「とら、ん…待って、とら」

「悪い、ちょっと、無理」

どうして、こうなったのか。

「っ、んん…あ、ぅ…」

「あっつ…」

「とら、」

昼休みの、誰もいない空き教室。茹だるような暑さに満たされた無秩序なそこで。
暑さで理性のコントロールが出来なくなっていたのだろう。

「虎、あ…ん、

「蓮」

しっとりと汗で濡れた蓮の額から前髪を除けると、造形物のような左右対称の目が欲を滲ませて俺を見た。素行不良とは対角の位置にいる、この優良な生徒が、授業が始まる寸前にこんなところで、何を仕様としているか。
そのアンバランスさにさえ興奮して、肩甲骨に回された蓮の手にシャツを握り締められ、プツリと意識が飛ぶような感覚に襲われた。


朝雲り

 
高校最後の夏休みを目前に控えた七月、その日は異常な暑さで教室に設置されたエアコンでは足りないほどだった。今からこんなに暑いのかと半ば絶望しながらノートを仰いで凌ぐしかない、そんな日。斜め前の席に座る蓮はクラスメイトと談笑しながら、時折「暑い」という単語を言い合っていた。そう言いながら、蓮の言動は全てが爽やかで、見ていて暑苦しさを感じない。どころか、むしろ、心地よささえ感じるほど涼やかだった。

「あ、虎」

「…ん?」

「生物の課題、提出今日までだぞ」

「ああ…そうだった」

「昼までによろしくって伝言頼まれた」

「昼までって…」

「なんか今日先生午後から出張なんだって」

「今持ってく」

「おーがんばれ」

正直、今教室を出て階段を二階分上がった階にある生物室へ行く気にはならない。けれど仕方がないかと重い腰をあげ、提出するノートを掴む。教室のドアを開けて廊下に出ると、覚悟を上回る暑さに眩暈がした。ここに立っているだけで汗が滴りそうな暑さだ。
その廊下に一歩踏み出すと、背後から肘をやんわりと掴まれ足が止まった。振り返らなくても、その手の感触でそれが蓮だということを悟る。

「ん?」

「一緒に行くよ」

「暑いからやめとけ」

「ふふ、なんなら僕が代わりに行ってくるよ」

虎の方が暑さで倒れそうと、柔らかく微笑んだ蓮が俺を見上げる。

「割と本気で倒れそうな暑さだぞ」

「うわ、ほんとだ、すごいね」

「本当についてくんの」

「うん」

「…」

「行こう。生物室でしょ?」

「ああ」

俺より先に進み出した蓮の背中に、夏の日差しが突き刺さる。綺麗に伸びた背中の纏うシャツがその光を反射させる眩しさに目が眩んだ。蜃気楼みたいだなと、すでに暑さにやられた頭で一瞬考えてから蓮を追う。

「あっつ…」

「ね、今日ほんとに暑いね」

暑さなど感じさせないような爽快さを孕んだ声だ。その声に吸い寄せられるように距離を詰めると、蓮の首筋に汗が伝うのが目に入った。着崩すことなく、きちんと整えられた襟元に吸い込まれて消えた雫を追うように、無意識に手が動く。

「っ、びっくりした、何かついてる?」

「いや…ん、とれた」

「ごめん、ありがとう」

何もついてはいなかったけれど。本当は本能で触れたいと思っただけなのに。
蓮は俺の劣情や下心に気づかないまま目的の場所まで軽い足取りで進んだ。生物室に着く頃には一筋の汗では済まされないほど汗ばんでいて、また教室に戻らないといけないのかと思うと憂鬱で倒れそうだった。それでも「失礼しました」と何の躊躇いもなく生物室を後にした。

「なんでそんな元気なんだよ」

「一緒に行ってよかったでしょ」

「全然」

「あはは、サボれなくなっちゃって嫌だった?」

「それ」

「ごめんね」

目元のほくろが細められた目に吸い寄せられる。
悪戯に笑ってくれるなと腹が立つような、煽っているつもりなど微塵もないと分かっていても煽られているような。どうしたらいいのか、この暑さから早く逃れたいのに、それ以上に恋に触れたくて思考が追いつかない。

「蓮」

「うん?」

「ちょっと」

「え、あ」

汗ばんだ手で温度の高い蓮の手を掴み篭城したのは、エアコンなど付いていない空き教室だった。「暑いね」と暑さを感じさせない声と表情で吐き捨てる蓮に、首筋に伝う汗に、理性を保てという方が無理だった。

「虎?どうし、」

蓮の匂いが溶けた汗ごと、全て自分の中にとりこめてしまえたらいいのに。
暑さに揺れる頭で、視界で、それでも蓮の唇の感触と温度は見失うことなく。確実に辿ってタガが外れたように噛み付くようにキスを重ねた。

キスに満足して体を離す頃には二人とも汗だくで、そのまま教室に戻るわけにはいかないというほどびしょ濡れだった。そんな自分たちを交互に見て苦笑いを漏らした蓮が、「だから今日は暑くなるよって言ったのに」と、少し怒ったような呆れたような声で言い放った。あれは確か、高校三年の夏休み目前の朝曇りの日だった。


確かにその日の朝蓮は言っていた。
靄のかかったような曇り空を見上げて「今日は暑くなりそうだね」と。そういうものなんだろうかと首を傾げた俺に、蓮は「朝曇」という言葉を教えてくれた。
そういう日は、日中凄く暑くなることが多いんだよ、と。そうなのかと後になって納得することになったわけだけれど、俺はそういう朝を見るたびどうしようもなく、暑さに乱れた蓮を思い出してしまうのだろう。






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