薬指
四十万打企画
リクエスト:虎蓮、甘々、幸せ、ほのぼの
***
地元の友人が結婚した。
「古屋くん幸せそうだったね」
「…そうだな」
「奥さんも綺麗だった」
飾り付けも音楽も素敵でご飯も美味しかった、と今日一日の感想を述べる蓮は、タクシーを降りて引き出物を片手に持ち、空いている方の手で俺の手を握った。
「準備してるとき喧嘩ばっかりで嫌になるって言ってたけど、あんなに綺麗な奥さん見れて、たくさん祝福されて、ほんとに幸せそうだったね。一番泣いてたもんね、古屋くん」
蓮も負けず劣らず泣いていた。
新婦の友人からのビデオレターも、両親への手紙も、まるで身内みたいに泣いていた。こういう時に飲むお酒は特別美味しいとか、写真をたくさん撮ったとか。部屋に着くまで終始笑って話す蓮を横目に俺は少し複雑な気持ちを抱えていた。
蓮は、俺が気持ちを伝えなかったら自分から告白していたと言ってくれるけれど、もし仮にお互いが気持ちを押し殺していたら…蓮はきっと、俺を選びはしなかっただろう。普通に女の子と付き合って結婚して、今日みたいな式を挙げていたはずだ。白いタキシードの蓮と、隣にはウエディングドレスの新婦。簡単に想像できてしまった幸せそうな笑顔に、数分前までの高揚感が消えた。
「ただいまー。ん、虎も靴こっちにしまって」
当たり前のように同じ部屋へ帰ってくるけれど、過ごしているけれど、自分達には今日の二人みたいな祝福はないのだ。そんな覚悟はずっと昔にしていて、それでも、“良いなあ”と心から思った蓮の心はどうにもしてやれない。してやれないけれど、俺の気持ちを言葉にすることは出来る気がして、お風呂の電源を入れた蓮の手をとる。
「ん?先にシャワー浴びていいよ?」
「蓮」
「どうしたの?」
「……する?」
「へっ?あ……待って、えっと、お風呂」
セックスじゃない。
けれど少し慌てた蓮が可愛くて、ほろ酔いの頬がじわりと赤くなったのが分かる。もちろんセックスもしたいし、今からシャワーを浴びてそれからしようというなら喜んで待つ。
少し笑ってしまった俺に、蓮は首を傾げて、それからそういう誘いでなかったと察したのか俯いてしまった。
「する。それももちろんしたいけど、それだけじゃなくて」
「……なに?」
「結婚」
自分でも驚くほどさらりと声になった。
今日一日空けていた部屋は静かで、ほんのり冷たい空気が漂っている。昼間の天気の良さを感じさせる太陽の匂いが僅かに鼻を掠めるそんな部屋で、自分の声だけが響いた。
「え…」
「結婚。したくない?」
「っ、する…」
言葉だけの戯れだと言われてしまえばそれまでで、けれど、蓮は今日の話をする時よりずっと幸せに満ちた顔で泣いた。
泣いて、口元を綻ばせて、本当に大袈裟じゃなく、花が咲くみたいに笑った。俺たちの間でもその契約が有効なら、きっとずっと前に言葉にしていたのかもしれない。なんて、そんな格好悪いことは考えたくなくて、「良かった」とため息をつくみたいに声を溢した。掴んだ右手の薬指にはまる指輪は蓮が選んだペアのものだ。もう、三年ほど前になる。
「どうしよう、嬉しい」
「…そう」
「涙止まらない…かも。胸も痛い。えっ、なにこれ、ドッキリ?」
「なんでそうなんの。真面目に言ってんだけど」
「ごめん、ほんとに…」
「……ほんとに、出来たら良いのにな。普通に、蓮の望む形で」
「……ううん、虎がそう言ってくれるだけで嬉し い。同じ気持ちなんだって…」
そろそろ新調しようと思ったわけではないけれど、良いなと思ったものを見つけてしまい、蓮には内緒で指輪を買ったのが少し前の事。口にしたらまた先を越されそうで。でもこのリングを外すことも出来なくて、結局渡せていないそれ。蓮は喜ぶだろうか。
そんな事を考えながら手を引いて自分の寝室に導き、ベッドに座らせる。セックスの為の疚しいものを押し込んだベッド下の引き出しを開き、隠すようにしまっていた箱を取り出すと、蓮は暗い部屋で驚いたように目を丸くした。
「えっ…」
「左手」
隣に腰かけるとベッドは苦しそうに軋んだ。もう一度蓮の手に触れると、しなやかな手は僅かに固く強張っていた。いつ見ても綺麗な蓮の手を撫で、指を伸ばし、箱の中から取り出したリングをその薬指に通そうとすると、それはぴくりと震えて困ったように小さく抵抗した。
「待って、」
「ん?」
「ずるい」
「なにが」
「指輪も、プロポーズも」
「良いだろ別に。右手の指輪は蓮が用意したんだし。これくらいしても」
「でもこれは…」
「俺が蓮に渡したくて買って、蓮とこの先も一緒に居たいから言ったことだろ」
嬉しいと言ったくせに納得いかないみたいな目で俺を見る蓮が可愛くて、微笑むと、もう一度ずるいと言われてしまった。
「いらない?」
「いります」
「じゃあ─」
「待って、本当に」
「本当に本当だって。ほら、指。伸ばして」
「はい…」
この先何年何十年隣にいると誓うし、年老いていろんなことを忘れたり失ったりしても蓮のことは離さないと約束する。死ぬまで蓮を好きで、きっと、この体が無くなっても好きでいる。左の薬指にはまった指輪に、そんな、言葉にしてしまうと軽く思える誓いを、それでも真剣にたてた。婚姻届に判子を押すのもいいかもしれない。役所に出せなくても、二人の間にそれがあるというのはとても意味がある。あって欲しい。
「虎も」
「ん?」
「手貸して」
もう一つのリングを蓮は俺の手に当て「ドキドキする」と言いながら、とても丁寧にはめた。それから俺の手を顔の前に翳し、緩んだ表情でそこにそっとキスをした。
「幸せ」
「…そう」
細められた目からはポロポロと上手に涙が溢れ、言葉ひとつでこんなにも蓮を幸せにすることが出来るのかと、こっちまで泣きそうになる。言いたくて、怖くて、形にはならないことがもどかしくて、やっと言葉になったそれが二人の間でだけ確かなものになっていく。
「大事にする」
「ん、そうして」
もしあと一日でも俺が言うのを躊躇っていたら、また先を越されていたなと、愛しそうに自分の左手を見つめる蓮に思った。したいねと、微睡んだ目で俺を見て笑ったのだろう。その瞬間にも出会いたかったと少し思うけれど。
誕生日でも特別な日でもない、普通の土曜日。友人の結婚式の日。深夜0時半。レストランとかホテルとか、記念日とか、なにかサプライズを含んで、驚かせて喜ばせてやりたいはずのそれは、あまりにあっさり蓮に飲み込まれてしまった。
好きだ、蓮が。どんなに言葉で言っても足りないくらい。愛しくてたまらないなんて、自分にもそんな感情があるのだ。一日スーツに包まれていた体に籠る熱や匂いごと抱き締めて、「傍に居て」と小さな声で呟いた。
「うん。虎の事大事にする」
蓮はそう言って、世界で一番綺麗に笑った。
くすりゆびの約束
( ずっと傍にいると誓うよ )