過去企画 | ナノ


二十万記念SS
「先輩のはなし」
※先輩についての話元ネタ

***

その人は少し、抜けている。

「─代表、二年五組水城孝成さん、登壇してください」

無駄な肉も無駄な筋肉もついていない、それでも細身には見えない均等のとれた背中が、堂々と全校生徒の前にさらされた。その後ろ姿、襟足の短い髪が露にする首が、ひどく色っぽいと感じるのはおそらく自分だけなのだろう。今この場で、彼に向けられるのは羨望と尊敬。それだけなのだから。
成績優秀、バスケ部エースでキャプテン。文武両道とはまさに彼のことを言う言葉で、さらに言えば誰からも好意を持たれる爽やかな雰囲気と、そして人好きのする外見。

ただ、孝成さんはその完璧さを全く生かしきれていない、残念な人。



「お疲れっしたー」

「お疲れー。気をつけて帰れよー」

「うっわ、外さむ!」

「水城先輩お先失礼します」

「お疲れ」

パタパタと、疎らに消えていく足音を聞きながら俺は隣のロッカーへ視線を移した。

「孝成さん、右だけ靴下履き替えてないですよ」

放課後の部活を終えて、もう明日の朝まで誰も訪れない部室。残されたのは俺と、孝成さん。これはもう、いつものことで。

「忘れてた」

「あとカーディガン。ボタンかけちがえてますよ」

「あれ」

身長173センチの決して大柄ではない、むしろ強豪と呼ばれるうちのバスケ部にしては小柄な孝成さんは、けれど広い視野と的確なパスの判断、その他もろもろ、バスケのセンスに秀でていた。その才能に、小学校に入る前からすでにバスケを教え込まれていた俺でさえ、目をみはった。
もちろん、中学の頃から“水城孝成”という名前も存在も認識してはいた。それほどの天才児、だったからだ。そして自分とはポジションもプレイスタイルも違う孝成さんに、俺は憧れ続けていた。でもただひとつ、決定的な情報不足がある。文武両道、好青年。誰もがそう評価するそれは間違いではないのだけれど。孝成さんは根本的に、何かが足りない。

「ほら、かけ直しますから、動かないでください」

「動いてない」

決して、注意力が足りないわけでも、気が抜けているわけでも、勉強云々以外で頭が悪いわけでもない。身体能力的にも、運動神経的にも、どこにも欠陥はない。テストで100点を取る、内申点がオール5。それなのに、ボタンをかけ違えるのも、左右違う靴下を履いてくるのも日常茶飯事。クラスメイトにいたずらされたらしい、女の子の髪留めをつけて部活に来ることもある。気づいていないのも、とり忘れるのも、どちらにしても理解できない。

「そういえば今日、なんの表彰されたんですか」

「ああ、スピーチコンテストの」

「ふーん。はい、出来た」

「ついでにネクタイも」

まさかこんな人だとは思ってもなかった。いや、これで頭が悪いならまだ分かる。そうじゃないから厄介で困るのだ。完璧なのに隙がある、それが欠点で、そして周りから好かれる点だ。

「よくそんなでかい手で締れるな」

でも、誰も知らない。
そんな先輩の、もうひとつの顔を。このほとんど崩れることのない表情の薄い顔の下に隠れた、孝成さんを。

「関係ないでしょ。はい、完成」

みんなが帰ったあとの、誰もいない部室で、

「葉月」

孝成さんが俺にキスをすることを。

部室独特の臭いと、バスケットボールの革のにおいと、そして孝成さんの匂いが混ざり合って、鼻に広がるその瞬間。俺は背伸びをする孝成さんの背中に手を当てて、けれど決して抱き締めないように支える。

「はづき、」

このキスは、孝成さんのものだからだ。
孝成さんから唇を重ね、離し、啄む。

子供の戯れとも、情熱的な絡まりとも違う。思春期の迷いだとも、思えない。正直に言わなくても孝成さんはモテる。女の子には困らないであろう彼が、自分より大柄のしかも同じ部の後輩の男に、血迷うだろうか。そんなはずはない。ならばどうして?まさかゲイ?そんな疑問も、早い段階で捨てた。

最初は、夏が終わった時だった。
推薦でこの学校に来て、一年生でただ一人レギュラーに入れて、浮かれていたんだと思う。全国制覇を逃し敗北したその日、更衣室で偶然孝成さんと二人きりになって。

「葉月」

孝成さんがあんまりにも切ない声で俺を呼ぶから、“敗北”を味わった彼が落ち込んで元気付けてほしいのかと、そう思った。もともと孝成さんに憧れていた俺は、端から「部長の舎弟」と笑われるくらいにはべったりだった。それでも、そんな顔を見たのは、声を聞いたのは、初めてだったから…
目があって、「はづき」と囁かれ、どうしたのと問うて返ってきたのがこのキスで。とてもゆっくりな動作だったのに拒絶しなかったのは、能が逃げろという命令をしなかったからだ。
あの、気が狂いそうに暑い日から三ヶ月、続いている。疑問を捨てたのは、孝成さんが俺に求めるものがあり、それに俺が答えることができるならそれでいいと、そう思えたとき。

「葉月、また背が伸びたんじゃないか」

「…さあ、分かんないっす」

俺はたぶん、孝成さんがほしい。そんな孝成さんがこの至近距離で俺を見上げる征服感が、たまらない。でも、これは孝成さんのキス。一度だけ、キスを堪能した彼を思わず抱き寄せたら、心底驚いたように目を見開いて「なに?」と言われてしまい、ああそうなのか、と察した。

「伸びた。あと、体重も増えた」

「体重は…ちょっと。食欲やばくて。でも、そんな見た目じゃ分かんないと思いますけど」

「俺にはわかるって。体重、増えてもいいけど重く感じる前に何とかしないとダメ」

「はい、部長」

「やめろって」

ゆるく笑う孝成さんは、もうみんなが知っている孝成さんに戻っていた。いつもそう。孝成さんはあっさりと、俺がまだキスの余韻に浸っていようと、葛藤していようと、こうなのだ。

「孝成さん」

「ん?」

「…マフラー、しっかり巻いてください。外、寒いですよ」

「はいはい」

「孝成さん風邪ひきやすいんですから」

「おせっかい」

「ホットレモン、買ってから帰りますか?」

「買う」

「孝成さん、早くしないと電気消しますよ」

「葉月、俺部長」

「知ってます」

知ってる。誰より知っているさ。

「あ、葉月。ちょっと」

「なんですか」

「マフラー」

この人は。
ひとつ大袈裟にため息を落とすと軽く頬をつねられた。こんなに可愛いことが出来る孝成さんは、けれどやっぱり俺の憧れで。こうして世話をやくことが、俺にとってはもうなくてはならないことで。それがやばいってことを、自覚するだけの脳はあった。それでも、回避することはできない。

「おせっかい、させてもらいますね」

「うん、お願い」

こういうところだ。いけないのは。
不意に甘えるこの言い方が、中毒性を孕んでいて。そして次の瞬間には、キスされる。もうそれが分かってしまっている俺は、どうにかして孝成さんが俺にキスをするタイミングを、作ろうとしてしまう。

「はづき」

「孝成さ─」

「、ん」

「たか、なりさん」

「ぁ、はづ…」

俺はずるい。でも孝成さんは、もっとずるい。
もっともっとと、自分勝手にキスするくせに、俺がせがむことは許されない。許されない、わけではないのかもしれないけれど、俺は今の立場を失うかもしれないというリスクを冒すことはできない。これでいい。

「葉月」

エースでキャプテンで、学年首席で、外見がいい。そんな完璧な水城孝成の、抜けすぎた性格を俺が埋める。それを人が舎弟だと笑っても、だ。だって誰も知らない。俺以外誰も知らないのだ。
孝成さんがこんなことをする人だってことを。来年の夏、全国制覇を成すかもしれないこの人が。俺にだけ見せる、もうひとつの顔。


「孝成さん」


誰もいない二人きりの部室で、俺は今日も孝成さんと、キスを繰り返す。
(たとえそこにこの先の不安が潜んでいても)





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