「『こんにちは男主ちゃん、こうやって話すのは初めてね』」


斎宮がやっと学校に来たと聞いたので様子を見に斎宮のいるクラスに行けば、今まで1度も聞いた事が無いような裏声で話し掛けられて俺は首元に刃物を突き付けられたような気分になった。何事かと斎宮の顔を見てみるが何事も無いような真顔でそこに立っていて、左手に持っている緑色の瞳をした見慣れた人形だけがこちらを見ている。俺は自分の顔がどんどん歪んでいくのがわかり、その顔で斎宮と人形を見比べていると、斎宮はまたその声で喋り出した。


「『あら、驚いて声も出ないのかしら? そんな顔しないで、可愛らしいお顔が台無しだわ』」


目の前で腹話術をする斎宮に対し、今までに体験した事もない不安がじわじわと湧いて蝕まれて行くのを感じ、それは斎宮が言った言葉も耳に入らなくなる程だった。昔から人形に喋りかける事は多々合ったが腹話術をして対話するような事は無く、目の前の出来事が質の悪い冗談で合って欲しいと心の底から願っている自分が居る。どうしよう、なずなかユニットを抜けてしまい、自分の完璧な舞台を台無しにされて斎宮自身も壊れてしまった今、もうアイドルを続けるのは不可能なのだろうか。俺は多大なショックを受け、心臓に刃物でも突き立てられて慌てるのを防ぐかのように大きく深呼吸をすると、彼はまた口を開く。


「『…男主ちゃん具合が悪そうよ? 宗くん、保健室にでも連れて行ったらどうかしら。数少ない大切なお友達でしょう?』」

「フン、僕が絶望の淵に立っていた最中に一度も顔を出さなく、久々に合ったと思ったら声を失っていた出来損ないの人形に情けなど無用なのだよ」


声を失った出来損ないの人形、人形という物は元々喋らない物だろう。俺はそんな事を思いながら斎宮の左手に居座る人形を睨み付けるように見ると、視線を床に落とした。マドモアゼル、確かそんな名前だっけ。以前から斎宮が愛を注いできた物で俺も家族の様に思って来たが、改めて見てみれば俺よりこいつの方が仁兎のように可愛く、仁兎のように斎宮の作った服を着せられ、仁兎のように沢山の斎宮の愛を受けている。それはまるで人間みたく、俺が欲しかった居場所でもあった。俺はその居場所が欲しくて人形に成り下がったのに、こんな人形に易々とを奪われてしまった。喋って楽しませてあげる事も触れてあげる事も出来ない癖に、人形が、人形の癖に……!
感情が高ぶって涙が溢れるのがわかると、目の前の斎宮の顔がやっと人間味のある物へと変わった。けれど斎宮に対していろんな想いが冷めてしまった俺にはもうその表情は眼中に入らなく、身を屈めて彼女だけを視線に捉えた。


「ごめんねマドモアゼル、人形同士改めてよろしくね」


自分の中で暫くの間禁止していた笑みを浮かべてマドモアゼルにそう言ったが、彼女何も喋らなくなってしまった。嫌われてしまったのだろうかと思ったが、先程の様子からマドモアゼルは優しい女性だとわかったので喋り疲れて眠ってしまっただけだと推測し気にはしなかった。
それとは裏腹に斎宮の腕が微かに震えだしていたのでどうしたのかと顔を見れば、幼い頃に沢山見たような心配そうな表情をしていて、久々に昔のように名前を呼ばれた気がしたが俺は人形なので何も聞こえなかった。
昼休みの終わるチャイムが学校内に響き俺は自分の教室に戻らなくてはとその場を去ろうとし、その際にマドモアゼルの手を指先で持ち上げて握手の真似事をした。彼女の顔を見てみれば、少しだけ笑ってくれたような気がした。