ショコラフェスの時に配布する薔薇のチョコを作り終え、配布する分を流星隊の人達に運んで貰う変わりに俺達は厨房の片付けをしていた。俺はバイトや家で良く洗い物をするので得意気な顔をしながら率先してやり始めたが、厨房の水道は氷水のように冷たくすぐに手が赤くなり浮腫んでしまった。しかしこの程度なら日常茶飯事なので特に気にする事もなく洗い物を続けていると、横からチョコレートに塗れた調理道具をシンクに入れてきた斎宮が僕の手を見て声をあげた。


「ノンッ! 素手で洗い物をすると手が荒れるから手袋をするようにと言ったのを忘れたかね」


俺は耳元で急に怒鳴られて驚き、目を固く瞑って首を竦めると大きな溜息をつかれた。これで斎宮に叱られるのは今日で何回目だろうか、俺は固く閉ざしていた目を少し開いて斎宮の呆れ顔を見ると、視線を下に向けた。
もうそろそろで俺達も卒業だと言うのに、この1年で全く成長が出来てないのは俺だけのような気がする。影片も斎宮も3月の頃に比べて表情が柔らかくなり、あの件が起こる以前のような賑やかさを取り戻しつつあるが、相変わらず俺はあの頃のまま沈黙を貫いて斎宮の操り人形を演じている。いつか仁兎みたく、ユニットを抜けなくても1人でに歩み出せる事が出来るはずと機会を伺っていたが、待っていたらいつの間にかこんな時期になってしまっていた。


「ほら、これを使うのだよ」


斎宮はそう言って俺に厚手のゴム手袋を渡してくると、側にあった布巾を持ってテーブルを拭きに行った。
このイベントが終われば、Valkyrieとして立てる舞台はもう数える程無いだろう。斎宮は海外留学を視野に入れてるらしいし、再結成するとしても数年は掛かってしまう。そもそもこのユニットは斎宮がリーダーなので再結成するかどうかも不安だが、別にValkyrieという括りじゃなくても再びこの3人で集まれれば俺はそれで良い。そんな事を思っていたら、急に鼻の奥が痛くなって視界が徐々に歪んでしまった。急に涙腺が緩んでしまって俺は自分自身でも驚くと、取り敢えず涙を抑えようと深呼吸をした。

そうだ、俺はまだ斎宮や影片にちゃんとした感謝の気持ちを一度も伝えた事がない。影片にはジェスチャーで何回か伝えたことがあったが、斎宮の前では完璧な人形でいるためにそれらしい事もした事が無かった。今の俺の調子では卒業した後所か一生2人に感謝の言葉を言えない気がすると思うと、涙が引っ込んで俄然と意欲が沸いてきた。特に斎宮には数え切れないほどの感謝と想いがあるので、今日中とまでは行かなくてもショコラフェスまでには言おう。そう心に決めると、ゴム手袋を装着して再び洗い物をし始めた。どんな事を伝えようか、何かお礼の品をあげようかと思いながらやっていると、自然と口角が上がってしまっていた。


〜〜〜〜


影片が転校生を送り届けて厨房に戻って来ると、斎宮が失敗して余っていた薔薇のチョコの処分に困っていたので全部影片にあげた。俺はどうせ「君に食べさせると衣装の調整が大変なのだよ」とか言われて貰えないと思っていたので影片に羨ましそうな視線を送っていると、斎宮に「君の分もあるよ」と言われた。


「3つだけだけどね」


綺麗にラッピングされたバラのチョコを渡されて驚き、横にいた影片と視線が重なれば「良かったな! 男主兄ィ」と言われた。俺は今まで笑う事を控えて来たため自然に口角が上がってしまう事も容易く制御できるが、今日はありのままの素を出そうと思い感情のままに微笑んでみせた。


「わぁ、男主兄ィの笑顔久々に見たわ〜!」


影片がとても嬉しそうに言うので俺は何だか照れくさくなって笑みをおさめようとしながら斎宮の顔を見ると、目を少し見開いて唖然とした表情をしていた。俺、そんな不器用に笑ってしまっただろうか。少し心配になりながら斎宮と視線を合わせていると、斎宮の顔が憂いが帯びてきた。


「やはり君の笑顔も、仁兎と同じぐらい愛らしくて素敵なのだよ」


俺は自分の目に涙が溜まるのが分かると、チョコを持っていない手の方で自分の顔を覆って下を向いた。影片と斎宮が何かを言っているが、今は自分の喜びに満ち溢れた気持ちを落ち着かせるのに必死で何も耳に入らない。何だ、もっと早く笑っていれば良かった。
嗚咽を漏らして泣いたのは、高校生になってこれが初めてだった。