真実の愛が君を救う





 幼い頃天に読んでもらった絵本の中に出てくる王子様をまるで天のようだと思った。
お姫様を救う姿は、自分にいつも元気をくれる天と重なって見えたのだ。無論、陸だって男だ。決してお姫様になりたいだとか、そういった願望を抱いていたわけではない。単純に天が陸にとってヒーローであり、物語の中の主人公のように憧れる存在だっただけだ。天はヒーローにだって、猫にだってファントムにだって姿を変えることができてしまう。陸が望むなら、天は魔法使いにだってなれる。天はあらゆることにおいて完璧だった。眉目秀麗で、たいていのことはそつなくこなしてしまう。陸にとって自慢の兄だった。天くん優しくていい子だね、そんな風に天のことを褒められると陸も誇らしかった。
 今日は何の絵本がいい? 陸が好きな話を何回、何十回読んでほしいとおねだりしても、すでに話のストーリーを暗記してしまっていたとしても天は繰り返し同じ話を陸に読みきかせた。夜が怖くて眠れない陸のために、何度だって幸せな夢をつれてきてくれた。
 大好きだよ、今夜はボクのステージをみてくれてありがとう。たくさん手を叩いてくれて嬉しいです。
 陸のために催される、特別なショーは向けられる言葉も陸が独り占めだった。今や大勢の人を魅了してやまない最初のステージを、彼が投げかける愛情を陸だけが受け取っていた。すごい、かっこいい、と聞き飽きるほどの同じ言葉を陸が贈っても天は何度だって嬉しそうに受け取った。
 天が陸の代わりに何かをしてくれるたびに、陸は自分も同じように満たされていくのを感じていた。天が幸福そうに笑っていることが、陸にとっても同じように幸せなことだった。
 天は、誰かのための幸福に自由自在に姿を変えられる。誰かが望むことには全力で応える、それが九条天だった。それを、いつからか境界線を見失って混濁していたのかもしれない。

「……天にぃはオレのスターだった。ヒーローで、王子様みたいだった。ずっとそう思ってた。天にぃがいなくなっても、ずっと同じことを考えてた」
 天を物語の中のヒーローに見立てながら、浮足立つような心地よさを感じていた。天と双子に生まれたはずなのに、似ているようで天と陸は正反対だった。物語の中で幸せに手を引く人物に天を当て嵌めながらいったい自分はどこにいたのだろう。

「……運命であってほしかったんだ、」
 きっと、そうだったのだ。自分を運命にしてほしかった。
 自分たちが双子で生まれた所以は赤い糸と同じような類の運命だと思いたかった。そうであってほしかった。それを覆して、真実を暴いてしまったのは陸自身だった。

「……悪い夢をみてるみたい」
 頭を垂れて、陸を見下ろしながら天が小さな声でぽつりと呟く。血を吐くような苦々しさを帯びていた。そのままゆっくりと陸の胸に頭を預ける。これでは心音がすべて天に聞こえてしまう。そんな慎ましい気恥ずかしさを抱きながらも聞こえたところでやがてこの音も届かなくなってしまうのかもしれないとすぐに打ち消される。

「ボクらが運命じゃないなんて、そんなはずないのに」
 天にあの日口づけを拒まれようと、そうでなかったとしてもきっと結末は同じことだった。すでに分かり切っていることなのに――どうして、天にぃは。
 そんなことを考えずにはいられない。ベッドの上に身体がそのまま沈んでいくように、指先が動かなくなっていく。天が陸を愛そうとしてくれればくれるほど、病の進行が進むなんて確かに悪夢のようだ。

「病に否定されるなんて、ばかみたい。信じられない」
 悪態を投げかける天はどこか投げやりだった。

「天にぃがオレのことを、愛してくれているのは知ってるよ」
「……ボクが愛していても、ボクを置いていくんでしょ。寂しくて、死んじゃうのはボクのほうだ」
 そんなことはない、と陸は否定する。天のことを愛する人は世の中に数えきれないほど存在する。九条天は人に愛されるために生まれたアイドルだ。彼を愛さずにいられなくて、彼を求めてやまない声はたくさん溢れている。そんな理屈をここで綺麗に並べたとしても天の機嫌を損ねることは目に見えていたのでそっと飲み込む。

「オレが目を閉じて、もしそのまま眠りについても、」
 ――一番愛してる人に殺されるも同然なんですよ。
 陸はやっぱりなんでもない、とゆっくりと目を閉じた。
 そんな夢をみるだけ無駄なことなのかもしれない。世の中はとてつもなく残酷にできている。それなのに、どうしてか絶望感はなかった。ただ今天の腕の中にいる間はこのぬくもりだけを感じていたかった。

「……最後まで、オレに夢をみせて天にぃ」
「……」
「オレたちが運命じゃなくても、なんだっていいんだ。最後まで幸せな夢をみていたんだ」
 身体が酷い倦怠感に襲われている。天と二人きりでいると、病は速度を増して進み始める。それは天が陸の好きになった相手という理由以外に他ならない。腕をゆっくりと持ち上げ、天の背中に手を回す。天にぃあったかいね、と囁いた言葉に天は何も言わなかった。何も言わなかったけれど、代わりにぎゅっと陸を強く抱きしめる。

「オレのことずっと、ずっと愛していてね」
 我儘な弟でごめんね、天にぃ。
 やがて心まで凍結されて最後には恋心もろとも消えてしまう。けれど、不思議と恐ろしさや恐怖はなかった。天の体温に包まれていると、天の言葉通りこれまでのことがすべて悪夢だったのではないかという錯覚すら覚える。

「……ずっと愛してるよ。陸が凍えそうなら、ボクの体温を分けてあげる。泣きたいなら、ボクが傍にいてあげる。寂しいなら、ボクの名前を呼んで。ボクなら……陸の運命でいられるのに、どうして」
 どうして、と天が言葉を続けようとして息をのんだ。寄せられた眉が、引き結ばれた唇が、天が身に受ける感情の大きさを表していた。愛している、と天が口にする言葉に偽りがないものだとすれば、運命になれないことを病に否定され愛しい相手を殺してしまう。それは、胸が張り裂けるような痛みを伴うことなのかもしれない。
 美しい瞳からつう、と何かが頬をつたって落ちていく。涙だった。天が泣いている。天にぃが泣くとオレだって悲しいよ、と口を開こうとした陸は自分も泣いていることに気づく。頬の上をあつい何かがすべり落ちていく。

「愛してるよ、陸。ボクを置いて、どこにも行かないで」
 狡いよ、と言いたかった。それは陸が望んで、かつて手に入れられなかったものでもある。けれど呼吸がそれらをのみこんでしまった。ここにきてどうして自分たちが運命でないのか、なんて不毛なことを考えてしまう。今更そんなことを考えたところで何も変わりはしないのに。

 ――素敵な恋ですね。
 ふいにそんな言葉が過る。身体が弱く、物語の主役にはなれなかった自分は一体どこにいるだろう? 無関係の人間から見れば、悲劇で終わる人魚姫のように見えているのかもしれない。しかし、陸は今でもあの言葉に自信を持って頷ける。決して悲劇などではない、これは自分で見つけた、自分だけの恋だ。運命になれなくても、結末がどうであろうともうどうでもよかった。天が愛してくれること以上に何も望むことはない。
 天にぃ、愛してるよ。大好き。
 陸の囁きを天はしっかりと受け止めていた。ボクも、と僅かに震えた声で、力強く天は陸と同じ言葉を繰り返した。



 数えきれないほどの星が夜空でまばゆい輝きを放つ夜空を眺めるよりも、ホテルが誇る美しい庭園を散歩するよりも、二人で他愛のない話をベッドの上で交わすことに時間を費やすことを選んだ。元々一人用として大きすぎるベッドだったため、陸がいてくれたほうが嬉しいと天が言ってくれたのだ。まるで子供の頃みたい、とはしゃぐ陸に昔と同じじゃないよ、と指と指を絡めて握った。それが意図することをすぐさま察した陸は顔を真っ赤にすることしかできなかった。
 わざわざ二人の部屋を手配してくれた企画スタッフには申し訳ないが、今夜は天の部屋で眠ることにした。今日はきっといい夢を見れるような気がする。そう思った。
 二人で話す話題なんて考えるまでもなく次から次へと湧いていたはずなのに、今ではそうはいかず少しだけ言葉を選んでしまう。この夜が特別なものになるとすれば、ほんのわずかな時間だって惜しいものに感じられる。

「先生が言ってた。他にも方法はあるかもしれないよって」
「それって、」
「簡単だよ。他にオレを愛してくれる人を見つけるんだ」
 陸の言葉に天は眉を顰める。それから視線を外して「酷い人間だって罵ってくれていいよ」と言った。それには絶対賛同できない、と。いくら命を救える可能性があったとしても、見過ごせるものではないのだと。

「どうして、ボクじゃだめなんだろう」
 陸の目元を優しく撫でる。天が吐き出した問いかけは返答を期待しているものではなく、純粋な疑問として外に出されたものだった。

「ボク以上に陸を愛してる人なんていないのに」
「自信満々だ」
「もちろん、誰にも負けないよ」
 陸がふっと笑うと天は少しだけ不満そうに眉を寄せる。茶化したわけではないが、天の口からそういったものが出てくることがなんだか似つかわしくなくて笑ってしまったのだ。
 天の優しい掌で撫でられると深い眠りへうっかり身を委ねそうになってしまう。眠いなら寝てもいいよ、と天が柔らかな声をかける。陸はううん、と首を振った。天と一緒にいられるならまだ起きていたかった。

「天にぃ、人魚姫の話覚えてる?」
「覚えてるよ、あの話も何回も読んであげたよね」
「人魚姫はハッピーエンドだと思う?」
 陸の唐突な問いかけに天は目を瞠る。返答を貰うまでに左程時間はかからなかった。

「……彼女が選んだことだから。誰かが幸せか不幸せかなんて身勝手に判断していいものではないよね」
 天らしい答えだった。しっくり収まってくれるその返答に天にぃはさすがだね、とほほ笑む。

「彼女は身を裂かれるような痛みを受けることを知っていても、一番美しいと言われる歌声を失っても王子様に会いたかったんだ。その彼女の気持ちを最後の結末だけで報われないって決めつけるのはきっと違うんだ」
 ――最終的な手段ですが。君は恐らく必要ないというんでしょうね。
 恋の病に侵され、やがて死んでしまう。それを最終的に回避できる方法が一つだけあった。考えるまでもなく単純なことだった。恋心もろとも忘れてしまうことだ。好きになった相手から愛情を貰わなければ生きられないのであれば、相手に抱く感情すべて消し去ってしまうことでうさぎ病からは解放されることになる。完全なる荒治療ですが、と口にしていた医者はあまり推奨できない方法だと言っていた。好きな人に関しての感情を一切失うこということは、相手に関心を抱かなくなるということだ。何も思わず、何も感じない。赤の他人のような状態になってしまうそれは泡になって消えてしまうのと同じだ。天に関しての感情までは殺せなかった、殺したくなかった。

「人魚姫は王子様のために死んだんじゃなくて、自分のために死ぬことを選んだのかもしれないよね」
「……そうだね、」
「天にぃがいない世界なんて寂しいな」
「ここにいるじゃない」
 天が陸の手を握る。

「朝まで傍にいてくれる?」
「朝だけじゃない、ずっと陸の傍にいるよ、」
 だって、ボクたちは。
 天は続けようとした言葉をのみこんでひゅっと息をのんだ。事態を急速に認識したのだろう。天のあたたかさが感じられないほど、体温が低下していた。掠れた声で天がなんで、と吐き出す。

「天にぃを好きになれてよかった。天にぃを好きになったことはオレにとって、すごく幸せなことだよ、後悔してることなんてひとつもない」
 瞼が落ちそうになる。陸、陸、と天の繰り返し名前を呼ぶ声が少しだけ遠い場所で聞こえる。手を伸ばそうにも腕に力が入らないのだ。大好きだよ、せめてもう一度そう伝えたいのにその言葉を吐き出すことすらままならない。呼吸が苦しい、息が上手にできない。肺が凍ってしまったように酸素の循環がうまくいかない。
 我儘を言うなら、あの日できなかった口づけを交わしてみたかった。あの映画のヒロインみたいに、天と恋人らしいことをもっとしてみたかった。 
 瞼がおちる寸前まで陸はその美しい顔を見つめていた。そんな顔はしてほしくない、好きな人に笑顔でいてほしいと願うのは当然のことだ。かつて陸だけに向けられていたものが今やたくさんのファンに向けられている。彼女たちが、彼らが受け止めてきっと同じものを天に返してくれるだろう。

「ボクが、ボクが愛していても――」
 身体を引かれ、腕の中に閉じ込められる。視界が暗闇に染まる寸前まで、愛しい人の声をきいていた。




 今夜はありがとう。
 天が一人でステージの上に立っていた。これが夢であることはすぐに分かった。陸はそれをステージ下か、どこか分からない場所から見上げていた。何もなかった、天にライトが当たっていてようやく彼の立ち位置を認識できるぐらいに真っ暗だった。拍手の音は聞こえない、観客の姿もない。首を動かして見渡してみるが用意されているのは陸の椅子一つだけだった。けれど、天は汗だくで肩で呼吸を整えながら笑っていた。もしかして、この場の観客は自分だけなのだろうか。

「会いに来てくれてありがとう。これからもずっとボクのことを見ていてください」
 そこで何か違和感を覚えたものの、奇妙な引っ掛かりは覚えつつすぐに答えを導き出すのは難しかった。すでにステージは終わった後なのに陸はまるで天の歌を聴いてきたような心地だった。高揚感に胸を揺さぶられる。手を叩いて、応援の意味を込めて拍手を送る。こちらをステージの上から見下ろす天と視線が合う。

「陸」
 天が確かに陸の名前を呼んだ。形のいい唇がその二文字を描き、陸をしっかりと見つめている。

「……ありがとう、」
 素敵な夢だった。
 ステージの上にいる天まで、この声が届いているのか分からない。いい夢だった、幸せな時間だった。天の傍にいる間は幸福感に満ち溢れていて、こんな気持ちだったことを思い出す。陸にとって天はいつだってその背中を追う場所に立っていた、それが見えなくなってしまうのはやはり寂しい。
 引っ掛かりを覚えた違和感は天がボクら、と複数人を示す言葉を使わなかったからだ。これは九条天というアイドルのステージだ、観客は陸ひとりのみ。まるであの頃の続きのようだと陸はまばゆい光の元で笑う天を見上げる。

「ずっとボクのこと見ててね」
「……」
 天の言葉に陸は頷くことができなかった。嘘でも首を動かすだけでもよかったのに、天のその言葉には答えられない。いずれここにいる自分はいなくなってしまうだろう、そうして天を応援する大勢のファンが陸の代わりに声援と割れんばかりの拍手を届ける。
 悔しいな。大勢の人に愛されるようになった九条天を見ながら、天が家を出てすぐはそんなことばかり考えていた。大好きだった。好きで、好きでたまらなかった。愛しているし、愛されたかった。運命の相手の居場所がひとつしかないなら、自分はそこに行きたかったのに。

「どこに行くの、陸」
「……」
「陸は、どこに行きたかったの」
 天は陸に問いを投げていた。ここがどこなのか分からないが、自分に向けられるものだと思ってみなかった陸は目を丸くする。心を見透かされているのか、と思わず胸に手を当てる。

「ボクも、そこに行きたいからそこで待っていてよ陸」
「……だめだよ、天にぃはそこで歌ってて」
 弱弱しい否定がこぼれる。

「どうして」
「オレが天にぃの運命の相手になれなかったからだよ」
「それは誰が決めたことなの?」
 言われた言葉にすぐに返答できず口籠る。誰が決めたのだろう、それに理由をつけるならばきっと神様という他ないだろう。けれど、天が求めている答えとは何か違うような気がした。陸が考えを巡らせている間に天は言葉を続ける。

「運命は誰かが決めるものではないよ」
「……」
「陸の運命の相手になれる。ボクは王子様にも、悪い夢を食べるバクにだってなれる。陸のためなら、どんな夢だって最高のステージだってみせてあげる」
 だって、陸がボクを。
 天の声が途中で途切れる。え、と顔をあげた陸はいつの間にか自分がライトを浴びていることに気づく。まばゆい光を浴びながら、先ほどの天の言葉を巡らせる。
 運命とは一体誰が決めるものなのだろう。


  ◇◇


 陸は時々とても残酷な時があるね。
 徐に向けられた言葉に悪口? と陸が聞けばそういうつもりはないけど、と天が言う。

「陸はボクに一方的にねだってばかりだ」
「我儘ってこと?」
「そうじゃないよ。自分に何か返ってくるとは少しも思ってないってことだよ」
 心当たりはないかと天に訊かれ陸はううん、と唸りながら考える。時間切れ、と数分も立たないうちに天が遅いよ、と言った。なにそれ、と陸が口を尖らせると陸にはきっとわからないかもしれないしと天がほほ笑む。

「ボクが陸を好きだってこと、全然分かってないんだ」
「……」
 目を見開き、まじまじと天を見つめる。今日の天は普段よりもやけに素直で、いつもと違うような気がした。

「野獣はどうして最後元に戻ったか覚えてる?」
「……真実の、愛?」
「そうだよ。真実の愛だよ。お互いがお互いのことを思って真実になる。二人だけの愛だよ」
 それじゃあまるで、と口を開こうとした陸は一度口を閉ざす。
 目を開けたとき、陸は白い部屋にいた。再び目を覚ますとは思わなくて自分自身驚いてしまった。数日間の間眠りにはついていたらしいが、身体には特に異常は見つからなかった。一体何が起きているのか分からないまま、混乱の渦中に暫くの間浸っていた。目を閉じる直前、天と海外にいて撮影を行っていたはずだ。あれももしかして夢だったのだろうか、という疑いは天の夢じゃないよ、という言葉で一蹴された。数日もすればすぐに退院できるだろうと言われ、目をあけてから二日目になるがいまだに自分の身に何が起きたのか分からないままでいる。医師曰く、目を覚ましてここにいるのがすべての答えだという。陸を長らく診てきた主治医はもう何も心配することはない、と陸に告げた。

「陸が倒れたのはどうしてだと思う?」
「……天にぃのことを好きだから?」
「陸が目を覚まして、ここにいるのはどうして?」
「……どうしてだろう」
「分からないの?」
「だって、わかんないんだもん」
 それが分からないのに、誰も教えてくれなかったのだ。医師が言うことにはうさぎ病はすでに治っているということだった、目を閉じる寸前確かにひどい寒さに襲われていたのに。死の間際をさまよう感覚は、確かにあったはずだった。

「陸が目を閉じる前、白雪姫のことを思い出してキスをしたんだ」
 思わず掌で口元を覆う。

「なんて、それだけで救えるのはおとぎ話だけだよ」
「もう、どういうこと! オレのことからかわないでよ!」
「キスしたのは本当。でも、そうじゃなくたってもっと早く陸を助けてあげられたかもしれない」
「オレがキスしたいって言ってもしてくれなかったくせに」
 不満を漏らした陸に天はごめんね、と謝る。

「陸が綺麗だから、ボクが一人で勝手に怖がってただけ」
「綺麗なのは天にぃじゃん」
「そういうことではないんだけどね」
 まるでなぞなぞを主題されているような気分だった。天にぃ、わかんないよ教えて。と、陸が言えば天はしょうがないね、と座っていた椅子から立ち上がる。そのままベッドの上で横になる陸の上へ覆いかぶさると、鼻先がくっつくほどの距離で視線を合わせる。心臓の音が近くで聞こえる、暴れだしそうになる心を必死に抑えながら陸は天の動作を見守っていた。

「わからないなら、教えてあげる」
 囁きのあとで、唇が重ねられ思わずぎゅっと目を閉じる。唇に柔らかい感触があたって、ただ触れるだけで終わりかと思ったがそうではなかった。天の手が頬に添えられ、もうひとつの空いた手は後頭部の下へ手を入れこまれる。そのまま深い口づけに変わり、中を動く舌に頭がぼんやりとする。息継ぎをする間に自分のものとは思えない鼻にかかったような声に陸は羞恥でどうにかなってしまいそうだった。

「かわいい、陸」
 唇を舐められ、頬にキスをされる。いまだに目を閉じたままだった陸はそこでようやく目を開けるが恥ずかしくて居たたまれないような気持ちになる。

「ボクの運命の相手にしてほしいってねだるのに、自分はそうじゃないと思ってるんだ」
「……」
「ボクが陸を救えたのは、陸が好きだからよ。愛してるからだよ。陸がボクの運命だってボクは自信を持って言えるしそこに立っていられる自信だってあるよ」
「……夢をみたんだ。天にぃの、」
「……」
「誰が、運命じゃないことを決めたのって、言われたんだ」
 口に出して、陸はようやくそこで気づいたことに呆然として言葉を失う。
 天の運命の相手に、天に愛される唯一の存在になりたいと願っていた。願っていながらも、それを知らず知らずのうちに己の中で否定し始めていたのは、他の誰のせいでもなく陸が決めていたことだったのだ。双子や病のこと、あらゆること言い訳にしながら、一方的に望んだことに対してはどこまでも貪欲でいたのに自分の立っている場所に関して、足元を見つめることはなかった。

「……そうだよ。誰が、そんなことを決めたの」
「天にぃ、」
「ボクはずっと陸のことを愛してるって、陸がうさぎ病でなかったとしてもボクは陸を愛してるよ」
 いつか天に言われた言葉だった。天にぃ、と小さく吐き出した陸に天はもう一度口づけをする。

「……陸が目を覚まして、ここにいるのはどうして?」
 先ほどと同じことを問いかけられる。自分は先ほど誤ったことを天に伝えた。

「……天にぃが、ここにいるから」
 愛しい人が自分の居場所を作ってくれる。待っていてくれたからこそ、自分は再び目をあけてここにいる。
 陸の答えに天は嬉しそうに笑う、美しい微笑みだった。
自分が発したものは正解だったらしい。天にぃ、と腕を回して抱きしめる。真実の愛で救えるものは確かにここに存在していたのに、どうして気づくのがこんなにも遅くなってしまったのだろう。ごめんなさい、と小さく呟いた陸に天はあやすようにいいんだよ、と言った。

「ボクがずっと愛してるよ、陸」
 うん、と陸は頷く。天の鼓動が伝わってくる。あたたかくて、泣きそうになってしまう。
 ――陸は、どこに行きたかったの。
 あの問いにだって、今ならば迷いなく答えを返せるだろう。






×