箱庭


百万打企画
リクエスト : 義理兄×義理弟(総受)
葵(あおい)
麻人(あさと)
聡(さとし)

***

親が離婚して、俺を引き取った父親が癌で死んだ。

箱庭 
(Final reason)


もう十年も前の話だ。
俺はそれから父方の実家に引き取られ、そこで父の兄夫婦とその子供と一緒に暮らすことになった。

『ピピ、ピピ…』

毎朝四時、狂いなくアラームの鳴る数秒前に目を覚まし、その音で覚醒する。小さなアラームを指先で消し、時間と通知をチェックして布団を出る。ミャ、と短く鳴いて足元に擦り寄ってきた黒猫を抱き上げ部屋を出ると、絶対にまだ起き出していないと思っていた人物に声を掛けられ肩が跳ねた。

「こんなに早く起きてどうしたんだよ」

「お、おはよう…生徒会の仕事があるから…」

ぎゅっと、猫を抱きしめ今になって帰ってきたであろう血の繋がらない兄の横を通り過ぎる。

「葵」

「っ、うん?」

「まだ早いだろ、ちょっと来い」

「え、あ…」

麻人は俺の腕を引き、落ちそうになった猫を片手で捕まえゆっくりと床に降ろした。僅かに垂れた目尻の、優しい目元なのに俺を見る時はどことなく鋭い。この家に引き取られたのは小学校に上がる前、その頃からずっとだ。麻人は俺を自室に引きずり込むと早々に服を脱いでパンツ一枚になる。そのままベッドに押し込まれ、しっかりホールドされてしまった。

「あさ…」

「うるさい」

麻人は同じ高校の一つ上の学年に在学しているものの出席率はあまりよくない。

遊び歩いては深夜を過ぎて帰ってくる。それから一眠りして昼近くにしか登校してこないのだ。学年も違うし学校では兄弟であることはわざわざ伏せなくてもほとんど知られていない。ハンガーに掛けられ壁にぶら下がる無駄に綺麗な学ランを横目に、身動きが取れないこの感覚は蟻地獄にでも落ちてしまったような感じだとぼんやり思った。

麻人は俺の知らない甘い香水や苦い煙草の匂いに包まれていて、こうして密着するとひどく胸がざわつく。こうしてベッドに連れ込まれるようになったのは俺が高校に入ってしばらくしてからだった。もう一年ほどだろうか。俺にはあたりが強いと言っても喧嘩をしたことはないし、小学生の時はそれなりに仲良く振る舞えていた気がする。それが中高と成長するにつれ変わってしまったのだ。

「ごめん、俺、行かないと」

「まだ早いだろ」

「……」

「諦めろよ、俺と鉢合わせないように早く出たかっただけだろ」

閉じていた目をうっすらを開け、麻人は冷たい目で俺を見た。染めて傷んだ髪がその目をさらりと隠す瞬間俺は目を逸らし、彼の喉仏に視線を向けた。形よく突起したそれが「図星かよ」と音を紡いで揺れた。びくりと肩を揺らせばそういうおどおどした態度まじでうぜーからと、掠れた声にとどめを刺されてしまった。違うと反論する気も起きなかったけれど、そもそも図星なのだから言い返しようがない。毎朝無駄に早く起きて朝食とお弁当を用意し、誰よりも早く家を出るのは麻人と顔を合わせたくないからだ。
麻人が俺と距離をとるのは、俺を見る目が冷たいのは全て俺のことが嫌いだからと悟ってから、居心地が悪くなってしまった。それなのに…俺に避けられるのも煩わしいと思ったのか、こうしてちょっかいをかけられるようになってしまったのだ。

既に目を伏せ、半分眠りに落ちた様子の麻人は抜けだそうとする俺を胸に抱き込み、肩口に鼻先を押し付けた。柔らかい唇がやわやわと首筋を撫で、やばい、と思った時にはもう遅く。

「った、い」

「俺が寝るまで行くな」

「あさ、と」

「兄貴のとこ」

「、」

触れた歯の固さを、俺はもう何度も触れて知っている。痛々しい鬱血痕を残されることも。ざらついた感触も。
兄貴、と呟いて噛みついたまま麻人はあっさりと眠りに落ちた。緩んだ拘束からそろりと抜けだし部屋を出ると、麻人の鼻から大きな寝息が漏れた。起こしたかもしれないと一瞬心臓が跳ねたものの、扉を閉めて静かに階段をおりても呼び戻されることはなかった。俺はそのままいつも通りの朝を速やかに過ごし、慌ただしく家を出た。

時間はやっと五時半を少し回ったところ。透明な冷たい空気を吸い込み、まだ静かな住宅街を履き慣れたスニーカーで進む。駅までは歩いて十五分ほど。その駅を通りすぎ、反対側へ出て少し行くといくつかの飲食店が並ぶ通りがある。まだ早朝の、人も疎らな道。
目当ての店の前で足を止め、茶色の木の大きなドアにぶら下がった“準備中”の札を数秒見つめてからドアノブに手を掛けると、それは俺が引くより先に軽やかに開いた。

「おはよう」

「お、はよう…」

「今日も早いな。寒かったでしょ、温かい紅茶いれるから入りな」

お邪魔します、と出迎えてくれた顔から足元に視線を落として店内に入る。既に紅茶の良い匂いが充満した暖かな店内には、俺の為に用意されたティーポットとカップがカウンター席に並んでいた。

「葵、座ったら」

「うん…」

「なんかあった?」

「へ、あ、ううん、何も…」

「そ、ならいいけど」

「ごめん聡さん、毎日毎日」

「良いよ、俺は全然。仕込みもあるし、開店まではもう少しあるし。葵が学校行くまでの少しの時間くらいなんてことないよ」

からりと笑った聡さんは麻人のお兄さんで…つまり俺の血の繋がらないもう一人の兄でもある…けれど麻人とは少し違う空気を纏う、優しい人だ。垂れた目や落ち着いた声のトーンはよく似ているけれど、聡さんは俺のことを気にかけてこうしてお店で時間を潰すのを快く受け入れてくれている。お店の奥には一つ部屋があり、そこを寝室にしている。ここと家を行ったり来たりの聡さんとはほとんどこのお店でしか顔を合わせない。

「はい、どうぞ」

「ありがとう…」

カップに注がれた綺麗な紅茶を口に含むと、一気にフルーティーな香りが広がり、それからほんのりキャラメルのような甘い風味が鼻の奥に残った。聡さんのいれてくれる紅茶が好きでここに来ていると言うのはもちろんだけど、あの家に居るのが、麻人と顔を合わせるのが、苦しいなと感じる度ここへ足を運んでしまう。
聡さんは俺がカップを空にするのを待ってから「落ち着いた?」と店内の本棚を整えながら問うた。カチャリと、カップが揺れて指先にその振動が伝わる。

「ん…」

「麻人となんかあった?」

「、なにも、ないよ」

「麻人は子供だからさ、好きな人には意地悪しちゃうんだろうね」

「……」

「嫌いにならないであげて、ああ見えて麻人は葵のこと可愛い弟って思ってるはずだから」

「可愛い、弟…」

まさか、そんな風には思っていないだろう。流石に俺でもそんなことあるわけないと分かったけれど、聡さんに対しては麻人以上に思ったことを言えない。俺とは十も離れているから気を遣って、なのか、ただ俺が心を開けていないだけなのか、聡さんが壁を作っている気がしているからなのか、明確な理由は見えない。ただなんとなく、自分の感覚として、だ。
だから勿論麻人とのことは何も言っていないし言うことも出来ない。そんな俺の心情を汲み取ってか、聡さんはそれ以上何も言わなかった。代わりに「もう一杯飲む?」と、微笑んでくれた。紅茶の専門店と、朝と昼の時間帯は軽食を出す、こじんまりとした、けれど最近流行りのお洒落なこのお店へ、俺が通っていることは麻人は知っているのだろうか…確かに、兄貴のところに行くな、と言った…知られても問題はないはずなのに、どことなく居心地が悪い。

「葵」

「あ、うん、いただきます」

「どうぞ」

「ありがとう…」

「……良くないね」

「え?」

「ううん、何でもない。ちょっと裏行ってくるから、ゆっくりしてて」

「?うん」

一瞬ひやりとした首を手で擦り、麻人に噛まれた痕があることを思い出して制服の襟元を整えた。聡さんには知られたくない。もちろん、おじさんとおばさんにも。当たり前に世間にも。知られるわけにはいかない、カップの中で生まれた小さな波紋を、傾けて飲み込みながらそう目を伏せた。

麻人からは逃げられない。逃げたら聡さんからも離れることになる。

俺は逃げたいのだろうか。
本当は逃げられないことに安心しているんじゃないだろうか。逃げられないと枷を付けて柵を作ったのは自分で、鉄格子の中で諦めたような顔が出きることに。

「もしもし麻人?起きたら電話して。葵のことで話があるから。手出すなって言ったよね、俺が育ててんだから邪魔するなって」


ここが誰かの箱庭であれば良いと、思っているのではないだろか。







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