合い始めてから俺は、あまり良いところを見せられていないからだ。


インターハイ予選では及川さん率いる青葉城西に負けてしまったし、準決勝まで進んだという事実なんて霞んでいる。
目指すところはてっぺんなんだから県内ベスト4なんて甘すぎる。時間は無い。





補習の日、俺と日向は大荷物で登校した。
補習が終わればそのまま東京へ直行だから、着替えとかシューズとかその他もろもろを詰め込んできたのだ。

ついでにすみれに渡すための、「せっかく勉強教えてくれたのに赤点とってごめんなさい」という意味を込めたお菓子。


「影山!さっさと補習終わらそーぜ!」
「…時間決まってんだからさっさともクソもねえだろボゲ」
「ぬぁにい!?」


そうだ時間は決まっている。しかし頭の中では早く始まれ、早く終われ、早く東京に行きたいという思いがこだました。

家で居てもたってもいられなかった俺は補習開始の一時間も早くに学校に着いてしまい、すると日向も早かったので体育館の横でレシーブ練習に付き合うこととした。


「今ごろ練習始まってんのかなあ」
「だろうな」
「でもさ、長時間バス乗った後って疲れて身体が動かねえかも!」
「…プロになったら飛行機乗ってそのまま試合とか、そんな事もあんだろ。バレーに限らず」
「おまっ…くそ…そうだな…」


そうだ、だから車に乗って身体の調子が狂うようでは話にならない。
こうして補習なんかに捕まって大切な合宿に遅れてしまうことの方が、よほど調子が狂ってしまう。


「影山も解答欄ズレてたとか?」
「……ずれてない。ヤマが外れた」


ミスではなく自分の勉強不足と予測能力の低さが原因の、正真正銘の赤点だった。


「うげっ、ヤマ!?すみれ怒ってなかった?あいつ怒ると怖えぞ」
「想像できるな…怒ってはなかったけど」
「影山に甘いな〜すみれは」
「うるせ」
「もうちゅーとかしたの?」
「なっ」


馬鹿なこと聞くんじゃねえよ!という意味を込めて思い切りボールをアタックすると、日向はそれを拾えずに慌てて取りに行った。

ちゅー、つまり、キス。
互いの唇と唇をくっつける行為。

俺だって付き合ってるんだから、いつかはしたいと思っている。
でもタイミングが難しくて、いつも練習が終われば各々の家に帰ってしまうし、休みの日だって集まるのは学校の体育館。

なかなかいつもの生活の中に非日常を見つけ出すのは難しくて、キスは未経験だ。


「なー、手は繋いだんだろ?」


そこへ日向がボールを拾い、走って戻ってきた。


「……何でお前に報告しなきゃならない」
「そりゃ俺はすみれの幼馴染だから?大事な幼馴染が変なオトコに手ぇ出されんのは嫌だろ?」
「オイテメーフザケンナ」
「すんません調子乗りました。」


そこで時間が危ないことに気づき、慌てて荷物をまとめ補修の行われる教室へと急いだ。
しかし、なんとも言えない嫌な感情が心の中に残ってしまい補習には集中できないかもしれない。


「…なんだよ大事な幼馴染って」


この、幼馴染の日向と俺との違いなんて、一緒に過ごしてきた時間の差なんてどうしようもないものだと分かっているのに。
付き合おうと決めた時からそれはそれ、これはこれだと割り切ろうと決めていたのに。
もう、付き合って一ヶ月以上が経過しているのに。

俺はまだ日向よりも、すみれに関しての情報を知らなさ過ぎる。馬鹿げた悩みなんだろうけど、すっごく嫌だ。





そんな気持ちではあったが補習はなんとか終えて、先生にも激励を受けながら走った先には田中さんのお姉さんが待っていた。
なんと車で送ってくれるのは冴子姉さん(呼び方を指定された)だったのだ。

日向と冴子姉さんが話しているのを聞きながら、朝早かった俺は後部座席で眠りについた。


そして夕方、やっとの思いで梟谷学園に到着。


朝は日向とすみれとの親密すぎる関係について考えを巡らせていたが、やっぱり体育館に入るとバレーボールのことで頭がいっぱいになる。

気持ちいい音が響いていて、見た事のない顔ぶれが沢山。きっと全員、俺の経験を超えるたくさんの激戦をくぐり抜けてきたに違いない。

早くあそこに入りたい、と思いながらも無意識にすみれの姿を探していると、今この体育館には居ないようだった。


「おお影山!日向!待ちわびたぞ〜」


縁下さんが寄ってきて、近くにいる他校の部員たちを紹介してくれた。
今試合をしているのが音駒と生川、烏野と森然。梟谷学園は休憩中なのだという。


「あれが梟谷の主将」


と、指さす先には身長の高い、ガタイもいい男が立っていた。俺とは骨格から作りが違うというのがすぐに分かる。

梟谷学園、すみれの調べたところによると主将の彼が全国五本の指に入るエーススパイカー。さすが力強そうな後ろ姿だ。


「…早くやりてえっす」
「次の試合からな!白石さんに着いたの報告してきたら?アップがてら。外でドリンク補充してくれてるから」
「……っす」


荷物を置いてから、縁下さんが「そこ出て、左にまっすぐ」と教えてくれた方向に向かう。

広い体育館だ。
さらに隣にも大きな体育館。

きっとバレー部以外も強いのだろう、隣の体育館からも大きな声やシューズの音が聞こえていた。


すると水場が見えてきて、ボトルを入れて持ち歩くためのかご、その中にたくさんのボトルが入っていた。すみれの後ろ姿が見える。今は一人なのだろうか?


「すみれ!」


するとすみれが振り向いて、同時に別の男がひょっこり顔を出した。誰だあいつ。


「あ、噂の?」


その男は俺を手で指しながらすみれに質問した。やはり身長は俺より高く、梟谷学園のジャージを身にまとっている。


「はい、セッターの影山くんです。もう一人がミドルブロッカーで…翔陽も一緒にきたよね?」
「ああ…いま、体育館にいる」
「きみセッターなんだね。よろしく」


物腰柔らかく片手を差し出してきたこいつは恐らく上級生だ。すみれが敬語で話していたし、一年生とは思えない落ち着きを持っている。
誰だこいつ。何だこいつ。二人で何を話してたんだこいつと。


「…影山飛雄です。よろしくお願いします」
「赤葦京治。俺もセッターだよ」
「…セッター…」
「烏野の部員と白石さんにさんざんきみの事聞いたから、期待してる」


にこりと笑って少しだけ俺を見下ろすこいつはあまり敵意を出していないが、「お手並み拝見させてもらうね」と言っているのだと理解出来た。

俺のほうこそ相手が強豪だからってセッターとして負けるわけには行かない。この人の試合もしっかり見て、盗めるものは全部盗んでやる。


「…負けませんから」
「どうだろうね。今のところ烏野は全敗だけど」
「え!?」
「ところでこれはきみが運ぶ?」


赤葦さんが指さしたのは、地面に置かれたかご。すみれがボトルを運ぶ時にいつも使っているものだ。


「重そうだからとりあえず手伝ってたんだけど」
「あ…!そうそう赤葦さん運んでくれたの!ありがとうございますもう大丈夫です」
「…っす」
「いえいえ。じゃあまた後で」


お辞儀をして去っていく後ろ姿を見ながら、高校生のくせに大人びているなと感じた。
烏野の上級生も菅原さんとか主将とか落ち着いてはいるけど、同じ高校生らしいところも知っているから。


「向こうの主将さんが指示してくれて、私が運ぼうとしてたの気付いて手伝ってくれてたんだ」
「へえ…」
「二年生なんだって」


二年生ということは一歳しか違わないのにあの落ち着きっぷり。なんだか色々負けている。


「烏野、全敗ってほんとか」
「あ…うん…他のところが凄くて…」
「くっそ」
「でも飛雄くんと翔陽が来たら空気変わりますから!って言っといたよ」


そういえば赤葦さんが、「さんざんきみの事を聞いた」と言っていた。俺のことをどんな風に話したのだろう。


「…赤葦さんには、俺のこと何て?」
「えっと、セッターのサーブが凄いんですって伝えたよ」
「付き合ってるのは?」
「…? 言ってないけど…?」


言う必要なんかない。わかっている。

しかし知らない学校の知らない部員がたくさん居る、イコールすみれがほかの男と出会う機会が増えてしまう。

今あの赤葦さんに会っただけで自分との器の差を感じてしまったのに、魅力的な男が現れたらすみれの気持ちをすんなりかっさらって行きそうだ。


「言わなくて正解、だよね?」
「……ああ。言わなくていい」


言わなくていいという気持ちと、「俺たちは付き合っているんだ」とほかの男を牽制したい気持ちが俺の中でディベートを始めた。

トライアングル