十万記念SS
「お医者さんごっこ」
***
病院に通い始めた。
「園村さん、園村蓮さん」
「はい」
「診察室へどうぞ」
年配の看護師さんに促され、ここ何日かで見慣れた診察室へと足を踏み入れる。小児科のようにキャラクターのポスターやぬいぐるみはなく、皮膚科や耳鼻科のように専門的な知識の書かれた新聞らしいものも貼られていないそこは。この辺りで一番大きな総合病院の中にある外科。そう、外科。
「どうぞ、座って」
「あ、はい」
二日に一度のペースでかかっているのだけれど、担当の先生が少し、おかしい。というのも、まだ若そうなのを差し引いても“医者”と呼ぶに似つかわしくない容姿を持ち、そして何より変な対応をするのだ。
「かわったことはないですか」
「はい、特に」
「じゃあ、口開けて」
「へ、あ…」
それはまず、風邪でもないのに喉を見られることから始まる。そして次に眼球をチェックされる。この時、両頬を包み込まれ、先生の顔がぐっと近づいてくる。それに、たまらなくドキドキしてしまう自分がなんとも情けなるのは、初めてここへ来たときから変わらない。
「あの、先生…」
「少し充血してる。あまり夜更かしはしないように」
「すいません、」
同じ男だけれど、それでも見とれてしまうほどに先生は男前なのだ。漆黒の瞳を宿した切れ長の目と、同じ色の髪。薄いけれども形のいい唇に、綺麗な鼻筋。そしてなにより問題なのが、間近で発せられる低く響く声。
「じゃあ心臓の音聞くから、シャツのボタンはずして」
「え、」
聴診器を耳にあてた先生は、その動作で白衣の胸元につけられた名札の歪みを直した。“愛嬌虎士”と書かれ、顔写真の貼られたその名札。それを一瞥してから、早くしろと目で訴えられている気がしてシャツのボタンに手をかけた。
「……っ」
じ、っと、指先に送られる熱い視線。
なんだってこんなふうに見られながら、服を脱がなければならないのか…今どき衣服を全部脱がなくたって、聴診器はあててくれるものじゃないのだろうか。少し捲るとか、襟元だけ緩めて突っ込むとか…でも、愛嬌先生は僕がボタンを全てはずし終わるのを待っている。
別に恥ずかしがることなんてないのに、ここまで見られると男同士といえども羞恥に顔が熱くなってしまう。
「これで、いいですか」
「はい、少し冷たいので」
「っ!」
ひやり、吸盤らしいものが胸元に押しあてられ、その冷たさに思わず息が詰まった。数秒間隔で移動するそれに、卑猥な意味などないはずなのに…胸のドキドキはおさまらない。これじゃあ、心拍数が多い、と注意をされてしまうんじゃないかと心配になったとき、視界が回転して。先生に背中を向ける形になり、羽織るだけになっていたシャツが剥がされてしまった。辛うじて両手首で止まったそれは気にもとめないで、同じく冷たいものが背中を這う。
「っ、せん…」
「運動でもしてきたんですか」
「へ、?」
「鼓動が速い」
「それは…」
貴方の手つきが怪しいから、なんて言えないまま。また椅子を回転させられて、ぐっと顔を覗き込まれる。そもそも鼓動が速くたって、僕の健康状態に問題はないでしょう、そう、問題ないはずなのに。
「それは?」
「…いえ、少し、走りました…」
「過度の運動は禁止ですよ」
「はい」
「ほら、こんなに速い」
「、せんせっ!」
聴診器ではなく、先生の大きな手が、胸元を撫でた。それから心臓辺りで動きを止め、確かに心音を聞くようにそっとそれを押し付ける。その途端、心拍数が上昇するのを感じて、思わず俯いてしまった。
「どうかしました?」
「いえ、何…も」
「そう、じゃあ処置するからベッドに」
ぶるりと震えた体からその手が離れる瞬間、一瞬だけ胸の突起を掠められて更に体が熱くなってしまった。そんな体を隠すようにシャツを羽織り直し、腕を引かれるままにすぐ横にあった無機質な白いベッドへと歩み寄る。
座る直前でズボンを下ろすよう指示され、まあこれは仕方がないかとベルトを緩めてズボンを下ろし、それからそこに腰かけた。
右足の、腿からふくらはぎにかけて巻かれた包帯。これこそが、僕が病院に通う理由。先生は器用にそれを解いていき、貼られたガーゼも丁寧に剥がした。
「大分、良くはなってるな」
とは言うものの、まだ痛々しい火傷の痕がそこにはあって。原因は近所でのぼや騒動。巻き込まれそうになった子供をかばったときにやってしまった。それほど酷くはないし、子供も無傷だったからよかったのではないかと思う。
「痛かったら言って」
「はい」
素直に返事をしてシャツのボタンをとめながら、露になった足で消毒液を含ませた綿が移動するのを眺めた。ピンセットを持つ手とは逆の手が、支えるようにしっかり足を掴んでいて。けれど時折ゆるゆると無意味に火傷のないところを撫でられる。
「っ…や、え?先生、なに」
消毒が終わり、新しいガーゼをあてられ、あとは包帯を巻くだけ。という場面で、不意に足首を捕まれ、そのまま軽く持ち上げられて開かれる。やっぱり男同士といえど、パンツ一丁の下半身を晒すのにはかなりの抵抗がある。
「エロい格好だなって」
「〜っ!」
涼しげな目が細められ、口角があげられ、微笑むと言うよりは意地悪な笑みを浮かべたと思ったら…その顔は僕の足の付け根に埋められ、ちくりと甘い痛みを植え付けて離れていった。
それも、彼の診察に含まれている。おかしいと言うより、もう完全に犯罪の域なんじゃないだろうか、そう思いつつも、僕は突き放せないでいる。
「ここ、半勃ちだけど」
「も、先生…やめ」
パンツ越しに、ぐりぐりと唇を押し付けられ、頭が真っ白になる。白衣の白さと、髪の黒さだけが妙に鮮やかで。他に何も考えられなくて。こんなの、全然診察じゃないのに…
「蓮、」
欲情に濡れた目が、僕を捕らえて。そのまま近づいてきた顔から、視線を離せなかった。ゆっくりと重なった唇の熱さに、無性に息が苦しくなる。
「っ!!」
覚醒。
「ゆ、夢…」
がばりと起き上がったのは、見慣れた自分の部屋だった。夢か、と胸を撫で下ろしたものの。とんでもない夢を見てしまったと自己嫌悪に陥りつつ、しかし昨夜のことを思い出して多少納得した。そうだ、昨日の夜、教師をしている友人が遊びに来て、今日は教育委員会とかお偉いさんが授業参観に来たから、白衣を着たんだよと言いながらそれを見せつけてくれて。無理矢理虎に着せてみたらあんまりにも似合っていて、友人はふて腐れて帰っていった。そのまま、あれやこれやというまにそういう雰囲気になって…
「……」
それにしても、だ。
夢の中の自分、もう少し抵抗してよ。
「…ん」
「はぁ」
隣で無防備に眠る虎を見下ろし、漏れてしまったため息。今日は休みだ、もう少し眠ろう。今度は、もう少しマシな夢だといいな、そんなことを思ってから、すぐに意識を手放した。
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