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目を覚ましたら 1 2 3 4


久しぶりに二人で狭い湯船に浸かった。
洗い流すというよりは、冷えた体を暖める為に。大人の男二人が寛いで足を伸ばせる広さのないそこで、半分ほどしか張らなかったお湯はけれど二人分の体積で溢れるほど水位が上がった。
結露した天井から冷たい水滴が肩に落ち、それを拭うみたいに虎の腕が僕を後ろから抱き締めた。熱いくらいのお湯に、体がむずむずと痒くなる。自分が相当冷えていたのだと知り、お風呂の準備をしてくれた虎にひどく気を遣わせてしまったなと思った。

「とら、」

「……ん?」

目が覚めたとき、ひどい頭痛のせいかまぶたが重くてしばらく何も見えなかった。やっと見えたのは白い天井で、ぼんやりと歪んだ視界で虎を捉えたのはその数秒後だった。
僕に触れた虎を知っているはずなのに、どうしてかとても違和感を覚え、自分の体に施された大袈裟な処置に驚いた。階段から落ち、頭をぶつけ意識がなくなっていたと聞かされ、自分の記憶が混濁していることを理解するのに時間はかからなかった。

「…暖かい」

それでも、今の虎や親にちゃんと見覚えはあるし、今は大学生だと言われれば大学のことも思い出せた。ただ、どうしても一つ、高校時代の虎がぼやけていて上手く思い出せない。今も仲良くしてくれているのなら、きっとその滲んだ記憶の中でも隣に居たのだろう。そんな曖昧な憶測しかできないことがもどかしくて、とても苦しかった。

「そう」と、小さく返してくれた虎の唇が肩に触れる。目が覚めて、意識がはっきりした瞬間、僕は“ああ、この人の事が好きだ”とすぐに思った。そう、虎の事が好き。今でも好き、覚えていない間も、きっと好きだった。一緒に住むほど今でも仲が良いのなら、きっと僕はこのやましい気持ちを自分の中に押し込んで“幼馴染みの親友”を何年も演じていたということだろう。

現に、虎には付き合っている人がいたし…それが自分とは思いもしなかった…僕の部屋には恐らく僕が持ってきたのであろう虎の腕時計があった。なんとなく、虎の事を思い出せないのは、僕が虎に何かしたからだ、と思った。虎にも「忘れたいこと」があったんじゃないかと言われ、本当に目の前が真っ暗になった。だって自分でも怖いくらい僕は虎の事が好きで、それは一体この気持ちをどうやって抑えていたのかと疑問に思うほどだったから。

「っ、虎、くすぐったい」

「あんまり動くなって」

顎を掴まれ顔を後ろの方へ向けると頬にキスが落とされた。ぼんやりしていた記憶が、この唇一つでクリアなものになった。靄が晴れるような感覚というよりは、思い出せなかったことが一気に頭の中を駆け巡っていくような、そんな感覚。

一つ、思ったのは。
客観的に虎の告白に対しての僕の返事を見たとき、説得力がない、だった。まるで親に勉強しなさいと言われて「今からするところだった」と言い訳をする子供のような…本当にそのつもりだったとしても、まるで説得力がない、そんな感じだった。虎にしてみればそういう感覚より、僕の性格に対しての憤りだったのかもしれないけれど、どちらにしても自分自身の行動や努力でどうにかしようとしなかった自分がいけなかった。

「虎、もうあがりたいでしょ」

「…別に」

そう言いながら、充分に温かくなった虎の手は僕から離れて立ち上がろうと湯船の縁に乗せられた。僕もつられて腰を浮かせると「いいよ、まだ浸かってろ」とお湯に押し戻されてしまった。虎は先に浴室を出ると素早く着替えを済ませて洗面所も出ていってしまった。
まだところどころにアザの残る体を爪先から視線でなぞり、他人事みたいに「痛そうだな」と思った。もう痛くはないそれは、けれど自分で触るのも躊躇われるほど痛々しい。それから目を逸らし、充分に温まった体をお湯から引き上げた。
服を着てリビングに行くと、昼間の明るさに目が眩んだ。そうだ、まだ昼間だ。なんとなく、このまま虎とセックスをするのだ、と思っていた自分が恥ずかしくなる。

「買い物行ってないから、何もないけど」

「ありがとう…」

キッチンからはちょうどよく焼けたトーストとコーヒーが出てきた。懐かしい、と感じたのは溶けきらないほど砂糖を入れた虎のコーヒーの匂いにだろうか。ふわりと漂う柔らかい空気に、とても幸せだと思った。焼いてバターを溶かしただけの食パンは今まで食べたトーストの中で一番美味しかった。

二つ並んだ靴も歯ブラシも食器も、昨日まで他人の家だと思っていた全てが、返ってきた。僕と虎の空間。こんなにも胸が痛いことをどう伝えたらいいのか。触れたい。触りたくてたまらない。食器を洗う背中に、隣に座る肩に、触りたくて、確かめたくて、気が狂いそうになる。食事を済ませて歯を磨いて、予定のない休日を穏やかに過ごす日のようにゆっくりゆっくり流れる時間が、とても幸せなのに、同じくらいもどかしい。
虎は寝ずに夜を明かした僕を心配して、何度もベッドにいくよう声をかけてくれた。二人掛けのソファーで肩を並べ、うとうとする僕はすぐ隣にあった虎の手に触れた。
静かに、ゆっくり。探るみたいに掌を重ね、指を絡ませる。虎はそれを見つめながら「部屋行く?」と問う。僕は視線を落としたまま頷いて、促されるまま立ち上がった。

「どっち?」

「…僕の、部屋」

「ん」

少しひやりとした自分の部屋は怖いほど静かで、ここ数日間の寂しさとか不安が詰め込まれているように感じられた。虎は今日バイトなんだろうかとか、気を遣う余裕もないくらい僕は緊張していて、繋いだ手にじんわりと汗をかいた。
どうしてこんなにドキドキしているのか、と思うくらいドキドキとうるさい胸をもう片方の手で押さえる。

「蓮?」

「……」

「どうした?どっか痛いのか」

「、ううん、ちが…」

虎の両手が僕の肩を捕まえた。外からの光が入ってきていない部屋は薄暗く、心配そうに一瞬揺れた虎の瞳を見逃しそうになる。じっと見つめ合うだけで、体の奥がずくずくと疼く。
僕は汗ばんだ手で虎の頬を触り、そっとキスをした。虎にとっては予想外のことだったのか、切れ長の目が驚いたように見開かれる。これはもしかして、やっぱり僕だけがいやらしいことを考えていたのかもしれないなと、また恥ずかしくなる。けれどもう遅くて、重ねた唇を離せないでいるとベッドまでの二メートルほどを抱っこされて移動することになってしまった。

「虎、」

「寝てないんだろ」

「……」

「寝るまでここに居るから」

「……キスは?」

「だけで済まないから今はダメ」

触れたいと思うのは、僕だけなのか…キスだけで済ませようなんて、少しも思っていないのに。

「…したく、ない?今の僕とは」

「はあ?」

ベッドに下ろされた僕を、虎が不審そうに見下ろす。そしてすぐに「なんでそうなるんだ」と、怒ったような、呆れたような声で言ってから隣に座った。なんで、と、もう一度、今度は小さく独り言みたいに呟いて僕の頭を触った。耳から、後頭部、するりと撫でたその手にまた、体の奥がくすぐったくなる。

「階段から転がり落ちて、頭ぶつけて記憶すっ飛んで、今やっと思い出したばっかりの蓮に、無理させたくないだろ」

「もう、どこも痛くない。けど…胸が痛い」

「胸?」

「虎に触りたくて、触って欲しくて、ドキドキしすぎて、痛いんだよ」

単純に言えば、これは欲求不満なだけなのかもしれない。それでも“触れたい”という気持ちは確かなもので、ちゃんと虎が隣にいることを感じたいのだ。
滲みそうになる視界を瞼で閉じると後頭部にあった虎の手に引き寄せられ、顔が近づいた。視線をあげるとぞっとするほど整った顔が、真剣な目をして僕を見ていた。

「とら─」







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