来月のシフト希望をどちらのバイト先にも出して、出してすぐにもうそんな時期かと、参ったという顔をされた。ゴールデンウィーク中は全て出る代わりに、その後三週間の休みを貰わざるを得ない理由は明確で、高校での教育実習があるからだ。
希望通り、五月のバイトは最初の一週間のみで、他のみんなにとても迷惑をかけてしまうことを申し訳なく思った。

「教師かあ、園村くんっぽい」

「あはは、そうかな」

「うん。高校?」

「実習はね。三週間迷惑かけます」

春休みが明けるとすぐに桜は散り始め、四月も半ばを過ぎるとすっかり緑に姿を変えてしまっていた。コーヒーショップでのバイトも四年目で、今隣に居る増井さんという女の子も同じ四年目。大学は違うけれど、長くバイトが同じで随分仲良くなったものの、彼女はなぜか敬語のまま。

「三週間地元帰ったままですか?」

「帰ってこれない距離じゃないから、土日はこっち来たいなって思ってるけど…どうかな」

「学校が休みでも、やることはたくさんありそうですもんね。母校での実習かあ…緊張ですね」

「緊張するけど、楽しみの方が大きいかな。増井さんは幼稚園の実習行ってたよね」

そんな言葉をスタッフルームでいくつか交わして店内に入ると、休日の昼間とあって満席だった。レジも行列が出来ていて、すぐに持ち場についた。その直後だった。混雑した店内にカップが割れる音が響き、短い悲鳴みたいなものが聞こえたのは。

「、」

賑やかだった空気が一瞬しんと冷え、視線がそこに集まった。僕も音がした方を見て、踞っている人影に気づく。レジ近くのカウンター席だ。慌てて駆け寄ると、綺麗な蜂蜜色の髪が揺れていた。ゆったりとした襟ぐりから覗く首は白く、床についている手も白い。荒い呼吸を繰り返すその人の肩に手を置くと、しっかり硬い男の人のものだった。

「どうされました?」

「、はあ…、あ、すみませ…」

フラフラと立ち上がったその人は僕より背が高く、虎と同じくらいありそうだった。顔が真っ白なのは、肌が白い以外に気分が悪いせいもあるだろう。伏せられた長い睫毛は薄い茶色で、くっきりした眉と高い鼻根。日本人、ではないかもしれないなと思いながらも、その口は流暢な日本語を話す。

「ちょっと、気分が…悪くて」

「座りましょう、」

頭がふわふわと揺れている。真っ白な顔に、汗をかくほど暑くはないはずなのにするすると輪郭をなぞるようにそれが流れている。

「い、いえ…ご迷惑を…」

緩やかに持ち上がった目は形の良い二重で、ヘーゼルの瞳だった。それに一瞬気をとられ、ふらりと傾いた体を支えるのが一拍遅れてしまった。

「園村くん、こっちに」

「あ、ありがとう。お客様、少し動きますね」

増井さんが並んでいたお客さんの列を開けてくれ、スタッフルームのあるバックヤードへ進んだ。背は高いけれど、それほど体重が重くないと感じたのは虎と比べて、だったのかもしれない。

「ここ、横になってください」

「す、すみませ…」

「汗、拭きますね」

ソファーに横になったその人の背中を擦りながらびしょ濡れになっていた首をタオルで拭く。その人はしばらく虚ろな目をしていたけれど、次第に揺れは穏やかになり「すみません、もう大丈夫です」と起き上がった。

「大丈夫ですか」

「はい…」

「お水、よかったら」

「ありがとうございます…」

目元を押さえながら、それでもしっかりとした目で僕を見たその人は、眉を下げて深く頭を下げた。

「ご迷惑おかけしました…」

「いえ、僕は…それより、病院に」

「ああ、大丈夫です…元々貧血気味で…もう、平気です」

「あっ、すみません、手」

渡したペットボトルを傾けた手に、血が滲んでいた。割れたカップで切ったのかもしれないと慌ててその手をとると「これは今した怪我じゃないです」とまた申し訳なさそうに頭を下げられた。

「元々、怪我してて…さっき手をついたときに傷が開いただけだと思います」

「じゃあ、絆創膏だけでも」

「……ありがとうございます。……その、むらさん?」

「あ、はい、園村です」

「そのむらさん…すみません、漢字、苦手で」

微笑んだ顔はとても整っていて、やっぱり瞳はとても目を引く綺麗な色だ。思わず「綺麗な目ですね」と返してしまった。

「、」

「あ、すみません、失礼ですよね、急に…はい、貼れました」

「あ、あの、」

「はい」

「ハーフ…なんです。日本語は話せるし読み書きも漢字以外は…あ、俺、レオって言います。松岡、レオ」

「松岡、さん」

「はい」

「コーヒー、美味しかったです。また、来ます」

「ぜひ、お待ちしてます」

「園村さん」

「はい」

「ありがとう、ございました」

「あはは、いえ。気にしないでください」

松岡レオと名乗ったその人は、最後にもう一度深く深く頭を下げた。その背中を店のド見ドアから見送った僕に、モデルさんみたいでしたねと、増井さんは驚いたように言った。確かに、雑誌から出てきたみたいだと、あとになってから僕もそう思った。







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