※中編として書いていたがもう続きを書く予定がなく供養した物
※固定名




馴れ馴れしく話しかけてきたその男に、俺は既視感を抱いた。左に流れる前髪に、跳ねている後ろ髪。顔はマスクをしていてよく見えなく、服装も全く違うが、その姿は俺の写鏡のように思えた。

「俺の事は薄荷(ハッカ)って呼んでね、コウくん」

人懐っこそうな笑みを向けてくる男に対し、俺は直感的に嫌いな人種だと悟った。


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猫には9つの命があると聞くが、実際に9つの命を持っているわけでは無い。生命力の強さと身体能力の高さが比例し、怪我を負いにくく、怪我を負っても死ににくい。そういった特性が「9つの命がある」の由来になっている。


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「あれ、薄荷さんかと思ったらコウさんだ」


リビングのソファーでノートパソコンを弄っていると、部屋に入ってきた誰かが言った。俺は何だと思ってパソコンから目を離して顔を上げると、ドア付近にユキナリが立っていて、手にはペットボトルが握られていた。


「…またか」

「え、また…?」


呆れながら言うと、ユキナリは不思議そうに聞いてきた。お前もたった今間違えた事なのでその理由は言わないでもわかるはずだが、ユキナリの表情を見れば何もわかってなさそうな顔をしていた。俺は大きなため息を付くと、今までにいろんな人に説明してきた言葉を繋ぎ合わせて簡潔的に言った。


「俺と薄荷はそんなに似ているか?」

「…ああ、まあ、似ているよね」


ユキナリは申し訳なさそうに俺から目を反らし、頭の中で薄荷の姿を思い出している様子だった。そんな無駄な能力を消費するより、とっとと薄荷の方に行ったらどうだ。俺はそんな事を思いながらユキナリに「薄荷の方に何か用があったんじゃないのか?」と言うと「そう言えば」と話しだした。


「薄荷さん冷蔵庫に水があるって今まで知らなかったらしくて、ずっとシャワー室にある洗面所で水飲んでたんだって…ちょっとビックリだよね……」


手に持っていたペットボトルを見ながら言うユキナリ。俺もそれを聞いて少し引きそうになったが、こんな状況下なのでありえなくはない話だと思った。俺達は冷蔵庫の中にある食料を、最初は疑い今では各自由に飲食をしているが、もしかしたら遅効性の毒などが紛れている可能性があり、それを踏まえて薄荷はそんな行動を取っているかもしれない。……なんて思っては見たが、よく考えれば他人が飲食したのを観察すればそれ自体に毒が入っているかは明らかになるはずで、水は透明なペットボトルで保管されており、開封済みか否かなんてキャップを捻ればわかる事だ。それに、水道水を飲むならキッチンの水道を使えば良い物の、何故洗面所の水道なのだろうか。


「あ、じゃあ僕、薄荷さんの所に行くね…」


そんな不思議な行動をする薄荷に対し、俺はやっぱりあいつには関わりたくないなと思った。


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猫は、人間の基準では助からなそうな重傷からでも回復することがある。海外の話では、死亡を確認し埋葬までされた猫が自力で飼い主の所に戻ってきたケースもある。


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腹が空いたので食料を漁りにキッチンに来てみると、冷蔵庫の前で薄荷がウロウロしていた。冷蔵庫の開閉を繰り返しては辺りを見回し、この間まではユキナリに教えられるまで水がある事すら知らなかった薄荷が何かを探している様子だった。食べ物や飲み水なら冷蔵庫を開けた時点でわかるだろうし、食器類ならすぐ近くの戸棚にある。あんな所に居られては邪魔なので何を探しているのかと声を掛けようとしたが、何だか面倒臭い事に巻き込まれてしまいそうだったので自分の食べる分だけを取ろうと冷蔵庫に歩み寄ろうとすると、足を一歩踏み出したところで薄荷が勢い良く振り向いた。


「なんだ、コウくんか」


振り向かれた時の表情は、まるで仕留め損なった獲物が再び現れたような鋭い眼光をしていたが、俺だとわかるとすぐにいつもの気の抜けた笑みになった。自分と瓜二つの顔にいろんな表情をされると、今俺の前にいるのは薄荷なのか鏡に映る自分なのか、今自分がどんな表情をしているのかわからなくなってしまいそうだった。俺は何もなかったように薄荷に近づくと、「何をしている」と聞いた。


「うーん、あのさ、俺、こういうの初めてで…」


薄荷が困った様子で言いながら指した物は冷蔵庫だった。俺は薄荷の言っている意味がわからなく頭に疑問符を浮かべると、薄荷はそんな俺にお構いなしに話を続けた。


「大体というか、今まで与えられた物しか食べた事がなくて」


どうしたらいいかわかんなくてさ。俺は少し間が空いて薄荷の伝えたかった事を理解すると、そいつの頭を疑った。今まで生きてきて冷蔵庫を見た事がないなんてあるのだろうか。いや、あったとしても、調理の方法を知らない、ましてや、食材自体を知らないといった事があるのだろうか。そんな薄荷に対して「正気か?」と聞いてしまいそうになったが、その表情を見るに冗談を言っているようには見えなかった。


「…お前の家は金持ち何かか?」

「……どうだろう。まあでも、普通の人よりは持ってたんじゃないかな、わかんないけど」


薄荷は目を細めて笑うと、マスクを摘んで篭った熱を逃がした。その時隙間からマスクで隠されていた口元が見え、自分で言うのも何だがその部分も俺にそっくりだったような気がした。


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死期を悟ると人前から姿を消すと聞くか、実際は目立たず外敵に襲われない場所でゆっくり体を癒そうとしているだけである。その際に回復しきれずそのまま死んでしまう事から、あながち間違いでは無いのかもしれない。


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捜査をするために植物室に来てみると、そこには薄荷がいた。水槽に子供らしく張り付いては泳いでいる魚を目で追っていて、その光景はまるで水族館に来た子供のようだった。人殺しがあった直後で何を呑気な事をしているんだ、と少し腹が立ち、そんな奴はほっといて何か手掛かりはないかと部屋の中を探していると、「いってえ」と薄荷の大きな声が部屋に響いた。


「うわわ、どうしよう…血が……」


薄荷の方を見れば水槽の側にあった階段の上におり、捲られた腕からは血が流れ出ていた。その血は腕を伝って水槽の中に落ち、水槽の中にいる魚はその血に反応して薄荷の腕の下に群がっている。もしかして、あの水槽の中にいるのは肉食魚だろうか。こんな所にそんな魚がいるなんて、殺人の道具にでも使えると思って主催者が置いたのだろうかと思ったが、そうなるとバラバラにでもしない限り不可能だろう。悪趣味だな、と思ったが今はそんなことよりも薄荷の方を気にするべきだろう。俺は薄荷の方に近寄ると、薄荷と目が合って困ったような表情をされた。


「魚ってこんな凶暴だっけ…?」

「…それは肉食魚だ。お前の腕を餌かと思ったんだろう」


俺の言葉に薄荷は情けなさそうな言葉を漏らしながら階段から下り、血に塗れた片腕を前に突き出して自分の服に血が付かないようにしていた。血は床に垂れるぐらい流れていて、少し心配になる。俺は「大丈夫か?」と聞くと、薄荷は困ったように笑った。


「水槽の中になんか気になる物があってさ、手で取れるかなって思ったらすごい噛まれちゃった」

「あのギラついてる歯を見て危ないと思わなかったのか。ったく、少し待っていろ」


俺は確かあっちの部屋に救急箱があった事を思い出して薄荷を残して部屋を出ると、病室に向かった。
他人の世話なんて嫌いな俺が何故こんな行動を起こしているのだろうか。病室に来て救急箱の中を確認しながらふと我に帰った。正直、腕の負傷は自業自得であり、俺には関係ない。なのに俺はあいつの事がほっとけないでいた。俺と似たような顔で、あの目で、あんな表情をされると、まるで昔の弱いままの俺が目の前にいるようで、自分という存在が不安定になるようで、いつの間にか恐怖さえ抱いていた。


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飼い猫は、体が衰弱すると甘えてくる場合がある。飼い主の腕の中で亡くなるケースも少なくなく、飼い猫にとって一番安全な場所は飼い主の近くなんだとわかる。


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植物質に行くと、薄荷さんが水槽に張り付くような感じで泳いでいる魚を見ていた。ここに閉じ込められてからよく見る光景で、薄荷さんは魚が好きなんだろうと薄々わかる。そんな薄荷さんの無防備な背中を見て、僕はチャンスだと思った。外見はコウさんに似ているけどキレ者ではないし、今なんか隙だらけだ。行けるかもしれない。
僕は服の中に忍ばせていたガラスの破片を手に持ち、薄荷さんの背後にゆっくり近づく。あと5歩、4歩、3歩……。物音を立てずに近付くと、僕の目の前には薄荷さんの背中が間近にあった。ごめん、薄荷さん……ごめんなさい……! そう思って大きく振りかぶった。


「…何してるの?」


大きく振りかぶった途端、薄荷さんがいきなりこちらを向いた。僕の鼓動は早くなり、焦って手からガラスの破片が滑り落ちてはフードの中に奇跡的に収まった。丁度いい、僕は体を伸ばす振りをして焦って言い訳を考えた。


「あっ……と、薄荷さんが何をしてるのかなって思って……また魚見てたの…?」


早くなった鼓動のせいで体中が熱くなり、不思議と汗をかいていた。僕はいつも通りの笑みを浮かべて薄荷さんに聞くと、薄荷さんは「うん」と言って再び水槽の方に視線を向けた。もう薄荷さんを狙うのは無理だろう、そう思って薄荷さんの隣に立って水槽を見ると、凶暴には見えなさそうな魚が呑気に泳いでいた。


「いつも魚は食べ物でしか見たことなかったし、こうやって生きてるのを見るのが珍しくて。それに、本物の魚って食べたことなくて」

「え、普通の焼いてある魚とかも……?」

「うん。いつも、魚が混じった物とか、魚風味とか、そんなの」


僕は薄荷さんを見たが、相変わらず水槽しか見ていなかった。まさか、魚自体を食べた事が無い人がいる何て、そりゃあいるかもしれないけど少し意外だった。そうしたら普段は何を食べているのだろうと思ったが、この世には魚以外にも沢山食料があるので困りはしないか。
そんな事を呑気に思っていたがすぐに我に帰った、僕はこんな事をしている暇ではない。僕は「そっか」と言うと、水槽から少し離れたところでフードの中に落ちた鏡の破片をすぐさま取り出して植物質から出た。





「…………もしさっき殺されてたら、コウくんどんな反応してくれたかなあ」