斎宮が海外へ留学して数ヶ月が経った。SNSを覗く分には衣装や芸術の事ばかりで特に変わりはないようだが、過激な発言をして炎上している姿を見る度頭を抱えたくなる。だが以前、それのお陰でとある芸術家の目に斎宮の作品が留まり、仕事に発展した事もあった。結果的には良かったのだと思うが、斎宮が炎上すると連帯責任のごとく俺や影片のSNSにも影響が出るので正直やめて欲しいと思った。

今日はせっかくオフの日が重なったという理由で影片とご飯を食べに行く約束をしているのだが、あまり乗り気ではなかった。今はそうでも無いが、俺は一時期影片に対して複雑な感情を抱いており、あまり良く思ってなかった。しかし影片はそんな俺に対して斎宮や仁兎と同じように慕ってくれ、大人気なかった自分を思い出すだけでとても恥ずかしくなる。あの頃の事を素直に謝りたいと思っているが、あの頃のことに関しては特に触れてこないし、変に触れてぎこちなくなるよりは今の関係を保ったままの方が良いのかもしれない。
そういえば影片はまだなのだろうか。ここに来て数分は待っているんだけどなと思いつつ持っていたクラッチバッグからスマホを取り出して時間を確認しようとすると、「男主兄ィ!」と呼ばれたので顔をあげて当たりを見渡せば、急いで走ってくる影片の姿が見えた。

「ごめんなあ。ついさっき飛び起きて急いで準備したんやけど遅れてもうて…」

黒い帽子で顔が隠れているが、頬には沢山の汗が伝っていてかなり急いできたことがわかる。俺は膝に手を着いて地面に視線を向けて呼吸を整えている影片の帽子を取り上げ、それでうちわのように影片を仰いでやると、影片はにへらと笑った顔で「ごめんなあ」とまた謝った。

「この間仕事中にオシャレな喫茶店教えて貰ってな、男主兄ィ好きそうやからそこに行こうと思うんよ。なんかオレンジとかグレープフルーツが生搾りで飲めるらしくて、男主兄ィそういうの好きやー思って」

歩きながらお店の情報をベラベラと喋る影片。俺は頷いてあげながら聞いていると、他にも色んな話をしだした。Valkyrie以外の仕事の話や鳴上との話、一人暮らしでの出来事や、近所に野良猫がいる話。影片の身の回りには楽しそうな出来事ばかりで飽きない毎日を送っているらしく、俺は「楽しそうだな」と言うと、影片は少し驚いた表情をしつつも笑みを浮かべて「おん!」と元気よく言った。

「んあ、ここや!」

影片が立ち止まると右手側にお店を見ながら言った。黒い建物でお店の名前が大きく書かれており、入口付近にメニューが立っている。メニューを見てみるとパスタやガレット、キッシュなど様々な料理名が記されており、影片が言っていた通り生搾りのフルーツジュースもあるようだ。メニューをまじまじと見る俺に対して影片が「美味しそうやろ?」と聞いてきたので、俺は「そうだね」と返した。

中に入って席に通されると、影片みかは帽子を脱いで「涼しいわぁ…」と呟いた。俺もストールを外して畳むと、隣の席に荷物と一緒に置く。店内はお昼時だからか少し混んでおり、賑やかに感じられた。

「そう言えば、来週お師さんがゴスプロの事務所に用があるー言うて帰ってくるらしいんよ。男主兄ィにも連絡来たん?」

唐突に影片から話を切り出されたかと思いきや斎宮の帰国報告で思わず驚いて目を見開いてしまうと、自分のスマホを鞄から取り出してメッセージ欄を見た。しかしそんなメッセージは見当たらなく、そもそも斎宮がフランスに行ってから何一つも連絡が来たことが無い。影片はそんな俺を見て連絡が来ていないことを悟ると、「ほっか…」と呆れたように言った。

「詳しくは知らんけど、次のライブの話らしいんよ。おれたちも行った方がええんかなぁ…でもお師さんに何も言われとらんし…」

「…………俺達も行くなら絶対先に伝えてるよ、今回は何も言われてないから良いんじゃないかな」

それで何故来ない!て文句を言われたら伝え忘れていた斎宮のせいにすれば良い。事実なんだから。そう影片に伝えると、「男主兄ィも悪い人やなぁ」と笑われた。そもそも俺に連絡してない時点で一緒に行かなくていいのは明確だ。影片にだけ送られて俺には送られてない差に、忘れかけていた怒りと悲しさを思い出してしまい、上辺だけの和解をしても深い傷は癒えないんだなと思った。

「……お師さんな、おれにメッセージ送る度に男主兄ィのこと聞いてくるんよ。体調崩してないかーとか、食べすぎてないかーとか。おれたち、お師さんのせいでSNS制限されとるから他のアイドル達みたいにインスタとか使えへんやん? 男主兄ィなんかおれみたいに色んな仕事引き受けたりせんからお師さんも情報が掴めなくて不安なんやろうな」

男主兄ィ、普段何してるか俺もわからへんもん…。少し悲しげに笑う影片は、視線をテーブルに落とすとお冷を1口飲んだ。確かに、モデルや雑誌のインタビューの依頼が来ても全て断っていて、Valkyrieの3人としてじゃないとメディアに露出していない。別にValkyrie以外の仕事をしたくない訳では無いが、斎宮や影片がいない、ましてや知り合いが1人も居ない場所でやりたくもない仕事をするのは俺的にはかなり厳しく、下手なことをしてValkyrieの高貴なイメージを下げるのが怖かった。まあ斎宮がいろいろやらかしてるからそんなイメージはとっくに崩れているが、メディアに出る時はValkyrieの苗字男主でいたい。人間は完璧じゃないからこそ人間だが、俺は完璧でありたい、上辺だけでも。

「………俺も、自分が普段何をしてるかわからないや」

呟くようにそう影片に言うと、影片は愛想笑いすらしてくれなくなった。影片が今何を思っているのか知らないが、影片もまた俺が何を思っているのか知らない。結構長い時間を一緒に過ごしているはずなのに、俺達はまだこんなにもぎこちなかった。俺がいなきゃ、こんな事にならなかったのに。俺さえ、俺さえいなければ。
仁兎と一緒にValkyrieを辞めればよかったのに。
自問を繰り返しても答えは出ないままで、ずっと過去の自分に対して悔やんでいる。
やはり今日は来なければ良かったと思った。