それからの光貴さんと暮らす日々は驚く程に充実していた。親戚にたらい回しにされていた頃はあまり笑うことも姉さん以外と話すこともせず、光が見えない明日に復讐心を抱きながら生きていたが、今はその心も少しだけ治まっていた。姉さんも以前みたく笑うようになり、僕はそれを見れるだけで良かった。
だがその復讐心を忘れたわけではない。僕達に物珍しそうに近寄ってくる人、見せ物にして金儲けをしている人、両親だけを晒して加害者を未成年という理由で保護しているこの世を微塵も許してはいない。通い始めた新しい学校でも僕達の写真が載っているサイトを見た人が言いふらし、すぐに噂は広がって僕達は注目の的となった。それを聞いてからかってくる人がいるので、学校というのはどこも変わらないなと思った。特に姉さんに絡んでくるやつはタチが悪い人ばかりで、僕はその人達に怒りを募らせていた。酷い人には感情に任せて手を出してしまったりもあったが、ほとんど返り討ちにされて逆に心配されてしまう事が多く、そんな弱い自分に一番怒りを感じていた。

そう思って近頃始めたのがランニングだ。朝にでも走ろうかと思ったが一度も起きれた試しがないので、人のいない時間を見計らって夜にしている。見慣れてきた道でも夜になれば見知らぬ世界に変わって新鮮だが、自分の息遣いだけしか聞こえないので怖くもあった。まるで1人で世界に取り残されて生き地獄を味わっているような、そんな感覚だった。
他にも腹筋などをやろうとしたが姉さんや光貴さんに見られたら恥ずかしいので、家中の重いものを手当たり次第に持ってみたりしている。実際強くなっているのかわからないが、何もしていないよりはマシだった。
今日もその日のランニングを終えて家に帰ると、姉さんの部屋のドアから光が漏れているだけで家の中は真っ暗だった。光貴さん今日は遅いな、と思ってリビングに行って水を飲もうとすると、固定電話が点滅しているのに気づいた。留守電が入っていたようで、僕は軽い気持ちでそのボタンを押し、メッセージが再生された。


「もしもし、母さんです。ここ数ヶ月定期的にしてくれていた仕送りがパタリと無くなって少し心配になって電話しました。普通に元気に過ごしているだけなら大丈夫です。たまには声聞かせてね」


それは光貴さんの母親からの電話だった。僕はそれを聞くと、塞いでいたはずの心の傷をえぐられたような気分になり、その場から逃げるように風呂場に向かった。
シャワーを浴びている最中はいろんな思いが頭の中を駆け巡って意識的に息をしていた。光貴さんは僕達を引き取ったことで無理をしていないか? 僕達の見えないところで苦労をしていないか? 考えれば考えてるほど思考は悪い方にいき、濡れている肌がとても冷たく感じた。風呂はついいろんなことを考えて悪いことばかり想像したり、昔の記憶がフラッシュバックすることがあるのであまり好きではない。
とっとと済ませて風呂から出ると僕は頭を拭きながらリビングに向かった。ドライヤーを取り出して髪の毛を乾かそうとすると姉さんが部屋から丁度出てきた。


「今から乾かすの? 私がしてあげよっか」


こっちに寄ってきて僕の手からドライヤーを取る姉さん。僕は「そのぐらい自分でできるよ」と遠慮したが、「いいからいいから」と言われ、姉さんは乾かし始めた。ドライヤーの熱風と姉さんの手が心地よく、昔よくお母さんにこんなふうにされていたなあと思った。日常の所々に両親との思い出を思い出させるトリガーが沢山あり、思い出されるたび僕はあの日の事件の光景を思い出していた。怒りと同時に悔しさ、悲しさも湧いてきて涙が出そうになる。僕は大きなため息をついて気分を晴らそうとすると、姉さんが口を開いた。


「……ねえ、電話の留守電聞いちゃった?」


ドライヤーの音で少し聞こえづらく、いつもより暗い声で僕の心臓は一瞬早くなったような気がした。僕は聞こえるか分からないぐらいの小ささで「うん」と頷くと、姉さんは「そっか」と言った。姉さんの表情が見えないので今どんな表情をしているのかわからないが、笑顔ではないことはわかる。

「光貴さんのお母さんにしていた仕送り、多分私達の生活費になっているんだよね…」

「……」

「この留守電聞いてなんだか申し訳なくなっちゃって…」


姉さんはそう言うと、それ以上何も言葉を発さなくなった。僕も何か気の利いた言葉が思い付かなく、無言でいた。姉さんの思っている事は僕も痛いほどわかる。わかるからこそ、何も言えなかった。リビングにはドライヤーの音だけが響き、それは僕達の心の穴を吹き抜けているようだった。
するといきなり玄関の鍵が開く音がし、光貴さんの「ただいま」という声が聞こえてきた。姉さんはドライヤーを止めてそちらを向いたので、僕も視線だけ向けた。


「お、いいなあリンタロウ。ミサキちゃんに髪の毛乾かしてもらってるのか」


羨ましいぞこの野郎と笑顔で言ってきた光貴さんに、僕は困ったように笑った。


「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -