二人で浴衣を着て、暗い道でこっそり手を繋いで、大きな花火大会とは違う地元の小さなお祭りに行く。

花火が上がるまでのまだ少し明るいうちは虎を振り返る人がたくさんいる。社会人になって、顔つきも体つきも、大人の男の人になった虎は、それでも表情の乏しい顔で下駄をならして歩く。

僕はその横を、とても穏やかな気持ちで歩く。

「蓮くんだ!」

焼きそばとポテトを買って、あとはりんご飴を探そうかと話す途中。元気よくかけられた声に足が止まった。前方に居た声の主は、僕と虎に大袈裟に手を振って駆け寄ってきた。

「龍くん!」

「へへ、今年も会えたね」

「会えたね、友達と来てるの?」

「うん!」

高校時代、虎がバイトしていたお店のオーナーの息子だ。毎年は会わないけれど、彼ももう小学校高学年、体も大きくなった。僕を蓮くんと呼んで笑顔で寄ってきてくれるくらいの可愛さを残して。

「でもまだみんな来てないから待ってる」

「そっか。何か食べた?」

「うん、食べてから来た」

「顔に米付いてるぞ」

「えっ!」

「とってあげたらいいのに」

笑いながらそう言って、でも虎の手には買ったばかりの焼きそばとポテト。ぶっきらぼうな言い方だったけれど龍くんは気にした様子もなく腕でごしごしと口元を拭った。それから「射的やろう」と僕の腕を引いた。花火まではまだ少し時間があるし、龍くんに時間があるのなら、と付いていく。

虎も嫌がらないで来てくれて、大人げなく長い腕を伸ばして全てのコルクを景品に当てた。落ちたお菓子と車のおもちゃは全て龍くんにあげて、貰った龍くんは短パンのポケットをパンパンにして友達との待ち合わせ場所へ走り去っていった。

こんがりと焼けた腕が見送る僕らを振り返った際に大きく振られ、遭遇した時より暗くなったなと気づく。

「元気だね」

人も多くなった。
自分の呟きが行き交う足音と声にかき消される。それでも僕の声を拾った虎は小さく微笑んで、数メートル先に見えた屋台へ足を進めた。
立ち止まった先、台に整列された真っ赤なりんご飴は毎年と同じように丸く、艶やかだった。虎は一番近くにあったそれを手にとって、すぐに口を付けた。

「すれ違う人にぶつけないでね」

「分かってる」

「川原の方行こっか」

「蓮、」

「ん?」

「待って」と、止められた手がゆるやかに虎の指に絡めとられる。もう随分暗くなった。川沿いの柵に凭れて花火を待つ親子、川原へ続く階段を降りる賑やかな声、土手を転ばないように手を繋いで歩く恋人、仄暗い世界で、屋台の明るさが目に染みる中で、少し汗ばんだ掌がぴたりと合わさった。
浴衣の袖で隠れているだろうか。誰も僕らの手元なんて見ていないし、小石の転がる川原は親子でも友達同士でも手を取り合っている。それが景色に馴染んでいて気にする人は居ない。

繋ぐ手とは反対の手、虎から受け取った焼そばとポテトを落とさないように川原へ降り、人と人の隙間に腰をおろす。肩がぶつかる距離に座った虎は僕にりんご飴を傾けた。

「甘いね」

「すっげー甘い」

「うん、美味しい」

もう何年目か。
何年経っても同じように、僕は虎に浴衣を着せて彼の連れは自分だという顔で隣を歩く。小学生の頃はただお祭りが楽しくて、中学生になったら花火を見ながら屋台で買ったものを食べるのが楽しくて、高校生になったら虎の隣を歩くのが幸せで、少しずつ形を変えながら、それでも変わらず僕は虎を好きなままだ。

虎も変わらずりんご飴を食べて、けれど浴衣は足を広げて座れないから窮屈だと文句を言わなくなったし、恋人になってからは手を繋いで屋台の隙間を歩くようになった。大きな花火大会は他にいくつもあるのに、それよりこのお祭りが好きで、虎も同じように好きでいてくれたら嬉しいと思う。「来年も来ようね」と言う僕に、無条件に頷いてくれる虎に。

「あ、始まる」

花火が上がれば会話は途切れ、それでも何か言葉を溢せば耳を寄せて聞いてくれる。その耳にキスをすれば笑ってくれるし、花火と花火の合間の暗闇で頬にキスを返してくれる。
りんご飴もポテトも焼そばも全部食べ終われば、ぴたりと寄り添って手を繋いで空を仰ぐ。

高校生の頃、虎が泣いたことを僕は今でもはっきり覚えている。どうしてか、理由はわからないけれど…毎年虎と足を運んでいたここに、初めて恋人として来たあの日。
綺麗な顔にすっと涙を一筋溢した虎を、僕はとても愛しく思った。泣かないでと言いながら触れて、本当は思いきり抱き締めたかったことも、はっきり覚えている。代わりに、全ての気持ちを込めて溢した“好き”の言葉に、自分も泣きたくなったことも。

もう一回、とキスをねだったあの夏は今でも特別だ。

「蓮?」

「、」

「どうした?」

「ううん、何でもない」

短い花火の時間は、もう残すところ数分だろう。一斉に帰り始める人の波に飲まれないよう、僕らはアナウンスの最中に腰をあげて川原から上がった。
下よりも静かで暗い橋で立ち止まり、もう一度「大丈夫か」と問うてくれた虎に頷く。
それからフィナーレを撮影しようとスマホを取り出すと、遮るように腕を引かれて虎の方を向く。

「虎?」

アナウンスが終わる。
ひゅるひゅると花火が上がり、一気に空が明るくなった。少しズレて聞こえる破裂音の方がずっと大きいはずなのに、僕の耳は虎の「キスして良い?」という低い声だけを聞き取った。

「…ん」

顎を掴まれ、顔を上げて虎を見る。
花火の光で影の出来た顔は、どうしたって整っていて綺麗だ。夜に溶けてしまいそうなはずの虎の黒い瞳は、けれどしっかり僕を見ている。大人が公衆の面前でキスなんて、と思われるかもしれない。僕だって思う。でも、一瞬だけ触れて離れた唇には、もっと、と思ってしまうから怖い。

目の端でチカチカと花火が光る。
僕は額を擦り付けてきた虎に微笑んで、上唇を少しだけ突き出した。

「もう一回」

「……」

「虎」

「勘弁して」

「あはは、残念。高校生の時はしてくれたのに」

「……帰るぞ」

「あ…ほんとだ、終わっちゃったね」

空に薄く広がった雲は、徐々に黒く染まり始めていた。屋台の電気が人の波に揺られ、賑やかな声があちこちで動き出す。僕は虎に手を引かれて家路に着いた。

カラカラと響く二人分の下駄の音が心地良い。
家を出た頃より随分涼しくなっていて、それでも繋いだ手には汗が滲んでいる。僕らは特に何も話さず、そんな沈黙の中でセミの声と足音を聞いていた。

家に着き電気のついていない玄関に入ると、虎がドアの隙間から体を押し込んで僕を捕まえた。その反動で下駄が脱げ、ふらついて下駄箱に腰を付けるとガチャリと鍵をかう音が静かな空間に響いた。

その瞬間、これから何をするのか、といやらしいことを考えて頭の奥がじわりと熱を帯びた。

「シャワー…」

「後」

「でも汗…浴衣も、」

「年に一回しか浴衣着ないけど、それって脱ぐのも一回ってことだよな」

「え?」

虎は不適に笑ってキスをした。
唇に、それから耳たぶに。
後頭部を引き寄せられて顎を虎の肩に押し付けると、襟を指先で少し下げられそこにもキスが落ちてきた。高校生の虎より、ずっとすけべだ。うなじをなぞるみたいに唇を這わせて、自分からは見えない耳の後ろに思いきり吸い付いて。

簡単に脱がせることもしないで、楽しむみたいにそんなキスをする。

来年も一緒に来ようねと約束をしたあの夏から、僕も虎もそれを破ったことは一度もない。飽きもせず、浴衣を着てりんご飴を食べて、キスをして。手を繋いでここへ帰ってきて、セックスをする。暑いと言いながら浴衣を脱いで。

「部屋」

「ん、」

甘いキスに目眩がする。
一年後も、同じ事をしているのだろう。そんな想像だけで幸せになる。虎が隣で花火を見て、耳を寄せて僕の声を拾ってくれる、そんな一年後。
繋ぐ手にシワが出来て、シミが出来て、それでもキスがしたいと考えながら、「綺麗だね」と笑いあっていたら良いなと思う。僕はその度に虎の涙を思い出して、キスをねだるのかもしれない。

「とら、」

「ん?」

「好きだよ」

「ああ」

「泣かないの?」

「もうやめろってその話。セックスするんだろ」

「はい」

本当は泣きそうだけど、と僕を抱きながら溢した声を、僕はしっかり聞いていた。聞いていて、自分が泣いてしまった。

愛してるよと返してくれる低くて落ち着いた声に僕は泣いて、虎はそんな僕を笑う。笑って、泣きそうな声でもう一度「愛してるよ」と囁く。


花火の静かさと賑やかさを、明日の朝、僕はもう懐かしく思うのだろう。






×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -