虎がコーヒーをいれてくれた。
暖かな部屋でふわりと漂う香ばしい匂いに目を細め、僕はテーブルに置かれたカップを手に取った。温めた豆乳を混ぜた水面は薄い茶色で、口をつけると虎の視線が僕に向いた。

「美味しい」

「ん、弁当」

「ありがとう。食べるの楽しみだな」

「普通の中味だぞ」

「ふふ、うん」

いつもならもうスーツに着替えている時間の虎は、今日は休みでラフな格好のまま。その上にエプロンをつけて僕を仕事に送り出そうと家事をしてくれている。朝ごはんもお弁当も作ってくれて、洗濯も回して必要なものの買い出しを頼まれてくれて。
嬉しい、でも、個人的にはあまりしてほしくないと思ってしまったのは、そろそろ出ようという時間になった頃だった。

「忘れ物は」

「ないよ」

「今日寒くなるって」

「コートに、マフラーも巻いたし大丈夫」

「帰りは」

「七時半くらいかな」

「何食いたい?」

「うーん、お肉の気分」

「分かった」

「楽しみにしてるね」

「馬鹿、期待するな」

「ふふ、じゃあ、いってきます」

いってらっしゃい、虎の低い声がそう返してくれる。それから前髪を後ろに撫で付けられ、やめてと笑いながら一歩下がると腰を抱かれて顎が上がった。
むにゅりと、額にキスをした虎はついでに、と、僕の下唇にもキスをして顔を離した。ああ、仕事行きたくないなと、そう思ってしまったのだ。このまま虎と家で過ごしたいなんて、いけないことを考えてしまった。

「ほら、行くんじゃねぇの」

「行きます…」

うう、と唸っていたかもしれない。
まだもう少し虎に触れていたい。でももう出なければ遅刻してしまう。

「送ってやろうか」

「……ダメ」

「あっそう」

「余計に行きたくなくなっちゃう」

「じゃあ休めば」

ずるい。
僕がそうする、なんて答えないことを知っていながら。そう考えてみると、自分が虎を送り出すときはどうなんだろう…虎はわりとあっさりいってきますとキスをして行ってしまう気がするけれど…

「早くいかねぇとキスするぞ」

「ん、」

「するのかよ」

「ダメ?」

「俺はダメじゃないけど」

ダメだった。僕が。はむはむと数回啄むキスをして、最後にちゅうっと音をたてて離れると、余計に足が重くなってしまった。それでも行かなければ、となんとか虎の胸を押してドアに手をかける。

「いっ、てきます」

はいはい、と、呆れたように軽く手を振ってくれた虎は、左手の薬指に指輪をしていた。旦那さんだ、本当に。胸がドキドキうるさい。

早く帰ってこよう。
真っ直ぐ、寄り道しないで。

早く「おかえり」と、出迎えてくれる虎を抱き締めて、虎が作ってくれた夕食を食べて、一緒に眠りたい。

「蓮くん先生!今日何の日でしょう」

「え?今日?なんだろう…」

「誕生日じゃないよ」

「えー、そっかじゃあ…」

「時間切れ〜!正解は良い夫婦の日でした」

「あ、あ〜なるほど」

11月22日、いいふうふ、か。僕らの形は世間一般の夫婦、とは違う。でも、見送ってくれた虎を思い出すと顔が綻んでしまう。虎ほど素敵な主人に僕が出会うことは、この先きっとないと、冗談ではなく本気で言える。

「確かに、そうだね。でも、夫婦はいつも良い日だと思うな」

「え?」

「今日に限らず、良い夫婦でいたいなって話」

まだじんわりと虎の体温が残る唇で、高校生相手に恥ずかしい事を言ってしまった。虎は笑うだろうか。笑われても良い、僕がそうでありたいと思っているのは本心で、勝手に思ってろと言われれば喜んで頷く。

早く帰ろう、虎の待つ部屋に。



良い夫婦の日
(蓮に送り出される日は、)
(速やかに家を出るに限る)
そうでないと困るのは自分だから






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