過去企画 | ナノ


三十万記念
リクエスト:オリジナル、年の差、ケンカップル
※NO SMOKING元ネタ

***

「最悪」

「……」

「むかついた。帰る」

「はあ?なんなのお前、いきなり来といてその言い方」

「学校早く終わったから来たんじゃん」

「誰が来いって言ったんだよ」

この辺ではそこそこ頭が良くて有名な高校の制服。勉強が出来ればさほど厳しくない校則のもと、髪は少しくすんだ茶色で、右耳の軟骨部分にはピアスが二つ。決して真面目な高校生には見えないけれど、きちんと授業にはついていけてテストも問題なくこなす。若干の不良臭は否めないけれど、なにせ顔つきが可愛らしく悔しいけど好みだ。良い高校通って勉強できて世渡り上手で、ああ、こいつ人生勝ち組だよなと思った俺は、今ではすっかりその高校生に飼い慣らされている。


NO SMOKING

「おい楓、待てって!」

「だから、帰るって言ってんの。こんなとこ居られないし」

「待てコラくそがき」

「臭い手で触んな。死ぬ」

何が入ってるのか知らないけれど信じられないほど重い鞄で俺の脇腹を殴った楓は、軽やかに俺の手から逃れた。

半年前、楓の唯一の家族だった祖父が死に、色々あって俺が面倒を見ることになった。楓のじいさんが俺の組の親父に、生前楓のことをよろしく頼むと頭を下げていたのを何度か見たことがある。親父はそれを承諾し、けれど忙しい人だしずっとは見ていられないからと日常的な世話係を命じられたのが俺。
まあ、面倒を見ると言っても成人するまでの少しの間だ。生活に困らないだけの財産はあるだろうし、もろもろの手続きももう済んでいるから俺がすることは本当に保護者面をすることだけ。

「手洗ってくるからちょっと待ってろ!」

「帰るって言ってんだろ」

「いいから待っとけ!逃げんなよ!」

どうしてそんな境遇の高校生に飼い慣らされているのか、そんなの俺が一番聞きたい。自分に直接は関係はなかったけれど、じいさんの親族はおらず、通夜から葬儀から全てうちの組が手伝った。その時初めて真正面から楓を見た。確かに小綺麗なガキだとは思ったけれど、まさかここまで口が悪いとは思わなかったし、親父や楓のじいさんから聞かされていた“楓くん”とはまるで別人だと知ったのはその後。

「つーか、俺は臭くねえ!」

「こんな臭いところにいたらくせぇっつーの!おえぇ」

「えずくな!文句言うなら来んじゃねーよ」

ヤクザの事務所だぞ、と付け加えると周りにいた何人かがうんざりした様子でため息を落とした。この半年で楓はすっかりここに馴染み、世話係を押し付けられた俺との言い合いも、また始まったと思われるようなものになっている。組長が楓を溺愛してるから楓のことは誰も文句を言わないし、俺が大人げないと呆れられるだけなのだ。

「俺の部屋で待ってればいいだろ、まさか、鍵無くしたとか言うんじゃねーだろうな」

「無くしてない。晴一さんち行ったけど居なかったし、連絡つかないし、待ってて帰ってくんのかも分かんないから来たんじゃん。すぐそこだし。つーかそんな暇そうにしてんなら電話出ろよ」

「なに、連絡したの?」

「したって言ってんだろ」

「今初めて聞いたわ。なんだよ電話くれたの?それを早く言いなさいよ」

事務所の入り口と広いロビーを抜けさらにその奥にある洗面台。今この場にいる全員に聞こえる声で怒鳴り合っているのが情けなくなり、適当に手を洗って楓の元へ戻った。ここから俺のマンションまでは車で数分もかからない。今日はもう帰るからと言い残して不機嫌な楓の腕を引いて事務所を出た。一回り以上も歳の離れた子供相手に何をしてるんだかと思いながらも、結局手をかけてしまう俺が悪い。

「……楓くん」

「キモい何」

「まだ臭い?」

「……」

「楓があそこ来なくていいように合鍵渡したんだけど」

「だから─」

「うん、それは俺が悪かった。気づかなくてごめん。でも、ほんと、楓は組とは関係ないけど、気を付けないと危険のは俺らと変わんねぇの。気軽に遊びに行く場所とは違うんだから」

「……」

「心配してんの、分かる?……おい、聞いてんのかくそがき」

「晴一さんのそういうとこ嫌い」

「はあ?」

第一印象が“小綺麗”だった高校生は、丁寧に深々と頭を下げて会長に挨拶をした。葬儀に足を運んでくれた全員に、同じように。この子供はこの歳で一人になってしまったのに、まるで不安を見せない。その意地らしさに胸を打たれたのだ。そしてめでたく世話係を押し付けられ、こうして仲良くやっているわけで。

「お前ね、」

「でも、俺もごめんなさい。言い方悪かった」

「……はあ。いいよもう。仲直り。飯何食いたい?」

「さっき買い物してきたから俺が作る」

楓の両親は楓が二歳の時事故で死んだ。小さい頃からの喘息持ちで、今でこそ体調は良いものの、幼い頃は激しい運動は出来なかったらしい。だから必然的に勉強ばかりで、今それについて困っていないのだからそこは結果オーライ。もう一つ、俺にとって大問題だったのが煙草がダメだということ。楓を引き取った親戚の一人がヘビースモーカーだったらしく、煙草が原因で死にかけたことが何十回もあったという。その上親戚の家を転々とし、それを見かねたじいさんが面倒を見ることにした、というわけ。楓はそれがトラウマになっていて今でも煙草が嫌いだ。だから、あの煙たい事務所に来なくて良いよう、俺に用事があるなら直接家に来いと合鍵を渡したのだ。楓のためにわざわざ引っ越した、今の部屋の。
わざわざ引っ越した理由は一つ、話に聞いた楓の親戚と同じくらい自分もヘビースモーカーだったからだ。部屋も到底楓が出入りできるようなクリーンな空気じゃないし、部屋にあるもの全部がヤニ臭い。だから家具も布団も何もかも買い換えて部屋を変えた。それは組長命令。というかほとんど支給されたようなものだった。それでもヤクザが飴舐めながら禁煙外来に通ってしまうくらいには、俺も楓を何とかしてやりたいと思っていたのだろう。じゃなきゃ、いくら組長の命令とは言え跡継ぎでもない子供のためにそこまでしてやれない。まあ、この件で出世のことを全く考えなかったわけではないのだけれど。

「あ、シャワー浴びてきて」

「はあ?何、人んち入るなり。かえ…」

「念の為歯磨きもして」

「ああ!?お前なあ、さっきの謝罪はなんだったんだよ。つーかここ俺の家だからな!偉そうにすんな!」

「さっきのはさっき、今は今」

「むかつく」

煙草は無理だ、俺が吸わなくても臭いがしたらもう怒る。有無を言わさず風呂と歯磨きを強要。楓にとって、俺はただの監視役。それでも、俺が楓の見た目に惑わされて「俺が傍に居てやる」なんて格好付けたことを言ったことは覆らない。楓も気丈に振る舞う裏では、寂しくて不安だったのだろう。でなきゃ、見ず知らずのヤクザが差し出した手を易々ととるわけがない。
週のうちに何度かここへ訪れる楓は、その度じいさんとの二人暮らしで身に付けた料理の腕前を披露してくれる。その料理にしっかり胃袋を掴まれてしまった俺は、煙草をやめて夜出ていく日が減り、健康的な食事をとるようになって「ああ、今日は楓が来る」などと考えるようになり、心も体も飼い慣らされている、というわけだ。

この憎たらしいくそがきがと思うのは毎日だけど、それでも素直に謝ることが出来る楓を可愛いと思う。顔が好み、というのを差し引いても。口で言えないときは別の方法で機嫌を取ろうとしてくれるところも。楓にとって俺がいることで少しでもプラスの考えになるなら、肉親を失った辛さを和らげることになるならそれでいい。それでいいのだけれど…

「おい楓」

「なに─ちょっ、痛っ、なに」

半年経った今、一番困っているのは楓との距離だ。禁煙は確かに苦痛だったけど、慣れてしまえば意外と大丈夫で、きちんと食事をしてその味を楽しむことが出来るのは良いことだと思えた。だから、今の一番の問題はこの高校生との距離だ。世話係だし寂しいなら傍に居てやると言った手前、ほったらかしには出来ないからとこうして会っているものの、この関係は曖昧だ。
一緒に過ごして一緒に寝ることもある。けれどそれは健全なものだし、そもそも楓はまだ全然立ち直っちゃいない。だからどこまで口を出して手を出して良いのか分からない。
夜中に目を覚ますと、腕の中で泣きながら寝ていることも多々ある。まあ、残念なことに起きている楓の泣き顔は見たことはないのだけれど。そんなことを考えながらスーツを脱ぎ、楓が差し出したタオルを受けとる。その手に目がとまり、思わず掴んでシャツの袖を捲り上げていた。

「ねぇ、晴一さん、腕!痛い」

「何だよこれ」

「っ、いた…」

「喧嘩したのか?」

「、」

「ちょっと待ってろ、消毒してやる」

「いい」

「楓」

「やだ!触んな!やっぱり帰る!!」

「楓!」

嫌がる楓の体を無理矢理捕まえ、ネクタイを取り去りシャツを剥ぐと、白い体には殴られたような痣が無数にあった。

「お前、何これ」

「嫌だ、見るな、勝ったから、だから大丈夫だから」

「そういう問題じゃねーだろ」

「そういう問題だろ、晴一さんには関係ない」

「お前、もう一回それ言ったら殴るぞ」

「だって関係ないだろ、晴一さんはただの…ただの…」

「何?何だよ、言えよ」

顔つきのわりに男らしいゴツゴツした手。指の付け根の関節の浮き出方が、喧嘩をする手だと思わせる。現に、今そこには血が滲んでいる。

「離せっ、」

「っ、てぇ!ほんっと足癖悪いな!!」

もうここに住んでしまえば良いのにと何度も思った。楓がじいさんと暮らした部屋を出れないというのなら楓の家でも良い。面倒だけど、俺の目が届かないところで何かある方が面倒で、こっちも困る。ただ、楓の家で、というのはセキュリティ的な問題でオーケーは出ないだろう。だから俺が楓の家に行くことは少なく、行くときはかなり気を付けて足を運ぶ。それに、周りが俺みたいなのと暮らしていると知ったら、嫌な思いをするのは楓だろう。

「晴一さんこそ、馬鹿力!腕折れる!離してってば」

「っ、だから、蹴んな!こっちこそ足折れるわ!!」

「ばっかじゃねーの、どうやったらそのふてー足折れんだよ!」

「ちょっと黙れ、大人しくしてろ」

俺も楓も家族や恋人というものはいない。俺はどこまで楓の面倒を見ればいいのか分からなくて、最近少し、近づきすぎている気がする。楓がうざがるのも納得できるくらいには。それでも、心配をしてしまうのはどうしようにもならないし、たぶんこれは、惚れた弱味みたいなものだ。いつか楓が俺を必要としなくなって、一人で何処かへ行ってしまったらきっと俺は酷い喪失感を抱くだろう。怒鳴り合って殴り合うような喧嘩をしても、楓はまだ俺の手を離さないでいてくれる。それに安心していて、つまりそれは俺自身が楓を必要としているんだって…

「晴一さん下手じゃん!自分でやるから離せ!」

「ああ!?」

「俺帰るから勝手にカップ麺でも食ってろ!」

「あーもう、楓、」

イライラした手つきでシャツのボタンをとめる楓を後ろから抱き止め、丁寧にするからと呟く。ガキって面倒くさいし鬱陶しい。けれど、たぶん、俺がこのくらいの歳の頃はもっと面倒でガキ臭かったと思う。それに比べれば今の楓なんて本当に可愛いものだ。優しくされれば素直になってくれるところとか、特に。頭を撫でて、だからもう蹴るなと言えば、楓は小さな声で「いきなり殴られたから」と呟いた。

「え?」

「いきなりバットで、背中。だからやり返しただけ」

高校生のガキがどんな喧嘩をしてるんだよと思いながら、抱き締めていた体を離して今度はやんわりと手を引いてソファーに座らせた。まじで丁寧にやれよと釘を指した楓は大人しくなり、手や腹、ついでにバットで殴られたという背中に湿布を貼り、もう一度頭を撫でた。

「…うざい」

「うるせーな、可愛がってんだよ」

「子供扱いすんな」

「子供だろ」

「晴一さんも子供じゃん」

「お前よりは大人。だから、楓は俺に甘えてればいいの。親父にも」

「ヤクザの組長にわがまま言っていいの?」

「……だから、とりあえず俺に言えばいいだろ」

近くなる距離に、楓は戸惑うのだろうか。晴一さんもヤクザじゃんと言って小さく笑った楓は、少なくとも嫌がりはしない気がする。くすんだ髪はけれど柔らかく、そのまま前髪を上げて後ろへ撫で付けゆっくり顔を寄せる。

「はるいちさ─」

形のいい細い眉毛には不釣り合いな、少し丸みを帯びた幼い額に唇を押し付けると、楓は数秒固まりすぐに俺を蹴り退けた。顔を真っ赤にして、ガキ扱いすんなともう一度怒鳴り、プリプリしながらそれでも晩飯を用意してくれた。
この関係は変わる。その確信はまさに、俺が楓に惚れているから、その期待を込めているのかもしれない。ゆっくり、ゆっくり、楓は離れていく準備をしている。けれど今度は俺がその手を離さないと言えるような、そんな関係に。

「楓、お前可愛いな」

「はあ?きっも。そのひげ面トイレの便器ぶちこむぞ。つーか、晴一さん顔臭い。もう近寄んないで」

ムカつくけど。ムカつくけど、楓と出会う前より今の方がずっと生きている、と思える。三十年と少し、ここまでろくな人生歩いてこなかった。それでも俺は生きていて、少なくともあと三年は生きなきゃならない理由ができた。

「楓くん、晴一さんナムル食べたい」

「今日親子丼なんだけど」

楓が成人するまで、あと二年と八ヶ月。それくらいはまだ甘やかしてやろう。喧嘩もしてやろう。禁煙も続けてやろう。ただ、楓の為、とは絶対に言わない。事実、楓の為じゃなく、俺が楓と居る為にしていることなんだから。


晴一さんは怒るだろうか、
俺の為だと言わないところが
俺は好きなんだと言ったら







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