俺には2人の母親がいる。片方は俺を産んでくれた本当の母親で、もう片方は父親が連れてきた愛人だ。両親が離婚する時に俺は母さんの方について行くつもりだったが、母さんは「お父さんの方が収入が安定しているから、そっちに行きなさい」と言われてしょうがなく父親について行くことになった。離婚してから食事等が全部コンビニ弁当になり、1人寂しくご飯を食べながら母さんの手料理のありがたみを改めて思い知らされたのを今でも覚えている。

そんなある日、父親が「会わせたい人がいる」と言って俺をお洒落な喫茶店に連れて行った事があった。そこにいたのは父親と同い年ぐらいの女性で、横には俺より年下の女の子が2人いた。話を聞けば父親はその女性と再婚したいらしく、俺の耳元で「可愛い妹もできるからいいだろ?」と説得してきた。父親はこの女性と再婚したいがために母さんと離婚したのか? そんな事のために? 正直、離婚しても母さんと普通に連絡出来るのでそんなに悲しく無かったが、家族3人で暮らして来た家に違う人が住むというのは、自分の心の中を土足で踏み入られるようでとても嫌だった。父親に正直にそう言っても、「もう高校生なんだからワガママを言うな」と言われ、結局父親とその女性は再婚してしまった。

母親となった女性は最初は俺のことを良くしてくれ、「お兄ちゃんなんだから」と言われるのは少し憧れでもあったため不愉快では無かった。しかしだんだん慣れて来ると、俺と妹達に対する態度が明らかに違うことがわかり、最初は1人っ子で甘やかされて育てられて来たからまだ自分の中に「甘え」が残っているんだろう、と思って我慢していたが、気付いた時にはもうそれが当たり前となっていた。俺の分のおやつが無くても「お兄ちゃんなんだから我慢してね」。俺の分のお年玉が無くても「お兄ちゃんだからしょうがないよね」。俺の分の誕生日プレゼントが無くても「お兄ちゃんなんだからワガママ言わないの」。いつの日か、「お兄ちゃん」という単語が頭の中でゲシュタルト崩壊してわけがわからなくなった日もあった。
その事を母さんに話してみると、母さんの目には涙が浮かんでいた。「高校を卒業したら、とっととあの家出ちゃいなさい。お母さんと一緒に暮らしましょう」と涙を拭きながらと言われ、その時高校3年生だった俺は進学か就職するか迷っている時期だったので、母さんにそう言われて就職する道を選んだ。


それから母さんと住み始めて穏やかな生活が送れるかと思ったが、そうでもなかった。風の噂で俺が会社に勤め始めたことが父親達の耳に入ると、金をせびに来た。「2人暮らしだから金も余ってるんだろう? 今まで育てた恩だと思ってさ」と言った電話越しの父親の声はとても卑しかった。逆に俺がその家を出たおかげで金に余裕が出来たはずだと思ってキッパリ断ると、今度は母親が電話をして来た。


「光貴くんお久しぶりね。お父さんから電話がいったと思うけど、私達本当にお金に困ってるの。少しだけでいいの、貸してくれないかしら?」


今まで聞いたことがないくらいの猫なで声で、少し気色が悪かった。母さんには心配させないと思ってこの事は隠していたが、あまりにも連絡がしつこいのでこの事を母さんに相談してみると、「少しぐらい良いでしょう。じゃないとあの人たち五月蝿そうですし」と言ったので、しょうがなく送金した。それで暫くは静かになったが、俺が母親の猫なで声に負けたと思ったのか、金を請求して来る時には母親が電話をしてくる事になった。


そんな生活を続けて数年が経った頃、あの事件が起こった。最初はいつも流れているような俺には関係のない事件だと思っていたが、殺されてしまった夫婦の名前を見て母さんが大声を上げた。俺は母さんの知り合いだったのか? と思って理由を聞いてみると、「覚えてない?」と聞かれた。


「よく遊んであげてたじゃない、森さん家の子達と……。リンタロウくんとミサキちゃん……大丈夫かしら……」


心配そうに視線を下に落とす母さん。俺はそれを聞くと一気に思い出した。家に来る度、母さん達が話をしている間に良く遊んであげていたのを。泣き虫な弟のリンタロウくんと、そんなリンタロウくんを守ってあげていたミサキちゃん。2人の関係性に、1人っ子の俺は少し羨ましかったのを覚えている。その2人がこの事件の被害者だなんて、俺は心から可哀想だと思った。
2人の事に関しては、最初はそれぐらいにしか思わなかった。でもネットで事件の事を調べていると、事件現場にいた人が勝手に載せた写真や2人の写真など、今の現状も根掘り葉掘り書かれている記事が出て来た。2人は被害者遺族なのに何故こんなに騒ぎ立てられているのだろう。不思議で堪らないのと同時に、守ってあげたいという思いも込み上げてきた。正直2人は赤の他人で、親戚でも何でもない。だけど、お金を請求してくる父親達よりも、明らかに心は寄せていた


〜〜〜〜


「母さんに話があります」


それは、俺が言ったワガママの中で一番大きなものだった。
森家の親戚をしらみつぶしに探して2人のいる家を突き止めると、俺は2人が住んでいる家の住所が書かれた手紙を母さんの前に置き、ソファーに座る母さんに対して床に正座をしていた。


「俺、ミサキちゃんとリンタロウくんを救いたいんです。今親戚にたらい回しにされてて、ネットで顔も晒されてて、可哀想って言葉では言いくるめられない程の過酷な生活をしてて……。それで……2人を……ミサキちゃんとリンタロウくんを…救い…たくて……」


最初は母さんの顔を見て言ってた物の、母さんの冷めた表情は少し怖く感じて声がだんだん小さくなっていく。もっと他にも言いたい事は沢山ある。2人と遊んであげているとき俺に妹と弟が出来たようで嬉しかったとか、学校で嫌な事が合った時に情けなくも2人に慰めて貰って嬉しかったとか、そんなちっぽけな事しか出てこない。そうじゃなくて、もっと論理的に、母さんを説得出来るような言葉を述べようとするが、緊張して何も出てこない。言葉が詰まって静かな時間が流れると、母さんは溜め息をついた。


「読ませてもらいます」


母さんは手紙を手に取ると、封を開けて読み始めた。内容は俺が2人を引き取りたいという内容で、もし良ければ声だけでも聞かせてくれと電話番号を書いた。別に2人に俺と暮らす事を無理強いしているのではなく、そういう選択もあるという事を示す手紙であり、変なことは書いていないつもりだった。でも母さんの目からはどう見えるだろうか、俺は2人に同情している偽善者にでも見えてしまうのだろうか。気を付けて書いたつもりだが、自分ではわからない。


「……母さんにも無理しない程度に仕送りはするつもり…です」

「…………光貴、随分偉く言うようになったじゃない」



母さんの言葉に俯きがちだった顔をあげて「やってしまった…」とと表情を無意識に歪めると、母さんは「何ていう顔をしてるの」と言った。


「もっとシャキっとしなさい、そんな顔でシズカちゃんの子達に会うつもり?」

「……え?」

「早くこの手紙投函して、いい物件も探さなきゃいけないわね…」


母さんは手紙をしまうと、俺の目の前に差し出してきた。母さんの表情は少し困ったように笑っていて、俺は鼻の奥が痛くなった。

「まあ、選んでくれたらの話ですけど。頑張りなさい」

母さんも手伝うわ。

その言葉に、俺は生まれて初めて嬉し泣きをしたのを覚えている。


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