夜明けの前に

百万打企画
リクエスト : NO SMOKING、イチャイチャ

***

晴一さんの、分厚い胸は別に嫌いじゃない。広い背中も。硬くて太い腕も。
太っているわけではない、それでもガタイがいいと言う言葉では全然足りない。ゴリラと揶揄するけれど、本物のゴリラと戦っても勝てるんじゃないだろうかと本気で思うくらいにはでかい。その晴一さんの体が、俺の上に覆いかぶさってきたとなれば。それは完全に俺の絶命の危機と言うわけで。


NO SMOKING

( 夜明けの前に )


「お、も…」

ガーガーゴーゴー豪快にいびきをかきながら眠る晴一さんが寝返りを打ち、隣で気持ちよく眠っていた俺の意識を覚醒させた。腕が胸に乗っかるだけでも目が覚めると言うのに、寝返った晴一さんの体はそのまま俺を踏み潰してもぞもぞと体勢を整えた後落ち着いてしまった。窒息する、と本気で命の危機を感じて体を捩らせるものの、完全に寝落ちている晴一さんの体は微動だにしない。
重い、苦しい、暑苦しい。
寝苦しい夏の夜、晴一さんがかけたクーラーのタイマーがちょうど切れ、暗闇の中で点っていた運転中のランプが消えた。普段ならなんてことはない。けれど、こんなに重くて熱い肉体を体に乗せて数時間過ごすのは無理だ。絶対に。死ぬ。

「は、る…いちさ、おい、」

「んん」

「おいってば、起きて、ねえ!」

「んー…」

「重い!おい!」

ジタバタと、辛うじて自由な足で自分に乗っかる巨体を蹴り上げるけれどびくともしない。なんと言うことだ、俺は死ぬのか、こんな状況で…クリアに覚めていた意識が息苦しさに滲む。このまま目を閉じれば走馬灯が見えるのかもしれないと自嘲気味に口元を緩めると、晴一さんのいびきが一瞬止まった。

「っ!晴一さん!!」

「……」

「おい、晴一!」

「ゴゴ…」

「無呼吸かよ!!お願いだから退いて、って…」

渾身の力を込めて岩のような体を押しながら、これでもかと言うほど声を張ると、やっと少し眠りが浅くなったのか晴一さんのいびきがもう一度止まった。今度は無呼吸ではないと信じたい。

「晴一さん、」

「……、るせ…」

「起きた!?重い、ちょっと、どいて」

「うるせーって」

「うる、うわっ、ちょ…」

暗さに慣れた目は、薄目を開けた不機嫌な晴一さんの顔を捉える。このチャンスを逃すわけにはいかないと、俺は再びおろされそうになる晴一さんの瞼を指で押し上げた。

「はるいち」

「……」

「起きろ馬鹿いち!重い死ぬ」

「…あ?」

僅かだけど体を動かしてくれたおかけで一気に酸素が体に流れ込む。そして不恰好に晴一さんの顔面を掴んでいた俺の手はあっさり剥がされ、そのまま顔の横、シーツの上に戻されて自由を失った。

「晴一さん?」

「…生きてんじゃねぇか」

「死ぬ一歩手前だった」

鼻先が擦れる。
もう少し、ほんの数センチ、どちらかが動いたら唇同士が触れてしまいそうなほど近くに顔がある。室内はまだ冷気が漂っているけれど、布団の中にはじわじわと熱が篭り始めている。

「は、る…」

「冗談でも死ぬとか言ってんじゃねぇよクソが」

「はあ?冗談じゃない、本気で…」

「そう簡単に死なれちゃ困る」

掠れ切った声の凄みに、思わず口を噤んでしまう。
同時に、ペタリと睡魔に負けたように落ちてきた晴一さんの頭。額と額が重なり、本格的にキスをするようなポジショニングになる。俺の手を掴む手が、やんわりとその指を手首から指先へ伸ばす。あ、っと思った次の瞬間に恋人繋ぎみたいに指と指が絡んだ。
晴一さんの、今にも寝落ちそうなスローな瞬きを自分のまつ毛で感じ取りながら。俺はそっと、バレないように少しだけ顎を上げた。上手に、お互いの唇が触れ合ってすぐに離れる。半分寝ている晴一さんには気づかれない程度のキスだった。
曖昧で宙ぶらりんな晴一さんとの関係の中、こうして誤魔化すような、誤魔化されるような、隠し合うような触れ合いの機会はこっそりと、けれど幾度となく訪れる。

「かえで」

「、え、あ…」

呼吸のついでに一瞬触れただけ。ちゃんと物分かりよく離れたはずの唇は、今度は晴一さんの唇に攫われてぴたりと重なった。寝ぼけてるな、この筋肉ゴリラ、と悪態をつく隙間さえ与えないような、しっかりとしたキスだ。

「ん…、は、る…」

数えきれないほど俺を救ってくれたこの人の体に殺されるなら本望かもしれない。他の誰かに傷つけられて死ぬくらいなら、そのほうがよっぽど。そんな浅はかで愚かな考えが一瞬頭をよぎる。

「はるいちさん、」

「……」

カサついた硬い唇だ。
夏でも冬でも。柔らかさや潤いは感じない。しっとりと吸い付くような心地よさは微塵もない。それでも、俺は泣きたくなるほどその唇が好きで、もう一度、と強請るように再び顎を上げた。
それに答えるように唇が重なり絡めた指に力が入る。シーツの上を滑った手の衣擦れの音が妙に生々しく無音の寝室に響く。戯言のように晴一さんの名前を呼ぶ俺の情けない声はどれくらい届いているのだろうか。
目が覚めたら忘れてしまうのだろうか。そもそも今この瞬間も意識はないのだろうか。それともちゃんとわかっているのに、覚えているのに、都合よく知らないふりをするのだろうか。

どちらでもいい。

「ふ、ん…」

俺が覚えているなら。
晴一さんの唇の感触、温度、指先、吐息の形、その一つ一つを。恋人みたいな、微睡の中でのキスを。

意識は半分あった。
子供相手に馬鹿げてると思いながら、それでも。


強請られたキスを忘れることが出来ないまま、再び眠りにつく。






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