1st Tuesday翌日。
部活に入っていない私は朝のホームルームに合わせた時間に登校し、広い下駄箱でシューズに履き替え教室に向かって廊下を歩いていた。
と、そこで傘を傘立てに入れ忘れたことに気づく。面倒くさいなあと思いながら振り返り下駄箱に戻ろうとすると、何かマッハで動く物体とぶつかった。
「いだッ!!」
私は弾き飛ばされた。
車にはねられた事は無いけれど、たぶん車にはねられるとこんな感じで飛ばされるんじゃないか。
…しかしそんなに遠くに飛んでおらず、ほぼ立っていた場所の近くに尻餅をついた。
なぜならぶつかった物体は車ではなくバレー部の少年だったから。
「!? ごめん!」
「だ…大丈夫…いや痛い」
「うわあぁぁゴメン立てる?」
彼は長い手を差し出してきて、ちょっと恥ずかしいけど背に腹は代えられないので私も片手を出して起こしてもらった。
昨日プリントを届けてあげた子だ。
「ありがとう…」
「いや俺、よそ見してて…白石さん大丈夫?骨とか折れてないかなあ」
老体じゃあるまいしこのくらいで骨なんか折れませんよと突っ込みたい気持ちもあったが、それより疑問が勝った。
昨日も浮かんだこの疑問。
どうして名前知ってるの?
「…どこかで会ったっけ?」
そう聞くと、彼はびっくりして眉を上げた。かと思えばすぐにハの字に下がった。
「同じ中学じゃんか」
「…そうだった?」
「そうだよ。俺らの学年で一番成績良かったじゃん!だから有名」
「………」
ああもう最悪だ。
なにが最悪って、私が彼の事を覚えていないという失礼な事実ではない。
私は中学のころ確かに学年トップを争う成績を保持していた。だから白鳥沢をすすめられ、さらなる勉強の末に入学を果たした。
それなのに今やまわりのもっと頭の良い人たちの中に埋もれて補習組。
つい昨日一緒に補習を受けた相手に言われると切なさがより一層強くなる。
「…白石さん?」
「あ、…えーと…ぶつかってごめんね」
「や!俺が走ってたのが悪いし!ゴメンねっ」
と、言いながらその子はまたもや走っていった。私は彼の名前を知らないままだけど、まあいいか…と思っていると。
すぐに彼の名前を知ることになった。
私の足元にはその人が持っていたであろう紙が一枚落ちており、はっきりと名前の欄に「五色工」と書かれていたのだ。
それは昨日私がわざわざ届けてあげたあのプリントだった。
私はまたため息をつきながら、傘立てに傘をさした後で彼の後ろを追いかけた。
◇
五色くんがどこに向かったのかは予想がついていた。
走っていった方角には職員室がある。そしてこのプリントを持っていたという事は提出しに向かう途中だったと考えられる。
朝一番に提出しろと言われていたし、朝練が終わってから急いでいたのだろう。
職員室の前に着くと同時に、勢いよく職員室の戸が開いた。そして中からは項垂れている五色くんが現れた。
「くッそおぉぉぉぉ!」
…項垂れていると思ったら大きな声で悔しがり、あたりをきょろきょろ見渡している。あ、これを探してるのかな。
「あのー…五色くん?」
「え、あ。白石さん」
「もしかしてコレ探してた…?」
ぺらりとプリントを見せると、五色くんはそれを覗き込んで「あっ!」とまた大きな声を出した。どうやらドンピシャ。
「これ!どこに!」
「さっきぶつかったところに」
「おわぁぁ助かったーありがとう」
「う、うん。次は忘れないようにね…」
と、私が言い終わる前に五色くんは再び職員室へノックをせずに入っていった。
◇
それから一日の授業が終わるまで五色くんの事なんかすっかり頭から消えて、友達と昨日のテレビの話をしたりとか、今日のお弁当はお母さん張り切ってるなあとか、そんな感じのことを考えて過ごした。
…もちろん授業もきちんと受けた。
せっかく白鳥沢に入ったのに補習だなんてまっぴらゴメンだ。期末テストは絶対に良い点をとろう。
そして放課後、補習の教室。
昨日と同じ席に座り、間もなく開始時刻。
先生が教室に入ってきていよいよ始まろうかという時、どたどたと足音が聞こえた。
かと思えばがらっと勢いよく戸が空いて、日中忘れていた人物が現れた。
「すみませんっ!セーフですか!」
息を切らしているのは五色くんで、ものすごい勢いで教室内に入り彼も昨日と同じ席…つまり私の隣に腰を下ろす。
「…ギリギリセーフ。」
彼の威勢の良さに先生が観念しながら言うと、隣で五色くんが「はー良かった」と呟くのが聞こえた。
五色くんはバレー部なんだよなあ。
白鳥沢のバレー部は県内トップだから、多少の事は融通が利くのかなあ。何の特技もない私には関係ないけど。
…というか勉強しか得意じゃなかった私も今や補習組だけど。
この日の補習では五色くんは居眠りをすること無く終える事が出来たらしい。
隣からは寝息が聞こえなくて、補習が終わった瞬間に元気よく席を立って走り去って行ったから。
…机の上に、ペンケースを置いたまま。
◇
「何なのキミは工の追っかけなの?」
「違います…」
なけなしの善意を振り絞って体育館へやって来ると、昨日も出くわしたデカくて赤くて誰だか分からない上級生が現れた。
まるで私が勝手に練習を覗きに来ている不審者みたいな扱いで心外。
「五色くんにこれ渡して貰えませんか」
「え?ヤダ面倒臭い」
「ええ……」
「あーいやいや気を悪くしないでね?俺ってば忘れっぽいからサ、他人のモノを気安く預かるのは嫌なのね。自分で渡してちょーん」
さっき確かにはっきりと「面倒臭い」と言われた気がするけれど、それなら仕方ない。
この人に頼むのは諦める事にして、昨日途中で現れた常識人っぽい人も居ないし五色くんが来るのを待つことにした。
「で、で、キミは工の何?」
「何でもないですけど…」
「何でもないのに毎日来るゥ?」
まるでアナタは母親や彼女の身分かと突っ込みたくなるような質問をしてくる人だな。
「…補習が一緒なだけです。」
「へ?…あ、きたきた」
今まで私の視線の高さまで合わせていた赤い先輩が、にゅっと背筋を伸ばした。
この人、大きいっていうか…長いな。
高くなった視線の先には、やはり凄いスピードで走ってくる五色くんの姿があった。
「 遅くなりまし…あれ?」
「ど、どうも」
「どうしたの白石さん」
「何か忘れ物届けたくれたッポイよ?」
「えっ」
手に持っていたペンケースを差し出すと、当然それに見覚えのある五色くんは「ああ!」と大声をあげた。
「これ!俺の!」
「机に置きっ放しになってたから…」
「ありがとー!」
「デジャヴだなァこの光景…」
「…もう忘れないでね」
これから練習をするんだろうし、早く退散して家で自習しよう。
そう思って帰ろうとすると、赤い先輩が物珍しそうに私を見ていることに気づいた。今度は目線は合わせずに、高いところから見下ろされている状態のままで。
「…な、何ですか」
「んー、工が補習なのはなんとなく分かるけどさ。キミも意外とお馬鹿なんだネ?」
「………」
「天童さんっ!?」
五色くんが慌てて先輩に反論しようとしけれど時すでに遅し、私は鉄板で頭を叩かれたような気分になった。
お馬鹿と言われたことがショックなのではない。
「あ、やっぱり他人から見ても私は馬鹿の部類なんだ」と思わされたことがショックなのだ。
白鳥沢という勉強のできる集団の中では、頑張ったってなかなか馬鹿のくくりからは簡単に抜け出せない。
「アレ…俺なんか悪い事言った?」
「……大丈夫です」
「そお?良かった」
「良くないです!白石さん、天童さんの言う事は全部嘘だから気にしないでいいから…」
五色くんが必死でフォローしてくれているんだろうな、と伝わってくるのが辛い。
心の中で彼にお礼を言うのが精一杯で、弱々しく笑ってかろうじてこう言った。
「……うん。また明日」
また明日も、補習で。
屈辱的なTuesday