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「ほんっとによく食うな、お前」

「うーま!天津飯めっちゃうまいよ!」

三ヶ月ほど前、道端で顔面真っ白の窶れた子供を見つけた。声を掛けたら腹が減っていると情けない声で言うので、すぐ近くのラーメン屋で飯を食わせてやった。
虐待を受ける高校生かもしれないと思わず手を出したけれど、まあすっかり騙された。アルバイトとはいえ働いているし、二十歳だし、めちゃくちゃ食うし挙げ句には「おじさん」呼ばわり。

その日は大物政治の裏金問題でどこから流出しただの、パソコンは全部ハッキングされてウイルスまで入れられて使い物にならないわだの、そういうことはさっぽりの俺には最悪な日だった。そういう事件が多いのは水面下の話で、世間にはほぼ晒されていない。

機密事項が流出したとか、会社が倒産したとか、結果しか世の中には流れないのだ。

「はいはい良かったなー」

ノアとはあの日から度々道で遭遇するようになり、その度にたかられて飯を食わせている。いつもぶかぶかのパーカーか、よれよれのミリタリージャケットに黒のパンツ。靴は細身の体に不釣り合いなゴツめのスニーカー。
パソコン教室の先生には到底見えないが、きっと職を転々としているタイプで、今がたまたまその職場なのだろうと、俺は勝手に思っていた。ガリガリのくせによく食うし言葉遣いは子供。とんでもないヒモをぶら下げてしまった気分で、けれど、なんでも美味い美味いと笑って飯を食う姿は、仕事で疲れた俺には癒しでもあった。

ああ、世の中の汚れを知らないんだろうなと。ご馳走さまを言うときだけは“お兄さん”か、二度目に会った時に教えた檜山という名前からかってにつけた“ひーやん”というあだ名を使う。そんなずるさを持ち合わせたノアは、煙のような、何処か掴み所の無い不思議な人間だった。

「じゃあ、またね」

「お前番号教えたからってむやみやたらに電話してくんなよ」

「考えとく!バイト行ってきまーす」

「おー、ちゃんと働けよー」

華奢な手を上げて、ノアは軽い足取りで去っていった。いつものことだ。俺はさっきから震えっぱなしだった携帯を耳にあて、聞こえてきたガサガサの声にため息を漏らす。

「お前はまたどこほっつき歩いてんだ!一人で行動するなって何回言えば」

「ごめんなさーい。煙草が切れちゃって」

「その言い訳も聞き飽きたっつーの!例の件、進展あったからすぐ戻れ」

「舟っすか?」

「ああそうだ」

舟、とはここ最近のハッキング事件のホシのことだ。「Ark」方舟のこと、ハッキングしたあとご丁寧にポップな舟の画像を張り付けていく。それだけ。警察は手も足もでない。その天才ハッカーがどんな顔をしているのか、見てみたいものだ。

「あと、昨日の政治家殺しにその舟が関わってるって話が上がってる」

「殺し?舟は関係ないでしょ?」

「あったんだよ」

「何がです?」

「血で書かれた舟の絵が」

「ええ?」

血で染まっていたという現場の写真に写る、馬鹿げたその舟の絵をみながら、俺は何故かノアのことを考えていた。あのラーメン屋と、この写真の中が同じ世界にあるとは思えなくて。

犯人が捕まるまで、まだしばらく。
ノアの方舟という話を知るのは、まだ少し先だ。


少年と刑事
ノアの方舟事件





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